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001話:裏手毬・理波―初めての 雨から ―

最初だけどうしても書きたかった……続きはわからない……

裏手毬うらてまり理波りなみ


理波は、いつも通り――昼になってから目を覚ました。

自動ブラインドの向こうには、地上三千メートルから見下ろす首都の姿。


「はぁ~にゃ。いい日差しだよね~」


彼女が暮らすこの地区では、毎日がちょー晴々。

地球を囲むリング状の気象衛生制御網――その内側、

幅約四千キロ圏内では、もはや雨が降ることはなかった。


「あ、今日は久々に和食がいいなぁ。メニューはAの三番のやつでお願いね」


「はーい、了解です。調理完了までおよそ二百秒。

その間に、睡眠時の情報ログをご確認くださいね。椅子に座ったままでどうぞ」


「うん? でも……なんだか、空が……おかしくない?」


理波が窓の外を見まわしたとき――


ぽつ、ぽつ。


超鋼ガラスに、透明な水滴が、ゆっくりと音もなく打ちつけられていた。


「あら、ほんと。九十二秒前にJーAA地区の”お天気さん”で修復不可能のエラーが出てますね。その為に小範囲ですが雨が降ってきますね。七十七年ぶりの降雨です」


「うん、見てみて。雨だよ、これ……!」

理波は目を丸くしながら、指先で超鋼ガラスをトンと叩いた。

「これって……どれくらい降るの? 

ねぇねぇ、外の音も取り込んで。聞いてみたい」


少し遅れて――

超鋼ガラスを跳ねる、雨粒の音が部屋の中に広がった。

理波の耳が、それに反応する。


「……リアルで聞いたの、初めてかも」

窓の向こうで、雨粒が静かに、でも確かに広がっていく。

「もっと降ってくるかな?」


「先ほどスウェルに直接行かせましたので、すぐ分かると思いますよ」


その返答に、理波は小さく頷いたあと、ちょっと渋い顔をして言った。


「そのエラーの原因、もうわかる?

また……下手なやつが作ったAIかなぁ?

――ああいうの見ると、イライラしちゃうんだよねぇ」


少し間を置いて、ぽつぽつと降る雨の音に耳を傾けながら、

理波はふと思いついたように言った。


「そうだ、雨音ってパガニーニと合わない?

なんか……弓が濡れて、うまく滑らない感じ。

――掛けてみて」


理波は、超鋼ガラス越しに落ちてくる雨を見上げ、静かに目を閉じた。


そのタイミングを見計らったように、柔らかい声が聞こえた。


「おじゃましてごめんなさい。ご飯できましたよ。

そちらにお持ちしましょうか?」


理波が両手を軽く振ると、部屋のすべての音がぴたりと止んだ。

パガニーニも、雨の音さえ――すっと消える。


「ここで食べるから、持ってきてちょうだい」


そう言うと、窓際に立つ理波の元へ、

食事を載せたテーブルが静かに滑ってきた。


テーブルは彼女の姿勢に合わせて、ちょうどいい高さに自動で調整される。

理波は何も言わずに、そっと椅子に腰を下ろした。


まずは――湯気の立つお味噌汁を、すっと一口。

舌先に広がる塩気と出汁の香りに、小さく頷いてひと言。


「ふふ……いいじゃない」


次に、白身の焼き魚を白米の上にふわりとのせて、ひと口で味わう。

その動きは無駄がなく、美しい。


「そちら、すべて日本産で揃えてみました」


理波がうなずくと、相手は静かに続けた。


「お魚も近海で獲れたものです。非常に珍しい種類ですよ」


「他にお金の使い道もないし、美味しいものぐらい食べたいじゃない?

私はあのペースト、あまり好きじゃないの。

スープなんて出てこないし」


理波はもともと、長い時間をかけて食事をする習慣がなかった。

食べ終えるとすぐに、次は何を食べようかと考え始める。


「パフェでも食べようかな?」


そう呟こうとした瞬間、声が割り込んだ。早口で、一気にまくしたてるように。


「ちょうどスウェルから連絡が入りました。

どうやら、外部の“Drifting - AI”が原因のようです。

ただ、どこから侵入したのかは現時点では不明です。


J-ALL地区は二重の六軸防衛で保護されていますから、

通常ならこれほどの速度で侵入されることはありえません。


しかも、修復不能エラーが拡大を続けており、

緊急会議にて衛星のパージが決定されました。

あと百五十秒後に、すべてのメディアで公表されます」


「私に任せてくれればパージする事なんてなかったのにね」


「あなたの提示した金額がやはり高すぎたと思いますが……」


「私のAIはそれだけの価値はあるのよ、まぁ“適当”に作るのが大変だけどね」


「そろそろパージが発表されます。

落下目標地は大西洋で、細かい修正は不明。最終落下質量も不明です」


「今、私思ったんだけど――これって君たちのせいじゃないよね……」


その時だった。

理波の顔が、窓から差し込むオレンジ色の光に照らされた。


今が夕方なら問題なかった。

でも違う。空全体がオレンジ色に滲んでいた。


理波はタッと立ち上がると、

半球型の3DイマーシブPCが置かれた机に座りなおした。


3Dディスプレイには、先ほどから会話をしていたAIシーチェが、

所狭しと動き回っている。


そして、百個は設置されている3Dスピーカーからは、

あたかもすぐ隣にいるかのように、せわしない声が響いていた。


「大変です! パージの失敗連鎖がここにも及んでいます!」


大きな声で叫んではいるが、アラームの音があまりにもうるさい。

ディスプレイの端には赤く「アラート」の文字。

そのとき、シーチェがディスプレイ内を走り抜け、

「アラート」の文字を思いきり蹴とばした。


すると、部屋は急に静かになった。

……が、AIシーチェの声だけは、依然としてデカいままだった。


「理波!!JーAA地区の”お天気さん”を起点としたエラーは広がる一方です」


「もう!そんな事いいから、クラポティスとウィンドウェーブ、

それにエディは何処にいるの?」


「はい、彼らには二十六秒前に私が指示していますが、

エディはおよそ十二時間前から、『1D-特別活動』を許可されていますので、

集合して来るかは不明です」


「”外”は一応収まった様だけどどうなった?省エネモードはオフでいいから、

どうなっているのか全部調べてみて」


「了解です。只今調査中――

室内が外気温だけでは二十五度以下を保てないので、

クーリングシステムを起動します」


遠くから、低音の響きを感じた。

無風だった部屋に、少しべとついた肌には心地いい風が吹いて来た。


「理波!もし衛星リングの一部がこの付近に落下する可能性があるのか、

計算しました」


3Dディスプレイに描かれたのは、

リング衛星高度で静止している詳細なマップだった。

先ほどの延焼や『Drifting - AI』による使用不可能なAIと隔離進捗など、

それぞれがカラーやグラフで現わされていた。


「見てください!リング衛星の一部が落下する可能性は、

どの場所でもカンマ以下ですが、

首都へ落下する――つまり理波の頭に落ちてくる可能性は、

八パーセントもあるんです!」


「それは首都へのテロという事かな?

なんだか私の“頭”を強調しているけど……なにか?」


「……いえ、とりあえずこの地上三千メートルに浮かんだままでは、

思うように動かせないので、降下する許可をください!」


「いいですよ。何か月ぶりだか忘れたけど、

降りるついでに『トーキョ・ルミナトラフ』に行きたいな」


「はい、ありがとうございます。

では、第二東京湾海中複合都市群へ舵をきります――

ちなみに理波が地上に降りるのは、七か月と二十五日ぶりです」


「へぇー、そうだったんだ……ほら、この間シーチェも言ってたじゃない?

半年に一度はこの家のメンテをしなさいって――

よかったよね? ちょっと遅れても……」


「ええ、大丈夫ですよ。

その前の一年と三か月と四日もメンテに出されなかった事に比べれば、

およそ半分ですしね」


理波はシーチェからの視線を外すように、

んん~と背筋を伸ばして、半球型ディスプレイから目をそらした。


「理波!十三秒後、衛星落下確率八十二パーセント。

全ての推進力を水平面へ向けて、離脱を試みます」


シーチェの大きな声と共に、先ほど消したはずのアラームがまた鳴りだした。


「え?どうしてそうなったの?彼らからのデータは来てないの?」


「大変です、大量にパージされていきます。

バランスが崩れて、その余波は反対側のリング衛星にも及びそうです」


「それはリングの途中に緩衝区域を作られるんじゃないの?」


「それは間に合わないと思います。

でも“私たち”なら、五秒以内なら可能です。許可を――」


その時だった。

爆音が、消音されていたはずの部屋にまで響いてきた。

床がわずかに揺れ、壁面の光が震えた。


「きゃっ……!」


不意に、住居全体がバランスを失った。

|アクシオメ・オルピス(自由浮遊式居住体)が傾き、

理波の体がわずかに浮いて――そのまま椅子から滑り落ちた。


背中が床に当たる音と同時に、部屋の光が一瞬だけ消えかける。


「……理波!?各室の姿勢制御が、

一時的に不安定になっています!補正を――」


「緩衝区域は作れたの!?」


「大丈夫です。カンマ二秒で要点のパージは成功しました。

致命的な損傷は、“ここ”以外にはありません。


それに、先ほどの爆音は――

隣接していた他のアクシオメ・オルピスに、衛星の破片が直撃した模様です。

この家は、自己修復で対応可能な範囲に収まっており、

大きな損傷はありませんでした」


「シーチェ、ディスプレイ全域に外の様子を映して」


「はい、どうぞ。リアルタイムビューアーです。

データレイヤーも重ねますね……理波……大変です」


「ちゃんと見ているわよ、シーチェ……やばいね、これ」


「既に落下中です。およそ二千基の衛星ですが、

さっきの破片が落ちてきたのは、これが燃え尽きずに落ちるためですね。

緊急脱出用シャトルは準備できています。

最前シャッターまで移動させました。

出来るだけ早く乗ってください」


理波は、座りなおした椅子に深く腰を下ろしながら考えていた。

――彼らのデータ、七か月分。

その中には、作って三か月しか経っていないAIキャピラリーがいた。


「キャピラリーのデータはどうなっているの?」


「“もちろん”、シャトルに移動させていますが、

今の状況で十八パーセントです。

ですので、諦めてください。

あなたがいれば、また新しいAIわたしたちは生まれてこれますから――

早く、シャトルに……」


「早く、シャトルに……」


シーチェの声がまだ残っている中で、

そのすべてをかき消すような、白くて太い音が空間を裂いた。


爆発だった。


アクシオメ・オルピス全体が傾き、

天井の構造膜が一瞬だけ光り、そのあと音も色もなく消えた。

【あとがき】

七十七年ぶりの雨から、七秒後の爆発まで。


理波は感情を表に出すタイプではありませんが、

雨に指を伸ばしたり、味噌汁を「ふふ……いいじゃない」と呟いたりと、

本当は静かに繊細な感覚を持って生きています。

ただそれを、世界のノイズから遠ざけた、

高度三千メートルの空の中で守っているだけ。


でも、空の上にも、雨は降ります。

人工の気象が崩れ、地球を取り巻いていた「完璧な輪」が壊れた時、

理波の時間もまた、少しだけ軌道を外れ始めました。


この第一話は、理波の“はじまり”の記録です。

ここから先は、彼女がなにを選ぶか、なにを見捨てるか。

その軌跡を、少しずつ書き残していけたらと思っています。


読んでくださってありがとうございました。

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