第二話
スケルトンの身体は便利だった、疲れを知らず、眠気や食欲もおそらくない。
ただひとつ、生者への憎悪に己自身が侵食されている感覚だけははっきりと分かる。
はやくハンスと決着をつけねば……。
兵たちの足取りを辿る。
折れた枝や乾いた足跡。
まだ新しいものをたどり、ひたすら森の中を進む。
森からの脱出にはそこまで苦労することはなかった。
無尽蔵の体力は休憩を必要とせず、足跡をひた辿っていくとすぐに境界線へとたどり着く。
森を抜けると、空が薄明るくなっており、夜が明け始めているのがわかる。
防衛戦に似た景色が広がっている。
森の縁をなぞるように歩くと見慣れた景色はすぐに見えてきた。
魔物の人間の生活領域への侵入口、防衛線のため、柵や見張り台が設置されている場所だ。
ここは生前、魔物の侵攻に対処するために何度も訪れている。
魔物の侵攻を早期に発見するために、この場所には見張り台が作られている。
そう多くはない見張り台、まだこちらに気づいていない監視役の一人の視線をくぐり、接近した。
こちらに気づいている様子はない。
時間も時間だ、おそらく見張りの兵も気が抜けているのだろう。
音を殺し、見張り台を登り、未だこちらに気づかず背を向けている兵に剣を突き刺す。
兵の口を手で抑え込む。
ズズッと剣が身体に飲まれていく感触。
兵の口から生暖かい感触が伝わる。臓器が傷つき、血を吐いているのだろう。
身体を支配している憎悪が満たされる感覚があった。
領民殺害への罪悪感は不思議とない。
バルムンク領の兵は、今の俺にとっては俺自身の仇だ。気を病む必要などどこにもないのだ。
俺が殺されたあの日、討伐隊を編成するために兵の中から無作為に隊員を選んだのだ。
誰も選んだとしても俺を殺すということを共通認識として持っているということは、やはり領民兵のすべてが裏切り者だったのだろう。
しかし、この防衛拠点、俺が知っている頃のものより設備が充実している。
補強や設営の増加により、以前にもまして強固な守りとなっているようだ。
あの日、ハンスの手によって亡き者とされてからいかほどの時間が経過したのだろうか……。
考えてもわかることではないと、今は拠点を観察する。
俺の政策により領地は豊かになり、この場所にまで金をかけれるようになったのだろう。
やはり俺がしてきたことにはなんの間違いもなかったのだ。
俺は拠点を後にし、村へと向かうことにする。
辺りは明るくなり、おそらく人々が活動しだす頃合いだろう。
とりあえずは村民にハンスの目的とアメリアの安否の情報を聞き出さねばならない。
ハンスが領主かその代行を行っているということはこの村にいるだろうから、まずはやつの目的を把握したうえで動かなければならない。
村に着いた俺は一軒の家にたどり着く。
家主の顔は知っているし話したこともある。
しかし、今の魔物となってしまった俺の姿をみてまともな会話が成り立つのであろうか、そんなことを思いながら俺は戸を叩く。
中から「はーい」、と声がし、婦人がでてきた。
婦人は俺を見るとぎょっとした表情をした。息を呑み、目を見開く。無理もないだろう。今の俺の姿はスケルトン、魔物が訪ねてきたのだから。
「騒ぐな、質問にだけ答えろ」
俺は脅すように婦人に声をかける。
人間に対する憎悪、そして領民に対する不信からこういった態度を取る。
涙目になり、震えながらコクコクと何度も頷く婦人。
「ケインの死後の領内の動きを教えろ」
この姿の俺を、前領主であるケインと婦人が認識してないであろう前提で聞く。
婦人は俺の声を聞き、ヒッと小さく漏らす。
「ケ、ケイン様が亡くなられた後には…… ハンス様が領内の運営を取り仕切ることになりました。ハ……ハンス様は前領主様の、と…… 統治で、……荒れた領内を立て直すことを…… さ、最初の目標とし、し……次第に領内は豊かになりました……」
それは俺の政策が身を結ぶタイミングであったからだ。
ハンスはいつも俺の後ろをついて回り、機を計っていたのだ。
この前の兵の情報もそうだ。
やつは俺の政策を奪うどころか、俺が悪政を敷き、領民を苦しめていたと吹いて回った。
そしてそれを改善し、ハンスの元に信頼が集まるよう、謀ったのだ。
実際は俺の政策がうまくいき、ハンスはそれにあやかっただけだというのに。
ハンスの行いは大体わかった。
あとはアメリアの安否だ。
「ケインの妻はどうなった?」
「ア、アメリア様は…… り、領主邸宅で暮らしております」
「なぜアメリアが領主邸にいる!!」
婦人の言葉を聞き、胸の奥が怒りに塗りつぶされた。
俺は込み上げた感情のままに、拳を婦人の顔に叩きつけ、殺してしまう。
婦人の顎には俺の腕が突き刺さり、それを抜くとズルリと婦人の身体は地面に横たわった。
アメリアが領主邸にいるだと?
想定していたさらに上の行いをあのゲスはやりやがった!!
俺の妻を辱めるでもなく、平民に落とすでもなく、自分と共に暮らしているだと……!?
やつはどこまで俺から奪うつもりだっ!!
握りしめられた憤怒の拳はギリギリと軋む音を鳴らし、今度は扉に叩きつけられた。
バァンと大きな音を上げ、扉は破壊された。
恐らく俺の邸宅は領主となったハンスが暮らしているのだろう……。
領地、領民、邸宅、権力、それに妻、やつは俺の全てを欲していたのか。
未だ怒りが収まらない俺が婦人の家を出ると遠巻きに領民がこちらの様子を伺っているのが見えた。
「な、なぜケインの鎧を着た魔物が……」
音を聞き、駆けつけた領民がきたのだろう。
おそらく俺の鎧を知っているものの言葉だ。
俺を見る領民の姿は、さきほどの婦人の殺害を目撃したため、ひどく怯えた眼でこちらを見ていた。
領民をジロリと睨みつけると、慌てて逃げていく。ハンスのもとに報告にいくのか……
都合がいい、この地で決着をつけてやる。
***
「ケインの鎧を着たスケルトンだと?」
領主邸宅にて、領民から報告を受けたハンスはその内容に疑問の声を上げる。
「どういうことだ、やつは俺が殺してからすでに4年の年月が経過している。それが今になって何故。」
ハンスには信じがたい情報だが、報告の内容は自身を動揺させるには十分すぎるものだ。
報告のスケルトンが、ただの魔物であれば防衛線に設置した見張り兵がなんらかの対処を行う。
それが報告は領内に住むものから行われたということは拠点は突破された。
見張り兵は始末された可能性がある。
ハンスは色々な可能性を想定した。
魔物の侵入経路以外から森を出、監視から逃れたのか、そう考えたがその可能性は低い。
魔物とは強い習性を持つ生き物だ。
変異種、と呼ばれるようなものでもない限り、想定を大きく越える動きで侵攻してくるなどこれまで一度もなかった。
多少の迂回はするかも知れないが、それは想定したうえで防衛線を張っている。
見張りの入れ替わりのタイミングを狙ったか、しかし見張りの交代といっても、人員が不在になる時間ができるものでもない。それにスケルトンにそこまでの知能がないという事実にその線も可能性が低いと考える。
考えても仕方ない。今は現れた魔物への対応が先だ。
報告にきた領民に声をかける。
「急ぎ、戦えるものを集めろ。できるだけ多くだ。思い違いであればいいがケインの亡霊が現れたのかもしれん。急いでくれ」
命令を受けた領民は一礼すると、急ぎ兵の詰め所へ向かった。
誰もいなくなった執務室でハンスは一人呟く。
「ケインが蘇った……?
であるなら目的は……」
***
ケインの討伐隊を編成している最中アメリアがハンスの元にきた。
「なにやら領内が騒ぎのようですがどうされましたか?」
屋敷内はスケルトンの襲撃で慌てふためいている。騒ぎの大きさは誰が見ても明らかであった。
「なにも気にすることはない、部屋に戻っていろ」
「ハンス様」
アメリアは強い目つきでハンスを見つめる。
「……領内に魔物が出ただけだ……」
「それだけではないのでしょう?」
「……」
アメリアの口ぶりから、内容を知りこそしているが、確信を持ちたくてハンスにたずねているようであった。
「ハンス様」
「ケインの鎧を着たスケルトンが目撃された。すでに領民にも被害が出ている……」
アメリアの目が驚愕に見開かれる。
「ケインが…… ケインが現れたのですか?」
「いや、現れたのはケインの鎧を着ただけのスケルトンだ。生きているどころか、ケイン本人である可能性すらない」
目に涙を貯め、考え込むアメリア。
「フローレンフェルト領に一度身を隠せ、スケルトンはここで迎え撃つ」
「私がケインと会うことは叶いませんか?」
アメリアの手には力がこもっており、指先が白くなっていた。
「ああ、今のやつはどのような状態かわからん。おまえや私を見れば問答無用で襲いかかってくる可能性だってある。
アレ相手では守り切ることは不可能だ。
だから一度フローレンフェルト領に避難し、事が落ち着くまで待っていてくれ」
「わかりました、では私からひとつだけお願いがあります」
「いかがされましたか?」
「夫を、ケインを必ず殺してください」
アメリアの眼に宿るものは決意であった。
ハンスは黙して頷く。
去りゆくハンスの背中を見つめ、アメリアは呟いた。
「ケイン…… どこまで私たちを苦しめるのですか……」
アメリアに背を向け、邸宅を進むのハンスの顔にはどこまでも邪悪な笑みが貼り付けられているのであった。