73 暴食の大地は命を育む
テレサと志が同じだと確認し合って、ベルシエラは昼前に城へと戻ってきた。道々テレサが雑談をする。
「先代様がお元気でいらした頃は、城の者一同が食堂に集まって、それはもう賑やかなものでした」
エルグランデ王国では、先王の時代まで城はひとつの家族だと考えられていた。この国は、諸外国よりも魔物の被害が多い。かつては親や子を亡くす人々が後をたたなかった。そうした人々を受け入れているうちに、それぞれの城は大きな家となったのだ。
「大きな食堂で摂る午餐と晩餐の他に、おめざの後で朝食に昼食、夕食が振舞われておりました。昼食の前にも後にもおやつの時間まであったんですよ。そうそう、夜食やおねむも大人にまで下さいましたっけ」
テレサは誇らしげに目をキラキラさせている。カスティリャ・デル・ソル・ドラドでは一日中食べていたようだ。ベルシエラは聞いているだけで胃もたれがしてきた。
「それがエンリケ様がお見えになってからは、当主が病気だからとか、よそのお城じゃ夕飯と晩餐しかないとか、当主代理と城の者たちは同じ食卓についてはならないとか言い出して」
テレサは声を潜める。
「とうとう、エンリケ様以外の食卓にはお肉も出なくなったんです」
エンリケはじわじわと20年近くかけて、伝統を塗り替えてしまった。テレサはこの城で生まれたので、他の事情を知らない。彼女たち古いスタッフにとっては、食事の質が極端に落ちたように思えたのだ。
ソフィア王女によると、ギラソル領はかつて暴食の大地と呼ばれていたそうだ。この地の人はとにかくよく食べる。現在でも朝昼晩の三食は食べないと不満が出るそうだ。
他の地域では、庶民の食事は多くて2食、それもパンと水とか、薄い豆スープだけとか、非常に質素な物だった。森番小屋では謎の肉が朝晩出たが、それはかなりの例外だった。王家の森で害獣駆除を請け負う特典として、特別に許される事だったのだ。
また、この地の特産品であるギラソルは、花も楽しめるし種は油にも食糧にもなる。
「食べられてこそ花」
という俚言があるほどの地域なのだ。
首都やその他の地域では、貴族でさえも二食だけである。夕方近くの軽い午餐と重めの晩餐が全てであった。そこまで切り詰めると流石に暴動が起こりそうである。
「砦じゃこっそり1日5食おやつつきを続けているみたいなんですけど」
テレサは心底羨ましそうにため息をつく。
(食事療法や薬草の使い方が豊富なわけだわー)
ベルシエラは、この土地で多種多様な民間療法が育った経緯に納得した。
(そんな土地で兵糧責めとか、ほんとに、一周目の私は嫌われてたのねぇ)
改めて、食べ物をくれたテレサに心の中で感謝した。
テレサが下がり、ベルシエラは自室の窓辺に腰を下ろした。萎んだ花をどうしたものかと眺めていると、ヴィセンテから心の会話が届く。
(シエリータ)
(はい、エンツォ)
(ごめん、みんなに言われた通りになっちゃったよ)
残念そうな声を聞くと、ベルシエラはヴィセンテの頭を撫でてあげたくなった。実際には目の前にいないので、ぐっと我慢する。
お読みくださりありがとうございます
続きます
閑話
西洋中世初頭お食事事情
宗教的な理由から、同じ建物に住む者は身分に関わらず同じ部屋で食事をする決まりがあった。同じ家に住む者は家族とみなされたからである。食事中に部屋を出ることすら処罰の対象となった。
やがて身分制度が固まってくると、食事はもてなしの意味を持ち、個室で食べたり召使いたちは別室で別のものを食べたりするように変化した。
パンは皿がわりのカチカチに硬いものだった。平たく円いパンのような皿が、14世紀ころの絵画に遺されている。上に煮た豆や野菜などを載せて食べ、食べ終わる頃にふやけたパンがようやくかじれる硬さになったとか。
教会や貴族は夕方の軽い食事と夜のしっかりした食事だけを口にしたという。特に早朝は祈りの時間だったので、朝食はとらなかった。労働者は体が持たないため、朝食や昼食もパンと水などを摂る習慣があったらしい。これも当時の絵に残っている。
干し果物、チーズ、キャベツ、豆、燕麦にライ麦などが庶民の食べ物であった。貴族は肉も食べた。
15世紀ころの絵画には、テーブルナイフ、ゴブレット、肉の塊、パンの塊が描かれている。貴族が自らパンをナイフで削ぐ姿も絵に残る。
テーブルクロスで指を拭ったという記録もあるが、国や地域によって違いはあった。八世紀頃にはテーブルクロスは存在したという。
1950年代の戦後を描く映画でも、庶民がパンを直にテーブルに置き、水とパン一切れだけで1日を過ごす様子が度々出てくる。
ヨーロッパ全土が寒冷による飢饉に見舞われたとき、スペインではひまわりの種とその種から取れる油によって飢えなかったという記録も実在する。
各地の歴史博物館、文化資料館、美術館などのホームページには、豊富な図版や専門家監修の動画が公開されている