89 朝食の席次
翌朝は晴天だった。ベルシエラは一走りを終えて、例の花粉も手に入れた。
(あら、白いものが落ちてきたわ)
もう少し遅かったら、花粉が採れなくなるところだった。この花粉は乾燥させても効くのだが、採れたてがいちばん良い。一緒に煎じる薬草は、一周目の知識でベルシエラが持参した。
先代夫人作の「愛をくれた貴女のために」では、亡き妻が遺した介護日記から製法を知る。その描写はあるが詳細は書かれていなかった。
(お姑様、薬草には興味がなかったのね)
小説では、ヴィセンテと周囲の人々の心理描写が細やかになされていた。だからこそベルシエラは、今回のヴィセンテを幸せにしようと決めたのだ。一周目の記憶だけだったら、全くそんな気にはなれなかったことだろう。
(わざわざ自分には毒にしかならない高濃度万能魔法薬を服用して、自ら命を手放したなんて、知らなかったしね)
一周目の夫は、自分がベルシエラを死に追いやったと思っていた。そこで、自身がいちばん苦しむ方法でこの世を去ることにしたのだ。
(ちょっと芝居がかっているわよね)
ベルシエラは小説を離れて、現実の夫の人生だと考えると呆れてしまった。
(真面目過ぎて思い詰めちゃう人って、ナルシストみたいになるのかしら)
ベルシエラは薬草と花粉を処理して、一杯分の配合をした。
(エンツォがあの小説を読んだら、恥ずかしくってしばらく布団から出てこないかもね?)
今回の行動ではないとはいえ、自分のしでかしたことではある。ヴィセンテにとっては、とんだ黒歴史だ。
約束通りに早起きしたヴィセンテは、トムに付き添われて朝食の席に現れた。既に周知が行われていて、城に住む全員が朝食室に集まっていた。
ヴィセンテは入り口で一旦立ち止まる。席次を確認するためだ。床より足の幅ほど高い当主席、同じ高さの夫人席、横並びの一段下に当主代理のエンリケ叔父、床には当主席と直角の方向にテーブルが幾つも並ぶ。
最前列に各部署の責任者、後は部署毎に座っていた。招かれざる客の席も一応はある。まだ空席だ。彼らは当主一家ぶって最後に来るつもりなのだろう。
ベルシエラは麻袋に詰めた魔法酔い緩和薬を懐に忍ばせて席に着く。
「おはよう、シエリータ」
気分も機嫌も良いらしく、ヴィセンテは途切れさせずにベルシエラの愛称を呼ぶ。
「おはよう、エンツォ」
「よく、眠れた?」
「ええ、ぐっすり。あなたも調子良さそうね」
「うん、今朝は、いい感じ、だよ」
ヴィセンテはベルシエラの指先にそっと唇で触れた。ベルシエラは短い悲鳴をあげて手を引っ込める。
「エンツォ!」
「何だよ。妻に、挨拶しちゃ、ダメなの?」
「ダメじゃないけど」
「じゃ、いいでしょ」
ヴィセンテはやり遂げた顔でベルシエラを見た。
「満足そうね」
「うん、愛する妻と、朝ご飯、なんて、夢みたいだよ」
「あんまり朝から張り切ると、一日中倒れてることになるわよ」
ベルシエラは頬を染めて眼を逸らす。恥ずかしくてヴィセンテを直視出来なかった。
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