第8話 いつかの
まつの事を知っているかのように話す人攫鬼。
まつが人間を拒む理由、
そして悲しい過去が露になる───
「人間を⋯殺した⋯?」
わたしの背に隠れていたあきとが信じられないというような口調で呟く。
呆然と立ち尽くすわたしの頭の中には、蓋をして忘れ去られていた、思い出さないようにしていた、忌々しい遠い過去の記憶が溢れかえって来ていた───
───約500年前
玉藻の神の使い神のわたしは、とある山の中にある神社に分霊として存在していた。
山にあるとは言うものの、毎日参拝客は途絶えること無く、皆各々の願いを告げていく。
わたしの仕事は願いを聞き入れ、神術を用いて人間達の手助けをする事だった。
ある日、外の空気を吸おうと社の中から出て縁側で休んでいた時、不意に人間の男が目の前に現れた。
男はわたしの方に目を向けるや否や、驚愕した面持ちで固まった。
「⋯⋯あなたは⋯誰ですか⋯?」
わたしは、人間に声をかけられた事に驚いた。
普通、我々神物達は人間には見えぬようになっている。
所謂、霊体と同じような物のはずなのに。
「⋯お前、わたしが見えるのか?」
「えっと⋯それは、どういう意味でしょうか?あなたは幽霊か何かで⋯?」
どうやら、こいつには見えてしまったらしい。
生まれ持った霊力の才故か⋯。
人間が居たとしてもどうせ見えないからと無防備に外に出た自分の不注意を後悔した。
「⋯似たようなところではあるな。お前に危害を加えるつもりは無い。安心しろ。」
わたしは取り繕いながらも、男が騒ぎ立てないよう窘める。わたしの言葉に男は安堵したようで、ほっと胸を撫で下ろしていた。
「いやぁ⋯びっくりしましたよ。あなた、とても人間とは思えない姿をしていらっしゃるので⋯。狐の化身か何かでしょうか?」
「そんな所だな。」
「これはこれは⋯狐は皆美しいのですね。」
「⋯っ!?」
にこりと微笑みながら歯の浮くような台詞を綴る男。
これが、わたしが人間を嫌いになるきっかけをもたらしてくれた人間、喜三郎との出会いだった。
それからというもの、喜三郎は事ある毎にわたしの神社に足を運び、他愛のない世間話をしてくれた。
誰かとの会話をする事がなかったわたしにとって、それはとても楽しく、幸せな時間だった。
時には笑い、時には慰め、時には一緒になって悲しむ⋯。
どれだけこの時、人間に生まれていたらと思っただろう。
喜三郎の横で、居られたらと思っただろう。
わたしはどんどんと、喜三郎という人間に惹かれていった。
「狐様、わたしは狐様に出会えて幸せです。こんな楽しい時間を共に過ごせるのですから。」
喜三郎はよく、優しく微笑みながらこんな事を言っていた。
この言葉をくれるときの、優しい目がわたしは大好きだった。
「狐様、わたしが死ぬその時まで、狐様はここでわたしの話を聞いてくれますか?」
「⋯当たり前だ。お前も、死する以外のどんな事があっても、わたしに会いに来てくれるか?」
「どんな事があっても、会いに来ます。約束ですよ、狐様。」
「⋯ああ、約束だ。」
こんな、他愛もない口約束でさえ、わたしにはとても大切な物に思えた。
わたしは、この人間が大好きだった。
ある時、いつものように世間話に来た喜三郎がとても悲しそうな顔をしているのに気がついた。
服はドロドロになっていて、所々破れている。
「⋯どうした?山に来る途中で派手にすっ転んだか?」
「いやぁ、はは⋯これは手厳しい⋯。でもそうでは無いのです。」
「何かあったのか?わたしで良ければ話は聞くぞ?」
「⋯狐様は優しいのですね。ありがとうございます。」
しかしそれっきり、喜三郎は黙り込んだままだった。
神物としてのわたしなら、喜三郎の悩みを解決してあげることが出来るのだろうか。
しかし⋯悩みを聞けぬままでは何をしてあげられる訳でもあるまい。それに、願いをわたしに伝えてない人間に、ましてや一個人に神術を使うのは規則破りになる。
悩んだ末、わたしは喜三郎にある提案をした。
「そんなに悩むのであればここの神社で祈るのはどうだ?願いが届けば何かが変わるかもしれんぞ?」
「祈り、ですか⋯。確かに、神頼みというのは試してなかったですね⋯。もう、それに頼るしかないか⋯。」
「ああ、そうするといい。善は急げだ。表に回って祈ってくるといい。」
「ありがとうございます、狐様。今度はいい報告が出来るよう、尽力致しますね。また明日。」
「ああ、また明日。気をつけろよ。」
手を振り、去っていく喜三郎を見送る。
姿が見えなくなったのを確認して、私は急いで社の中に戻った。
神殿の前には、丁度喜三郎が着いた時だった。
「さて、と⋯わたしが何とかしてやるからな。」
こうすれば、願いを伝えた喜三郎の事を助けてやれる。
我ながら妙案だと思った。
わたしの中では、喜三郎を助けてやりたいという思いでいっぱいだった。
願いを聞き入れるべく、耳をすませ目を閉じる。
喜三郎の願いが、祈りが、わたしに届いた。
「⋯神様、どうか、私の妹、真知を救って下さい。私の妹が、昨日から山に行ったっきり帰っておりません。今日山の中を散策しましたが、手がかり1つございません。猛獣に襲われたか、山賊に襲われたか⋯定かではありません。私はどうなろうと構いません。どうか、どうか、妹を無事に帰してください⋯!」
⋯成程。妹が行方不明。
祈り終わった喜三郎が神社を後にするのをこっそりと見送り、わたしは神社を出た。
この辺りの山と言えば、この山しかない。
わたしは神術のひとつ、千里眼を使って山全体を見渡した。妹の姿形は喜三郎からよく話を聞いているから知っている。
木々1本1本の裏まで見逃さないよう喜三郎の妹を探す。
しかし案外簡単に妹は見つかった。
⋯妹は、手遅れだった。
山賊に襲われたのだろう。顔や肩まで伸びた黒髪は泥だらけになり服は脱がされ辺りに桃色の着物が散乱していた。全身には痣や裂傷が目立った。犯された跡も見える。
「⋯なんと惨い⋯。喜三郎がこれを見たら発狂するやもしれん⋯。しかしどう伝えてやるべきか⋯。」
悩みに悩み、頭が熱くなるくらいに悩んだ。
わたしはその時、見落としてしまっていた。
喜三郎に近づく、山賊の群れを。
わたしが気づいた時には山賊と喜三郎が対峙してしまう直前だった。
「しまった⋯!まだこの山に潜んでいたのか!」
わたしは身を翻し、喜三郎の元へと急いだ。
到着した時には、山賊と喜三郎は対峙していた。
わたしは木の陰に隠れ様子を伺った。
「なあ、いいから金目のもの寄越せよ。そしたら痛い目見なくて済むって言ってんだろ?」
「し、しかしこれは、妹の着物のためにこしらえた金なのだ⋯!お前らには渡せぬ⋯!」
「しつけぇなあ。金なんてまた稼げばいいだろうが。命を取るか金を取るか、どっちなんだよ?」
卑劣な奴らだと思った。
わたしはいても立っても居られず、喜三郎の前に飛び出した。
「喜三郎!そんな奴らに大事な金を渡すことは無いぞ!」
「き⋯狐様!?どうしてここに⋯!?」
「偶然通りかかったら、お前が襲われているのが見えたからいても立っても居られず⋯。案ずるな、わたしが助けてやる。」
「なにを急に独り言ほざいてんだぁ?気でも触れちまったのかお前。」
わたしの姿は当然見えていないのか、今にも襲わんと山賊が近寄ってくる。
「この前の女といいお前といい⋯抵抗されると面倒なんだよ。殺す手間考えろよ?」
「⋯この前の、女⋯?」
「なっ⋯まて、喜三郎!聞くな!」
わたしの静止は、喜三郎には聞こえていないようだった。
「この前の女って⋯最近殺したのか⋯?」
「ん、ああ⋯つい昨日の話だな。山で珍しく女がうろちょろしてたからよ、犯し尽くしてやろうと思ってよ。捕まえた迄は良かったんだがめちゃくちゃに抵抗してきてな。殺しちまったよ。」
「⋯見た目は⋯どんな⋯。」
「ああ?肩くらいの髪の長さで、桃色の着物を着てたか⋯?いちいち詳しく覚えちゃいねえよ。というか、それがお前になんの関係があんだよ?」
「⋯おま、えらが⋯真知を⋯。」
みるみるうちに、喜三郎の目に光がなくなっていった。
大切な妹を失った絶望感からか。それとも、大切な妹の仇を取れそうもない悔しさからか。
わたしの中に、怒りが込み上げてくるのが分かった。
神が人を殺すと、駄神に堕ちる。
駄神に堕ちると、神としての力を失う。
神としての力を失うと、もう使い神ではいられなくなる。
でも、そんな事はどうでもよかった。
喜三郎の心の声が、痛い程に頭に響いた。
⋯殺してやりたいのだな。奴らを。
それがお前の次の願いなのだな、喜三郎。
わたしはゆっくりと、山賊共に近寄った。
「⋯狐様、なにを⋯?」
「⋯安心しろ喜三郎。お前の妹の仇はわたしが取ってやる。」
「えっ⋯。」
次の瞬間、わたしは奴らの魂を引っこ抜き、天へと放り捨てた。
一瞬の出来事で、喜三郎には何をしたかは見えていないようだった。
わたしの手が離れるやいなや、山賊共は全員地に倒れ伏した。
「⋯狐⋯様⋯?」
「喜三郎、妹の仇は取ったぞ。これでお前⋯も⋯?」
笑顔で振り向くわたしの目に映る喜三郎に、わたしの大好きな優しい目は宿っていなかった。
代わりに映っていたのは、どうしようもない恐怖に怯えきった目。
「⋯どうした、喜三郎、何が怖い?」
わたしが近寄ろうとすると、喜三郎は涙目で叫んだ。
「ち、近寄るな!!化け物め!!!こっちに来るなぁ!」
「えっ⋯。」
「ひ、人殺し⋯!化け物⋯!誰がお前に殺してくれと頼んだんだよ!!やはりお前は、人間に手をかけるんだな!私の事も殺して食べてやろうと、画作していたのだな!!私に近寄るな!!!」
「⋯き、さぶろ⋯?」
名を呼ぶより早く、喜三郎は身を翻し脱兎のごとく走り去っていった。
⋯わたしは⋯間違ったのだろうか⋯?
仇を、打って欲しかったのではなかったのか⋯?
願ったのは⋯喜三郎、お前ではなかったのか⋯?
次の日から、喜三郎は神社に来なくなった。
わたしは、喜三郎の事をずっと待っていた。
「約束⋯したではないか⋯。ずっと待ってるって⋯。
どんな事があってもここに来て、話を聞かせてくれるって⋯。」
わたしの頬には、大粒の涙が伝っていた。
数日後、喜三郎が来ない毎日の悲しみを縁側で堪えながら、膝を抱え蹲っていると聞き覚えのある足音が聞こえた。
おもむろに顔を上げると、鳥居の下に喜三郎の姿があった。
「き、さぶろう⋯?来てくれたのか⋯?」
「⋯先日は、すみません。気が動転していて⋯。貴女に酷いことを言ってしまいました。」
「⋯いい、いいんだ。お前が来てくれたから、それで。
わたしは何もかも気にしてないよ⋯。」
泣きながら、喜三郎に駆け寄る。
その瞬間、背後から人影が飛び出してきた。
その人影は、怨霊や悪霊を祓うことを生業とする祓い師だった。
「居ました、こいつです。こいつが人間を⋯。」
「ふむ⋯姿は見えぬが確かに邪悪な気配を感じる⋯。
ここは危険だ、下がっとれ。」
「宜しくお願いします、先生。」
そのやり取りを見て、わたしは嵌められたことを悟った。
「⋯喜三郎、お前、わたしを、祓うつもりで⋯。」
「そうでもなきゃお前のような化け物に近づく訳ないだろう。さっさと祓われて地獄の中で苦しめ、化け物め。」
⋯酷く、苦しい、胸に突き立てられるような言葉だった。
こいつは⋯人間は⋯こうも簡単に裏切るのか。
あの約束は、あの優しい言葉は、嘘だったのか。
あの優しい目は、もう二度と向けてくれないのか。
⋯約束なんて、喜三郎にとってはなんでもないただの言葉だったのか。
わたしは、ずっとずっと、喜三郎との「約束」を守り通すつもりでいたよ。
でも、もう、それもお終い。
悲しい。苦しい。浅ましい。妬ましい。恨めしい。
もう⋯何も信じたくない。
「さあ、術式を打ち込むぞ⋯。破ァっ!!!!!」
祓い師が何かを打ち込んできた。
だが、それはわたしに届く前に拡散して消えた。
「せ、先生!祓えてません!届いてませんよ!」
「なに⋯?そんなはずは⋯。これでどうだ!」
次々と術式らしきものを打ち込んでくる祓い師。
いい加減煩わしくなり睨みつけながらわたしは言った。
「⋯その程度で、わたしをどうこうできると思ったか。」
ゆらり、と2人に近づくわたしに、喜三郎が投げかける。
「⋯な、なんなんだよお前は⋯!!化け物め!早く消えろ!」
もう、喜三郎の言葉はわたしには刺さらなかった。
ただ、胸の中にふつふつと湧いてくるのは
怒りに似た悲しみか。悲しみに似た怒りか。
「⋯わたしは天津ノ神ノ巫女。玉藻の神の使い神だ。
神を陥れ蔑む行為の浅ましさを、思い知れ。」
「か、かみ⋯っ!?」
「先ずは貴様からだ。わたしを手にかけようとした事をあの世で悔いるがいい。」
わたしは、祓い師を殺した。
それを見て、顔から血の気が無くなっていく喜三郎。
「⋯す、すみません!ごめんなさい!許して下さい!
狐様、命だけは、命だけはどうか!」
土下座をしながら命乞いをする喜三郎。
もはやそれに哀れみなど無く、ただ煩わしいだけだった。
「貴様を信じてた、わたしが間違っていたよ。人間なんて、信じるんじゃなかった。わたしは、神様には向いてなかったのかもしれないな。」
「ま、待っ⋯⋯⋯!」
「⋯気安く、わたしを狐様などと呼ぶな。」
わたしは、喜三郎に手をかける。
目にはもう涙はなく、次の瞬間視界に映ったのは、地面に倒れ伏した男だった。───




