第2話:元婚約者、粘着モード発動。未練たらたら王都編
──王都、セレフィーヌ侯爵邸。
「……お嬢様が、突然退去を……?」
使用人たちは皆、茫然としていた。
部屋はすでにもぬけの殻。残されたのは、羽ペンと、短く書かれた手紙だけ。
《この役割には、飽きました。私、自由になりますわ──アメリア》
それだけの文を残して、アメリア=セレフィーヌは、姿を消した。
一方そのころ。王都・アルセイン家の居間では──
「はあぁああああああ!? どういうことだっ!!」
リカルド=アルセインが、机を思いきり叩き割った。
「俺が断罪したんだぞ!? あの女が、自分から破棄を宣言するなんて聞いてねぇよ!!」
青筋を浮かべ、怒り狂うその姿に、取り巻きの貴族子息たちは言葉を失っていた。
──婚約破棄は、リカルドが一方的に“捨てた”つもりだった。
それがまさか、アメリア本人の計算だったと気づいた瞬間、彼の中で何かが弾けた。
「俺が“捨てた”んじゃない……あいつが“俺を見限った”んだと……!?」
そのことが、何よりもプライドを傷つけた。
「待っていろ、アメリア……っ」
憎しみとも、執着ともつかぬ感情が、リカルドの目を濁らせる。
その男の嫉妬と未練が、後にアメリアの自由を脅かす災厄となることを、この時の誰も知らなかった──
──そして場所は、再び辺境ローデリアへ。
「……ったく。リカルドのやつ、まだ王都で騒いでるらしいじゃない」
アメリアは、野営地の焚き火を前に、紅茶をすすっていた。
剣は腰に、足元には打ち倒した魔獣の死骸。
まったく、令嬢らしからぬ構図である。
彼女の向かいには、副官のレオンが座っていた。
「まあ……騒ぐでしょうね。アメリア様が先に捨てたって、王都中の貴族が知ってますし」
「“様”はやめてって言ったでしょ。今の私はただの副団長よ」
「じゃあ、“姐さん”で」
「却下」
「じゃあ……隊の姫?」
「その呼び方だと私、死にフラグ立ちそうじゃない?」
ふたりはクスクス笑い合った。
王都では偽りの仮面を被っていたアメリアだが、ここではすでに打ち解けた関係が築かれていた。
「……でも、本当にいいんですか? 王都に戻らなくて」
レオンの問いに、アメリアは紅茶を一口すする。
「未練なんて、これっぽっちもないわ。王都には、息苦しい人形劇しかなかったもの」
「でもリカルド様、たぶん追ってきますよ」
「来たら返り討ちにしてあげるわ。戦場で“騎士団長”気取りが通用するなら、の話だけど」
目元だけで微笑むアメリア。
冷徹、でもどこか痛快。
そう、これこそが“彼女本来の姿”だった。
その夜、砦の監視塔にひとり登ったアメリアは、遠くの空を見上げる。
夜風が冷たく、鋭く頬を撫でる。
「……ようやく、取り戻した」
誰にも演じなくていい場所。
誰にも媚びなくていい生き方。
自分のままで、強く、自由でいられる世界。
──だが、だからこそ。
「ここで終わりにする気は、ないわ」
アメリアの目が鋭く細まる。
背後には、国家を揺るがす“新たな戦乱の兆し”が近づいていた。
そして数日後。砦に届いた一通の急報が、アメリアの運命を大きく動かすことになる。
「敵国・ヴァルトリアの若き将軍が、アメリア=セレフィーヌを“指名”してきた」
──彼女を“軍神”と呼び、彼女との一騎討ちを望むというのだ。
しかもその将軍は、かつてアメリアが救った孤児だったと知った時、彼女は──
「……はぁ、面倒くさいのが来たわね」
それでも唇は、どこか楽しげに緩んでいた。
そう。
役割から自由になった彼女にとって、“戦うこと”こそが、生きる理由だった。