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石燕先生、モノノケでござる!  作者: 玉水ひひな
第一話 春坊の縁談

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美しき絵馬


「では、さよさんに先生とどこで会ったか教えてあげてくださいまし。きっと喜びます。一昨日なんぞは、さよさんは雑司ヶ谷の鬼子母神堂にわざわざお参りに行ったんですよ」


「雑司ヶ谷に?」


「ええ。つい先頃、モノノケ先生の絵馬が奉納されたというもんですから。素晴らしい腕前との評判通りの逸品だそうですよ。春さんも、剣術道場の帰りにでも立ち寄っていらしたらいかが?」


「そうですね……。まあ、気が向きましたら」


 春坊は気のない振りをして頷いた。

 何となく、母の勧めのままに絵馬を見に行くのは、画妖先生に負けを認めたことになる気がしたからだ。


 しかし――春坊の瞼の裏には、木魅を描いた妖怪画がいつまでも残っているのだった。




 ♢ 〇 ♢




 光陰矢の如し、なんて嘘だ。

 光陰亀より鈍し、という新たな言葉を、この俺が作ってくれよう。


 そんな風に、春坊はただ一途に――春坊は、千代との祝言の日を指折り数えて待っていた。

 しかし、その日を指折り数える春坊を嘲笑うように、ナメクジの這うようにしか刻が過ぎてはくれない。


(我がことながら、ザマはないなあ)


 道場でこよなく愛する剣を何度振るっても、気もそぞろ。

 老師匠にこっ酷く叱られ、時間潰しに江戸の町をぷらぷら歩いて、結局春坊は雑司ヶ谷を訪れることにしていた。


 雑司ヶ谷の門前町には二階建ての商店が軒を連ね、客呼びの声が行きかっている。

 蕎麦などを売り物にする即席御料理と冠した有名な茗荷屋を通り過ぎれば、女客向けに白粉おしろい屋があって、鬼子母神土産のみみずくを持って帰る母子とすれ違う。※1


 この雑司ヶ谷にある稲荷の森は、元は倉稲魂命うけみたまのみことという女神を祀る武芳稲荷堂だったそうで、今も朱塗りの鳥居の先に社がある。

 その奥に、立派な構えを見せる鬼子母神のお堂が現れた。

 加賀藩主のご息女が寄進されたという本殿は、建立から云十年も経た今も堂々たる佇まいを見せている。


 ちょうど花祭りの行われている本殿に参拝すると――。

 奉納されている、画妖先生の手による〈噂の絵馬〉を目にすることができた。



(……おお。何と、これは……)



 思わず目を瞠り、春坊は声を失った。

 その板絵に描かれた肉筆画は、なるほど――、評判になるというのも頷けるような大作だった。


 何といっても、大きい。


 縦が五尺弱(145センチメートル)、幅が六尺(182センチメートル)ほどの庵形で、楠木正成を討ったさる武将が川路を渡れず難儀する美女を背負ったところ、その美女がにわかに鬼に変じて襲われる、という題材だ。


 鬼と化した背の美女が川面に映る姿を、武将が猛る眼でにらみつけている。

 今にも武将の刀が抜かれる、というその刹那を描き取った絵馬は、まさしく画妖先生の名にふさわしい出来栄えだった。※2


(なるほど……。これは確かに)


 素晴らしい。


 春坊は感嘆した。

 いや、感動したのは春坊ばかりではない。

 参拝客の誰も彼もが、画妖先生の手がけた絵馬を前に、刻を忘れて立ち止まっていた。


 ……確かにあの画妖先生は、噂通り稀代の天才芸術家のようだ。




 ♢ 〇 ♢




 参拝の帰り道、ふと思い立って、春坊は目についた土産物屋で桜餅を買った。



 さてこの土産、誰に渡そう――母は確か、墨田の長命寺で桜餅を食べたばかりだったな――では、きっとこの味に飽きているだろう――となると、渡す相手が他にはいないかもしれぬ――……。



 そんな風に自分に言い訳して、結局、春坊の足は本所の先へと向かったのであった。



「――まあ、春右衛門様」



 驚いたように迎えてくれた千代に会釈して、春坊は桜餅を包んだ菓子折りを渡した。


「その、所用がありまして、雑司ヶ谷に参った際に買ったのです。お口に合うとよいのですが……」


 言いながら、早くも春坊は後悔していた。

 初めて話したあの日、自分が言ったのは長命寺の桜餅のことではないか。

 あっちの方が雑司ヶ谷よりずっと有名なのだから、きちんと並んで買ってくればよかった。


 俺は、馬鹿だ。

 何と気の利かない……。


 しかし、千代はそんな春坊の内心のあれこれを察した風もなく、ただ喜んでくれた。


「嬉しいわ。もしよければ、そこの川辺で桜を観ながら一緒に食べませんか?」

「えっ?」


 千代の誘いに一瞬声を失い、それから春坊は慌てて訊いた。


「ですが、外出されても大丈夫なのですか?」

「ええ。少しなら」

「で、では、ぜひ、お願いいたします。それがしも、実は桜餅が大好物で――」


 本当は桜の葉の独特な風味と塩気が苦手だなどということはおくびにも出さず、春坊はまた頭を下げたのだった。





ここまで読んでくださってありがとうございます!

引き続き読んでいただけたら嬉しいです。







以下、苦手な方はご注意くださいませ。


※1零れ話

歌川広重による雑司ヶ谷の茗荷屋を描いた浮世絵がありますので、URLを記載します!

当時の様子が凄く伝わってきます。


江戸高名會亭盡・雑司ケ谷之圖 茗荷屋

歌川広重

https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/442135



※2零れ話

こちらの絵馬は、鳥山石燕の肉筆画で唯一現存しているものだそうです!


雑司ヶ谷

板絵着色大森彦七図

https://www.city.toshima.lg.jp/349/bunka/bunka/bunkazai/sculpture/2209261123.html


Xでもっとアップの画像を挙げてくださっている方もいらっしゃるので、ご興味のある方は「板絵着色大森彦七図」で検索してみてくださいませ。凄くわかりやすくておすすめです!

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