第1話:この婚約、私から破棄させていただきますわ
「──アメリア=セレフィーヌ嬢。貴女との婚約は、今この場をもって破棄させていただく!」
正午の舞踏会会場。煌びやかな装飾と、貴族たちの好奇の視線のなかで、その男──王都騎士団長の長男リカルド=アルセインが高らかに宣言した。
貴族令嬢の人生を狂わせる“婚約破棄イベント”。
そしてこれは、乙女ゲーム『薔薇の戦場と銀の剣』の断罪ルート──
本来なら、悪役令嬢の私が「婚約破棄され、平手打ちされ、国外追放される」最悪のイベント。
けれど。
「──そうですの。それなら、私の方からお願いしようと思っていましたわ」
私、アメリア=セレフィーヌは、静かにグラスを置いて立ち上がる。会場がざわつき始める。
「この婚約、私から破棄させていただきます」
「な……!?」
リカルドの顔が一瞬にして真っ赤になる。思い通りにならなかった男の顔だ。
愚かしい。
「あなたとは政治的な利害関係しかありませんし、私に求めるものも家柄と飾りでしかなかったでしょう? ──いい加減、うんざりですの」
場の空気が凍る。
けれど私は、それすら冷笑するように笑みを浮かべた。
「本来の私に戻る、いい機会ですわ」
──その夜。私は王都を発った。
ひとけのない荷馬車に、ドレスではなく軍用の外套。髪も後ろで一つに縛った。
「まったく。淑女ってのは、よくもまぁこんなに肩が凝る役割だこと」
呟いてから、懐の短剣を取り出す。鍛錬用の癖がついた柄。私の手の中で、懐かしい重みが蘇る。
私は侯爵令嬢として育てられたが、“彼女”として生きるのはこれで二度目。
この世界は、前世で私がプレイしていた乙女ゲームの世界。
私はその中の「悪役令嬢」として転生した──ただし、今度は断罪ルートの未来を知った状態で。
「二度も同じ末路なんて、まっぴらごめんよ」
だから私は、婚約破棄イベントを逆利用し、自由の身になった。
目指すは、辺境領・ローデリア。魔物が跳梁する最前線。
そして──
「ただいま。わたしの戦場」
数日後。ローデリア西方、ブレイガ砦。
日暮れどきの戦場に、冷たい風が吹く。
白銀の甲冑に、黒の軍装をまとった女が、一人、敵の十人部隊を前に悠然と立っていた。
「こいつ、一体……なんだ……?」
騎士の一人が呻くように呟いた。
彼女──いや、“私”は、長剣を軽々と振るい、十人の兵士をたった一人でねじ伏せていたのだ。
躊躇いも、容赦もなく。
淡々と、的確に、心臓と関節を撃ち抜いていく動き。それはまさしく──
「……帝国の“影狼”だ……!」
その名は、かつて帝都の裏で恐れられた隠密騎士の呼び名。
そして今、その“伝説”が再び蘇った。
私は剣を収め、倒れた兵士たちを見下ろす。
「悪いわね。淑女じゃないの、こう見えて」
唇の端を上げて笑った。
「わたし、令嬢も騎士もやってきたけど──結局、一番性に合ってるのは戦場だったみたい」
馬に乗って後続部隊が駆けてくる。
その先頭にいたのは、副官のレオン。赤毛を揺らしながら、目を見開いたまま叫んだ。
「副団長……! ひとりで殲滅とか、やりすぎですって!」
「敵が弱すぎただけよ。文句ある?」
「いや、ないですけど! ……こっちはただの辺境防衛戦ですよ!? これ以上伝説増やさないでくださいよ……!」
思わず吹き出した。
──こうして、私の“第二の人生”が始まった。
肩書きも、役割も、婚約もいらない。
私はもう、“演じない”。
ただ、自分のために剣を振るうだけ。