72 テレサはヴィセンテ派
花樹の生える急斜面で、ベルシエラは一旦立ち止まる。
「ちょっと待ってて」
「えっ、あのっ、危のうございます」
急斜面をすいすいと降りてゆくベルシエラに、テレサは目を見張る。ベルシエラは萎んだ花をひとつ摘み取って、すぐに戻って来た。
「この花ね、真冬の夜明けにだけ咲くのよ」
「はぁ」
テレサは怪訝そうに萎れた花を眺める。
「テレサは魔法使いだから解るでしょう?うまく使えば、魔法酔いに効くかもしれないお花なの」
「確かに魔法の気配があるお花ですけど、何が起こるかまでは、分かりかねます」
「ええ、そうよね。詳しくは分からないわ。でもね、覚えておいて欲しいのよ。私は御当主様の健康を取り戻したいの」
テレサはハッとベルシエラの顔を見た。
「奥方様……!」
前回のテレサは呼びかけるとしても、せいぜいあの、とかちょっと、とかだった。ベルシエラさんと呼ばれた事もごく稀にはあった。しかし、女主人としての扱いではなかった。
「覚えておいてくれるだけでいいわ。貴女が危ない目には遭わないように気をつけるから」
「そんな!勿体のうございます」
テレサは根っからのヴィセンテ派なのだ。今回は早い段階で信頼を得ることができた。
(まずまずの第一歩ね)
ベルシエラは満足そうに頷くと、城へと戻ってゆくのだった。
ベルシエラは、黄金の太陽城について知らない事が多かった。城の人々もベルシエラに無関心だったが、ベルシエラもまた彼等の名前や役割をほとんど把握していなかったのである。
(紹介もされなかったしね)
知っているのはエンリケ、テレサ、トム、門番と廊下の騎士や幹部魔法使いくらい。毎日運ばされるヴィセンテの洗濯物は、衛兵に見張られながら自分で洗わされた。洗濯係が場所を空けないので、面倒臭かった。
(洗濯係、顔も覚えてないな。みんな背中向けてたからね)
彼女等は城の洗濯場にしゃがみ込んで、平たい木製の板でシーツや下着を叩いていた。初日に無視されてから、ベルシエラは魔法でさっさと仕上げまで終わらせることにした。
ベルシエラは水や風を操り、素早く作業を進めた。植物油と灰汁で作った石鹸を泡立てて誰よりもすっきりと洗い上げた。石鹸作りも洗濯係の仕事である。よく落ちる石鹸を作れる人がリーダーであった。ベルシエラの仕上がりはシミもシワも見当たらず、リーダーの反感を買った。リーダーが率先して、わざと泥水を跳ねさせたりしたのだ。
(あの人たちは、ヴィセンテ派なのかエンリケ派なのか分からなかったな)
洗濯係は、一周目ベルシエラの前で徹底的に無言を貫いていたからだ。
(今回はどうなるかしらね)
テレサが起爆剤となってくれれば、ヴィセンテ派のスタッフが一挙に味方となるかも知れない。ヴィセンテ派が強く出られないのには理由があった。今までは、エンリケのもたらす水薬だけが頼りだったからだ。
(この花粉を混ぜて煎じた薬の効果が出れば、状況も変わるわよね?)
一周目のベルシエラは、城に住む人々の力関係に無関心だった。ベルシエラにとってはヴィセンテ派もエンリケ派も敵対者だったので。だが今回は、ヴィセンテ派の把握は重要だと考えた。
(味方は多い方がいいものね)
多くの人と関われば、前回や小説では見えていなかった部分が見えてくるかもしれない。
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続きます
閑話
石鹸小史 15世紀ヨーロッパ洗濯事情
最古の石鹸の痕跡は、紀元前2800年頃にバビロニアで発見された。ギリシャでは月桂樹油で作られたという。11世紀ころにスペインに渡り、稀少な月桂樹油の代わりに豊富に採れるオリーブオイルが利用されるようになったという。
オリーブオイルと灰汁(水酸化ナトリウムもしくは水酸化カリウム)で作られた白い石鹸は、貴族のスキンケア用品としてヨーロッパに広まっていった。この製法で作られた石鹸は、現在でも「カスティリャソープ」として世界中で生産されている。
庶民は粗悪品を使ってはいたが、石鹸を知らなかったわけではない。黒っぽい液体石鹸も流通していたそうだ。洗濯は麻製の下着のみ洗っていたらしい。上に着る服は主に毛織りで、洗う事がなかったとされている。
シーツはエジプトで11世紀初頭に現れた。ヨーロッパでは15世紀半ばに、現代の物に近いシーツが現れたと言われている。麻製であった。
川や湖にタライや樽を持参して、洗濯物は板のような物で叩いた。桶を載せる台が描かれた絵画もある。この洗濯方法は、1930年代の西ヨーロッパ映画にも登場する。そうした映画では、庶民が灌木や木の枝に広げて干している様子も見られる。
カスティリャソープを生産している世界各地の石鹸会社のホームページや、寝具メーカーのコラムなどでも石鹸や寝具の簡単な歴史が確認できる。




