第5話:和平交渉はお茶会ではなく修羅場
──ローデリア東部・臨時会談用迎賓館。
石造りのシンプルな建物に、紅茶と焼き菓子の香りが漂う。
……とはいえ、中身は完全武装の外交戦。
「和平交渉って聞いたから、てっきり鎧姿の外交官が出てくるかと思ったわ」
そう呟いたアメリアは、緋色のテーブルクロスの前に優雅に腰かけていた。
対面には──敵国ヴァルトリアの将軍、レオニス=エル=ヴァルトリア。
例によって、王子とは思えぬ爽やかさと微笑みをたたえている。
「でも、紅茶があれば話し合いの成功率は28%上がると、帝国の文献にもありましたから」
「そんなデータ、どこ情報よ」
「貴女が前に言ってました」
「……ああ、わたし言ったかも。あの時“情報操作中”だったけど」
アメリアは苦笑した。
この男、以前拾った孤児だったとはいえ──
記憶力と執念がやけに強い。
紅茶を飲みながら、両国の軍事バランスについて軽く言葉を交わすふたり。
だが、その空気はどこか奇妙に甘く、警戒すべき“戦争の空気”とは程遠い。
「……正直、和平交渉を申し出たのは建前です」
レオニスがふっと、真顔になる。
「本当は、貴女に会いたかった。貴女の選んだ生き方が──どうしても、気になって」
「……そっちも、なろう展開に寄せてくる気?」
「寄せてません。これは、王としての覚悟です」
アメリアは返す言葉に詰まった。
レオニスの瞳は、本気だった。
戦いを通じて交わした敬意、それが誠実な感情に変化しているのが分かる。
だが。
「……でもそれは、“敵国”の立場では通用しない」
「なら、味方にすればいい」
「……は?」
「アメリア。帝国が君を縛るのなら、我がヴァルトリアへ来てほしい」
言葉の重さに、テーブルの上の空気が静かに凍りついた。
そのとき。
──チッ。
微かに、床下から金属が擦れる音がした。
アメリアの表情が、一瞬で戦闘モードへと切り替わる。
「……!」
彼女は素早く手元のティーカップを床に叩きつけた。
割れる音と同時に、足元の板が突き破られ、細剣が飛び出す。
「暗殺……ッ!」
とっさに椅子を蹴り飛ばし、レオニスを引き寄せてテーブルの陰に倒し込む。
その瞬間、床下から三人の黒装束が飛び出した。
「“漆黒の牙”……帝国内務省の非公式暗殺部隊ね」
アメリアは呟く。
そして懐から小太刀を抜いた。
それは、侯爵令嬢ではなく、“元・最強騎士”の目だった。
「レオニス。ここから動かないで。……守るのは私の方だから」
「……!?」
驚くレオニスをよそに、アメリアは一瞬で一人目を切り伏せ、二人目を肘で壁に叩きつけた。
三人目が毒針を放つ。
しかしその針は、アメリアの手の甲をかすめただけで、服の中の護符で無効化される。
「──遅い」
低く呟き、喉元へ一閃。
三人目の黒装束が崩れ落ちた。
沈黙。
部屋の中に残るのは、破れたテーブルクロスと、血のにおい、そして──
「……っはぁ、はぁ……」
床に座り込むレオニスの肩を支えるアメリアの手だった。
「毒針、かすっただけよ。大丈夫」
「……君は、なぜ……」
「わたしが“味方”じゃなかったら、あなたはもう死んでたわよ?」
冗談のように笑いながら、アメリアは一度だけ目を細める。
「敵国の王子に手を出したってことは──つまり、帝国の誰かが、あなたとの接触そのものを“排除”したかったってこと」
「和平の芽を、潰したかったんだな……」
「そう。……そして、たぶん“わたし”もそのリストに入ってる」
アメリアは、片手で自分の紅茶のカップを拾い上げる。
割れていないそれを見て、笑った。
「──ってことは、わたしもまだまだ厄介者ってことね」
暗殺事件の直後、臨時迎賓館は封鎖された。
だがそれと同時に、アメリアとレオニスの名は、両国の中枢部にとって“制御不能な変数”となる。
数日後、ローデリア砦。
「おかえりなさい、姐さ──副団長」
迎えたレオンは、表情が固かった。
「……嫌な報告、来てるの?」
「ええ。王都からの正式通達。
“アメリア=セレフィーヌ、国家反逆予備行動の疑いにより、調査対象に指定”──」
その言葉に、アメリアは小さく笑った。
「とうとう、“表”に来たわね」
そして、もう一人。
王都に戻ったリカルドは、内密にある書簡を手にしていた。
《アメリアの処分は、貴殿に一任する。
──ただし、“記録”は残すな》
「ふざけるな……! 貴様ら、アメリアをどうするつもりだ……!」
彼もまた、今さらながらに気づき始めていた。
アメリアという存在が──どれほど危険で、美しく、制御不能なのかを。