85 発病した時にいた人は誰
ソフィア王女が隊長からプロポーズを引き出した頃、ギラソル魔法公爵夫婦は、ちょうど昔話を終えたところだった。
窓の外には鎌の形をした月が冷たく光っている。昔話で語られたご先祖様は、魔物の毒まで消し去る浄化の魔法を使っていた。ベルシエラが通わせて貰った養成課程では、そこまで強力な解毒や治癒の魔法の存在を聞いたことがない。
(エンツォ)
(なんだい)
(ご先祖様の浄化の魔法、今でも使える人はいらっしゃるの?)
(うーん、僕は知らないけど。エンリケ叔父様ならご存知かも知れない。明日伺ってみるよ)
ベルシエラは、ヴィセンテのエンリケ叔父に対する信頼を歯痒く思った。なんとか水薬を避けられないものか。一周目でも小説でも、この後数年間エンリケ叔父の水薬を飲まされ続ける。それでも復讐を成し遂げるまで生き延びた。
(黒幕に辿り着くまでは、花粉入り薬湯と併用してエンリケ叔父を油断させるほうが良さそうだけど)
ヴィセンテ本人には伝えておいた方が良いだろう。
(え、なに?黒幕?油断て?)
(あっ、会話中は考えてること筒抜けだった)
(うん、そうなんだけど、どうしたの?難しい顔して)
ベルシエラはうっかりしていた。心の会話を交わしている間に考えたことは、全て伝わってしまうのだ。今回はたまたま、伝えようとしていた内容だからよかったが。
(ねぇエンツォ。いつも服用している水薬、怪しいと思わない?)
(水薬?魔法酔いの薬のこと?なんで?)
やはりいきなり言っても伝わらない。ベルシエラは質問を変えた。
(それはいつから飲んでるの?)
(小さい頃からずっとだよ)
(ご家族もみんな?)
(うん。でも僕以外には、あんまり効かなかった)
それは逆なのだ。ヴィセンテは魔法の力が規格外なのである。小説によれば、ヴィセンテは身の内に宿る強大な魔法によって水薬の有害成分を殆ど中和していたのだ。そのため、弱る程度で済んでいた。
(あ、でも、エンリケ叔父様は完治したからね。子供の頃に分家で療養してる時に処方されて、すっかり治ったんだって)
(エンツォのご両親は療養に行かなかったの?)
(行ってないよ。分家の人が滞在していた時に叔父様だけ発病して、気候が穏やかな分家の領地に預けることになったんだって)
(分家って、具体的にはどこの分家?)
(ギラソル領の南端、ヒメネス海岸地方にある分家だよ)
エンリケ叔父が発病したとき、元ヒメネスのセルバンテス分家の人が滞在していた。ベルシエラはこれを偶然だとは思えなかった。
(エンツォ、もしわかればで良いんだけど)
(ん?なに?)
(もし覚えてたら教えて欲しいんだけど)
ベルシエラは慎重に言葉を選ぶ。
(エンツォが発病した時も、元ヒメネスだった分家の人が一緒にいたんじゃない?)
(うん。いたよ。ちょうどエンリケ叔父様ご一家が遊びにいらしてて)
(やっぱり)
(やっぱり?)
ヴィセンテは不思議そうにベルシエラを見つめた。
(ねえ、お祖父様方の代は?発病なさった時、元ヒメネス分家は滞在していなかった?何かご存じのことない?)
身を乗り出して質問責めにする妻を見てヴィセンテは目元が赤くなる。
(愛らしいな)
返事を待って真剣に見つめてくる妻の瞳に、ついつい見入ってしまうヴィセンテだった。
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