92 麗しの御当主様
ヴィセンテは複雑な顔でベルシエラを見つめた。自分は由緒ある魔法の旧家で当主になった男である。花嫁の実力と心根はヴィセンテの魂を激しく揺さぶった。それなのに、愛する新妻は余所の家のご先祖を崇めて興奮している。
(ねえ、うちだって大昔だけど魔物討伐で活躍したことあるんだよ?)
ヴィセンテの拗ねた様子は、ベルシエラの庇護欲を直撃した。ふるふると小刻みに震える夫の指先を、ベルシエラは優しく握り返す。
(この辺りに魔物が一切出ないのは、ギラソル魔法公爵家の功績だ、って習ったわ)
ヴィセンテの眼差しが歓喜に溶けた。弱々しく青褪めてもなお麗しい顔には、窓から溢れる朝陽が差していた。銀色の髪を縁取る黄金に輝く陽の光は、後光のようにも見えるのだった。
ベルシエラは思わず心の中で叫んだ。
(ひいっ、眩しい!尊い!勿体無い!)
(ええっ、なに?)
(あああ、また聞かれたー。どうしよう。恥ずかしい)
(シエリータ)
ヴィセンテの輝きが増した。顔だけではなく身体全体が光を放っている。背景には、彩とりどりに花咲き乱れ八千草薫る春の広野の幻影が広がった。芳しくも爽やかな森の香りまでしてくる気がした。
(雪の夜空に虹が立ち、氷の月を花々が飾り、冬の木立は青々と芽吹く)
夢見心地のベルシエラには、冷たさと温かさの同居した夫の佇まいに心が洗われるような心地がした。そしてまたヴィセンテは、夢見るような眼差しで妻の反応を愛ていた。
(あっ、妻子来た)
ベルシエラは突然すんと冷静になる。目の端にエンリケ叔父の妻子らしき母子を捉えたのだ。
(流石に朝食だから家紋を付けたマントは着ていないわね)
(見て、ベルシエラ)
ヴィセンテの眉間に縦皺が刻まれる。
(叔母様の胸元に家紋のブローチがある)
(本当だわ。子供たちのベルトにも並んでいるわ)
よく見ると、子供たちの腰を絞る幅広の布に連続模様がついているのだ。ギラソルと茶色い杖を組み合わせた紋章である。手の込んだ織り出し模様の高級品だ。
ヴィセンテの周囲から光が消えた。晴れた空に舞っていた風花が、本格的な雪に変わったようだ。
落ち着いた物腰で、ヴィセンテはエンリケの妻子を迎えた。妻子はにこやかに会釈をすると、エンリケ叔父の隣に着席した。
「ブローチと、ベルトは、お外し下さい」
昨日より呼吸が楽なようで、途切れる回数は少ない。ヴィセンテの言葉は、いくらか聞きやすくなっていた。はっきりと指摘された妻子のブローチとベルトは、衆目の的となる。皆こそこそと何が問題なのかを囁き合う。
「叔父様も、どうか、ご家族に適切な、アドバイスを、なされませ」
エンリケ叔父は気に食わない様子を包み隠す。優しい笑顔を崩さずに、妻子に向かって軽く頷いた。
「エンリケ様」
カタリナ叔母が不満を露わに夫の名前を口にした。咎め立てるような、反発するような、拗ねて甘えるような言い方だった。子供たちも憎さげにヴィセンテを睨む。
(まあ、とんだ恐れ知らずね)
ベルシエラはフフンと鼻で嗤った。
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