第一話
夜、暗い森の中。木の根は地面を這い、木に茂る葉が月明かりを遮る。僅かな隙間から月光が地面を照らしていた。いつもなら静寂が広がるその森の中で一箇所、いつもとは違う空間が存在した。
ランタンや松明の明かりで照らされたその空間では、多くの兵が一人を囲んでいた。いや、それはもはや一人ではなく一体。一体の魔物、骸骨であった。黒鎧を身にまとい、手に持った武器は幅広の大剣。
そのスケルトンを周りを兵の一団は包囲する。十数人で一体のスケルトンを囲む、この状況は通常では考えにくい状況。なぜなら、スケルトン単体はそこまで強くはなく、練度の高い兵であるなら単身で撃破できる程度の魔物だからだ。
辺りにはすでにいくつかの兵の死体が転がっている。スケルトンの武器に血が滴っていることを見ると、この魔物にやられたのだ。
想定外の強さのスケルトンに、兵団は出方を伺うよう包囲を続けるしか手がなかった。
スケルトンは兵たちを確認をするように辺りを見渡す。彼らの顔から見て取れるのは混乱と恐怖だ。
魔物相手の訓練も行ってきていた彼らは、ある程度魔物に対する知識も教えられてきている。スケルトンという魔物の強さは何度も語り聞いてきた。戦ったことがあるものもいる。
それなのに眼の前のこの魔物はその本来の強さの枠からはるかにはみ出ている。それどころかスケルトンとしては、ありえないはずの知性さえ感じる。その困惑が、取り囲む兵たちの間に緊張を走らせた。
兵の中の一人が声を荒げる。
「四方から同時に仕掛けるぞ!敵は一体!腕は2本!!同時に掛かれば防ぐことはできまい!!」
すでに仲間を数人やられた兵団にもう侮りはない。同時に攻撃を仕掛け、スケルトンを討ち取るつもりだ。
しかし、スケルトンは声に反応して、ゆっくりと兵の方へ視線を向けた。目がないはずなのに、意図を読み取っているかのようだ。
普通のスケルトンなら、ただ襲いかかるだけだが、この魔物は計算された動きをしていた。
「いくぞ!!」
取り囲んだ兵のうちの四人、四方から同時に攻撃しようと、動き始めたその時、スケルトンは包囲の薄い一箇所に向かい、踏み込む。そして槍を構えた兵の腹部に剣を走らせると、兵の腹からは血の華が咲いた。その勢いのまま駆け抜け、スケルトンは足を止め振りかえった。
背には巨大な木。四方からの同時攻撃、という作戦を聞き、この魔物は即座にそれに対応してみせた。
兵団に動揺が走る。未知の魔物。減っていく仲間。策を用いたところで対応されてしまう。
おそらく、このまま戦ったところでこいつには敵わない。そう考えてしまった一人の兵が、ジリジリと後ずさってしまう。恐怖はすぐさま伝染する。包囲の輪がどんどんとスケルトンから距離を取る形になってしまったのだ。
「逃げられても厄介だな……」
ボソリと呟いた声だった。しかしその場にいた全員がたしかに聞いた。
兵団の面々は目を見開き驚愕する。魔物が言葉を発したのだ。通常では魔物が言葉を話すことなどないのに、目の前の魔物はたしかに言葉を発した。
それも逃げられては厄介、とは自分たちのことであろう。正気を失った一人が、命惜しさに背を向け逃げ出そうとした瞬間、スケルトンは一瞬で間合いを詰め、その背を斬った。
それを見た他の兵たちも逃げ出そうとするが、スケルトンの剣は誰一人として逃さない。
そこから繰り広げられたのはもはや戦いではなく虐殺であった。
竜巻のごとく、大剣を振り回すスケルトンは一振りで防具ごと兵を切り裂く。
それは盾で受けようとも結果は同じ、盾ごと身体を斬られるのだ。いや、斬るというよりそれは剣で潰すという表現のほうが的確なほど、スケルトンにやられたものの遺体は悲惨な惨状であった。
金属がぶつかり合う音が響き渡る。血飛沫が辺りに飛び交う。
兵が苦し紛れに放った槍の一撃も、そのスケルトンには一切触れることはできず、素早い動きでヌルリと避けられてしまった。
スケルトンが暴れ回ったその場には、血の海が広がり、無数の肉塊が転がっていた。
残った兵はたった一人、腰を抜かし小便を漏らし涙と鼻水で顔はぐしゃぐしゃだ。
スケルトンは兵の顔を覗き込むようにしゃがみ込み、顎をガクガク震わせながら泣く兵に問いかける。
「バルムンク領の前領主の死後の、領内の動きを言え」
兵は心の底から凍りつくような、そんな恐ろしい声色に喉をグッと詰まらせる。しかし己の命惜しさから絞り出すように喋りだす。
兵は喉を鳴らし、震える唇から言葉を押し出す。
「け、ケイン様はっ……! バ、バルムンク前領主ケインは……反逆の疑いで……っ、い、今の領主ハンスに……討ち取られたんだ……っ!」
声は途切れ途切れで、涙と鼻水がぐちゃぐちゃに混ざり合う。
「そ、その後……ハンス様は……近隣の領主たちの、ち、力を借りて……領を……立て直した……っ。 あ、あの方は……ケインの……あ、悪政のツケを……返すために……必死に走り回って……! い、今じゃ……皆の信頼を……集めて……いる……」
兵は恐怖に突き動かされるように言葉を吐き続ける。
「い、一方で……ケインは……っ、愚かで……ど、どこまでも……嫌われた領主だと……今も……皆が……っ!」
「なんだとっ!!」
スケルトンが怒りに声を荒らげた。兵は小さくヒッと声をあげ、身体を小さく丸める。スケルトンは怒りに身を任せ、その兵の首を掴むと手に力を込める。
兵の首は傾げるように曲がり、ゴキリと生々しい音を立て、折れた。
兵の目からは光が失われていった。
そしてスケルトンはさきほどの話しの内容を考えこむ。
「ハンスが新たな領主になっているだと…… それに俺が悪政を敷いていた……?何が一体どうなっている…… この領地は、俺の身体は、俺の家族は一体どうなっているというのだ……」
このスケルトンは前領主ケイン・ド・バルムンク。生前数々の戦で功を立て、平民でありながら領地を授かった。
しかしケインの授かった領地はそれほど豊かな地ではなかった。けして広いとは言えない領地には、沼地、湿地帯が点在し、農業での収穫はあまり期待できなかった。
さらには近くに森があり、そこから魔物の侵入経路があった。魔物の進行を防ぐたびに人手も取られる。戦に強いケインがその領地を賜ったのは、魔物の侵攻に対しての防波堤の役割の側面が強い。
しかし領民にとってはただでさえ、貧しい領地なのに、新しくきた領主は戦に重きを置く領主、領民たちの不満はあっという間に広まっていった。
ケイン自身は領地を運営する際、領民の事を考えてこなかったわけではない。彼なりの考えで領地が発展するよう、努力してきたのだ。土地を活かした農業。
領民を纏める者へ末端の人間抱える不満、経済状況など聞き取りを行い常に領民には寄り添ってきていた。
交易品の売買で得た金で税を軽減する目処もたちそうだった。
あと一歩、あと一歩でケインの思い描いた領地運営は実を結ぶところだったのだ。
領地運営が軌道に乗りかけたある日、魔物の侵入経路の一つに、領内としては、かなりの規模の魔物の侵入が確認された。
報告を受けたケインは、至急討伐隊を結成し、魔物の討伐に向かう。しかし魔物討伐に向かう道中、副官として同行していた騎士ハンスによる裏切りを受けた。
ケインは率いる領民兵から一斉に矢を受けたのだ。それもハンスの命令で。
騎士ハンスは、もともと傭兵を生業としていたケインの古い友人だ。それは相棒と呼べるほどの存在であった。
そんなハンスからの裏切りに、ケインは混乱した。同じ領地で生活をするハンスや兵たち、家族のように思ってきていた者たちから攻撃をされたからだ。
いたるところに矢を受けたケイン、身体中に矢が刺さりながら、怯みながらもケインはハンスに向かって吠える。
「なぜこのようなことをするっ!!」
ケインの問いには、ハンスを含めた誰一人として答えない。
剣を抜いた領民兵達はケインに次々と斬りかかる。その眼には明らかな敵意が見て取れた。
ケインも万全の状態なら難なく捌くことができる剣戟も、受けた矢傷が深く、思うように立ち回れない。
ケインの命を脅かそうとする剣を受け、躱し、反撃しようと剣を振るう。しかしケインの剣は家族を斬ることができなかった。
それぞれの兵には家族がある。そして小さな領地だ。知らないものなどいないほど皆近しい存在だったし、そのことがなおさらケインの中の困惑を大きくした。
「やめろお前達!!やめてくれ!!」
ケインの叫びは虚しく響く。
いくら大剣で攻撃を防ごうと、無数の攻撃を受け続けるケインに体力の限界が来た。
「ハンス!こいつらを止めろ!!いますぐにだ!!」
矢を射るよう指示したのはハンスだ。
しかしそのハンスに頼らなければならないほどケインは追い込まれていた。それでもハンスからの返事はない。
膝をつき、ハンスを睨む。息はあがり、鎧の隙間や守りきれない箇所から刺された傷からは、すでに手遅れと言えるほどの血を流していた。
もうまともに剣も振るえない。
ケインの元に歩み寄るハンス。無言で剣を抜く。その表情はなにも語らず、ただ冷酷にケインを見下ろしていた。
「なぜだ、ハンス……」
満身創痍のケインはハンスに問いかける。しかしやはりハンスからの返事はない。ただ無言で自らの命をおびやかしにくるハンス達にケインは怯えた。
「やめろ…… やめてくれハンス!!」
命乞いの言葉が出る。
なぜこんなことになったのだ、自分が一体何をしたというのだ、そんなことばかりが頭を巡り、この場から逃げ出そうと最後の力を振り絞り、一気に駆け出そうとしたその時、ハンスの剣はケインに向けて振られ、ケインの意識はそこで途絶えた。
***
それからの事はケインは覚えていない。気がつくと森の深くで目を覚ました。
あたりを見渡しても見覚えのない森の中だった。そもそもケインは森自体、魔物の侵入に対して、その魔物の討伐の時に近づくくらいで森に入ったことは数えるほどしかなかった。
ハンスと領民兵に殺されたところまで記憶している。
こうして目覚めると言うことはなんとか死なずに済んだのだろう、とケインはハンスや領民兵から受けた傷を確認しようとし、驚愕する。
自分の身体がないのだ、いや性格には肉がなく、骨だけになっている。手を見るとそれは骨だけの手。近くの水たまりを覗き込むと、そこには己を見つめる骸骨の姿があった。
「……!?」
声にならない声が出る。俺はあの時死んだのか?ならばなぜこの身体は動く。なぜ肉が身体から落ちている。答えのでない自問を繰り返す。
どれだけ考えてもケインの中に納得のいく答えは浮かばなかった。
そしてケインの脳裏には家族の顔がが浮かんだ。
「アメリアは…… アメリアはどうなったのだ…… 俺が殺された今、妻のアメリアはどうなっている」
自身が部下に殺された今、妻の命も危ない。ケインは急ぎ、領内の自宅に戻ることとする。しかし領内には自分を殺した裏切り者が多数いる。
それに自分の身体は原因はわからないが骨だけだ。なんとか領民の目を躱し、アメリアを救出しなくては。
ケインは方角もわからず、しかし居ても立っても居られず歩き出した。
****
どれだけの時間歩き続けたかわからない。森の中は起伏が激しく、生前であれば何度か休憩をとっていたほどの距離を歩いたが、今のケインの身体は不思議と疲れを知らなかった。鎧や剣の重さも以前ほど感じず、死後の身体は恐らく生前より高い身体能力を持っているのだろう、苦も無く歩き続けることができた。
あたりは薄暗くなってきたが自然と夜目が利いた。
しばらく進むと。明かりが見え、松明やランタンを囲む一団がいた。おそらく辺りが暗くなったため、この場所で野営をしているのだろう。
(こんなところに兵?領内の人間なら顔がわかるはずだが、見たこともない者ばかりだ……)
そんなことを考えながら兵団の様子を伺っていた。
すると、人間を見るケインの中に負の感情が拡がっていくのが自分でも分かった。その兵団には自分を裏切ったものはいないが、ケインの中の憎悪は本能のようにケインの自我を塗りつぶしていく。
未だ己の死と裏切りにより把握できない状況の連続、様々な感情でぐるぐると回っていたケインの意識は、簡単に憎悪に乗っ取られた。
気がついたときには兵の中の一人を斬り殺し、兵に包囲されているケインがいた。
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首の折れた兵の死体を見下ろしながらケインは呟く。
「ハンスが領主になっている。ということは俺の死後から時間が経過しているということか。どれほどまでかはわからんが……」
ケインは絶望した。それは自身の妻、アメリアのことを想ってだ。わずかだと思っていた時間は数年、もしくは数十年経っている。
妻の安否がわからない、しかしわからないからこそ確かめなければならない。ケインは兵団が歩いてきたであろう道を辿り、かつて自身が治めていた領地、そして自分を裏切ったものが統治している地へ向かうことにした。
妻の安否を確かめるため。そしてハンスに裏切りの代償を払わせるために。




