飛頭蛮
「……なるほど。毎夜迷い首と遭うと思ったが、こんなことになっていたのか。
だが、どうやら、一人ではねえようだな。この物の怪には、父がいるらしい」
その声に、春坊ははっと目を見開いた。
月影をじっと見凝らし、確信する。
あれは――いつぞや辻で会った、画妖先生ではないか。
「――【飛頭蛮】は頸を刎ねねば死なぬというが、まず父を仕留めねばならねえだろうな……」
男は、部屋に入って飄々とした仕草で腰を落とし、床に転がっていた春坊の太刀を拾った。
そして、ずんずんと歩く。
彼が向かったのは、女怪ではなく、その父のいる障子戸だった。
画妖先生は春坊の太刀を掲げ、まるでまな板の上の大根でも叩っ切るように、乱雑にバサリと振り下ろした。
「ヒャァァァ――……!」
布を裂くような女ろくろ首の長い悲鳴が響いて消える間に、春坊を締め上げていた長い首が緩む。
「……⁉」
頭がなかば朦朧としていて……、何が起きたかよくわからない。
だが、ふと気づけば、眼前に真っ二つに斬り裂かれた障子戸が倒れてくるところだった。
「うわっ!」
慌てて春坊が後ずさると、激しく音を立て障子戸が床にバタリと臥す。
その裏には、桜の花びらが散るように真っ赤な血が散っていた。
血しぶきを目で追いかければ、その先に、あの皺の寄った千代の父の頭がごろりと転がっている。
顎から下は、ない。
画妖先生が、斬ったのだ。
千代の父親の長い首は、皺々の矮躯とともに部屋の隅でとぐろを巻いていた。
「ウギャア……! ヒィイ……! 痛い、痛い痛い痛いぃ……!」
老怪が事切れずに呻いているのを見て、若き画師は顔をしかめた。
「……やはり、俺の剣は出来が悪ィなあ。どう考えたって筆の方がずっと手に馴染むんだが……。
まあ、間抜けな童が喰い殺されるのを見過ごしても後味が悪ィからな。
――さて、次は、娘か」
「ひぃッ……! 嫌っ……!」
女ろくろ首は首を伸ばし、逃げ出そうとした。
「――!」
咄嗟に春坊は腰を上げて立ち、女ろくろ首を背に庇った。
「お、おやめください! せ……、――石燕先生!」
春坊の上げた声に――、〈鳥山石燕〉が、怪訝そうに眉をひそめる。
月影の中で、二人の男はにらみ合った……。
♢ 〇 ♢
まだ身体が重く……、腕にも脚にも、力が入らない。
震える体躯を何とか叱咤し、春坊は必死に両腕を広げて女の姿を後ろに隠した。
「せ……、石燕先生。どうか、乱暴を働くのはおやめくだされ。彼女は、千代殿は、女人でござる」
春坊が震え声で言うと、石燕が眉を持ち上げる。
鼻を鳴らして、嘲るように画師は言った。
「――小僧、おまえ正気か?
モノノケのことを、おなごとは呼ばないんだぜ。
それも、そいつは人を喰う。斬らずに見逃せるわけがねえだろうがよ」
高貴な生まれの若き画師が、貧乏武家生まれの春坊を見下ろしている。
春坊の背後では、動揺と恐怖で首を戻せなくなってしまったらしい女怪が、うねうねと長い首を伸ばしておののいていた。
画師は続けた。
「そいつらの呼び名はいくつもある。
飛頭蛮、ろくろ首、抜け首、彷徨い首――。
……夜ごとその女怪は首を伸ばして江戸の町をさ迷い、獲物を見繕っておったようだが、いくら追えども体躯が見つからねえ。だが、人を喰らう物の怪の哀れなことよ。人を屠る刹那の鋭い邪気までは消せぬようだ」※
春坊は、目を見開いた。
(夜ごと、首を伸ばして……)
夢うつつに見た彼女が、いつも顔だけだったことを春坊は思い出した。
思わず振り返ってみると、女が泣いている。
「うっ、うぅ……。お願い。あたしのこの醜い姿を見ないで。春右衛門様……」
視界の端に、泣いて床に突っ伏す、首をびろびろと醜く伸ばした女怪の哀れな姿が映る。
嗚咽に肩を震わせる女怪からは、もう先ほどまでのような恐ろしい殺気は感じられなかった。
すると、倒れた障子戸の先から、皺枯れた化け物老爺の声が響いた。
「……あなたは、画妖先生でござりまするな」




