88 歪な魔法使い
(エンリケ・セルバンテスは)
ベルシエラは体面を取り繕う仮面をかなぐり捨てた。
(私のこと、賎民て呼んだけども。森番の娘は賎民ではないし、私は王宮教育機関魔法職養成課程を首席で卒業して、名前を賜る名誉にまで浴した魔法使いなのよ。エンリケ程度の魔法使いに見下されるいわれはないわよ)
そうなのだ。エンリケは、そもそも魔法使いとしての感覚が歪なのである。魔法の名門に生まれた初老の魔法使いとは思えない考え方だった。
(杖神様に認められてもいない三下のくせに、家族にまで本家の家紋を付けさせて当主顔するなんて、片腹痛いわよ)
そこまで聞いて、ヴィセンテの蒼い顔から更に血の気が失せた。
(ちょっと待って、シエリータ。今、家族に本家の家紋を付けさせてる、って言った?)
(言ったわ。見たもの。今朝、朝食の後でのこのこやって来た女の人と子供2人が、マントに本家の家訓までついた正式なギラソル魔法公爵家本家の家紋を、これ見よがしに縫い付けてたのよ)
ヴィセンテは険しい顔になる。端正な顔立ちが怒りを纏うと恐ろしい。まして病んでげっそりした顔である。幽鬼のごとき凄みが生まれた。
(許してない。それは聞いてない。だいたい銀盃の儀式にも出席しなかった者が、杖神様から賜った正式な家紋を身に着けるなんて、考えられないよ)
(考えられなくても、事実なのよ。明日見られるんじゃないの?その考えられない光景をさ)
(分かった。よし、もう寝よう。よく休んで、明日は必ず朝から起きて確かめるよ)
(そうね。それがいいわ。それじゃ、おやすみなさい)
(おやすみ、シエリータ)
ヴィセンテは少し表情を和らげると、ベルシエラの指先に唇を寄せた。微かに触れただけなのだが、ベルシエラは肩まで真っ赤に茹で上がってしまった。
(ちょちょちょちょ)
(ククク、おやすみ、可愛い僕の奥方様)
(もうっ!いたずらしないでっ!)
ベルシエラは自分の手を取り返す。ヴィセンテの唇が触れた場所を反対の手で覆ってそそくさと立ち上がると、一目散に逃げ去った。
(ほんとに可愛らしいなあ!シエリータ、また明日ね!)
(しらない!さっさとお休みなさいな!)
ベルシエラは憎まれ口まで利いて、速足で廊下を進む。ベルシエラは全身に魔法を巡らせている。恥ずかしさで混乱してしまい、魔法は暴走寸前だった。歩く危険物と言っても良い状態だ。エンリケ派の魔法使いや見張に立った廊下の衛兵は、何もできずに見送るしかない。
ひとり寝室に残ったヴィセンテは、どうにかひとりで寝具に潜り込む。その顔にはふわりと優しい笑みを浮かべていた。
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