70 遅れて来た親戚
大人の背丈の倍以上ある巨大な観音開きの扉の陰から、ベルシエラはそっと外の様子を伺う。しばらくすると赤いビロード張りの天蓋付き四輪馬車が現れた。壁や扉はなく、二頭の逞しい灰色の馬に引かれていた。
車軸と車体は革紐で繋がれ、走行時の衝撃が緩和される構造だ。御者は片方の馬に乗っている。御者台はない。美空のいた世界では、このタイプの馬車が出現したのは15世紀半ばの東ヨーロッパである。残念ながらヨーロッパ全土に普及するまでには時間がかかったのだが。
ベルシエラたちが住むエルグランデ王国は、魔法使いがいる国である。王侯貴族は揺れの少ない魔法の馬車に乗っていた。だが、今乗り入れて来た馬車は、魔法の気配がない工業製品である。
(誰かしら?)
魔法はなくとも、庶民が乗れるような代物ではない。弱小貴族といったところか。
(顔は流石に遠くて見えないけど、服装から見ると貴族ね)
降りてくる貴婦人はドレスを着ている。引きずる裾で足は見えない。垂れ下がるほど袖口の広いドレスは、鮮やかな青だ。後に従う2人の子供たちは裾長のチュニックを着て、繻子の短靴を履いている。どちらも男の子のようだ。
話す内容も遠くて聞こえない。エンリケ自ら手を貸して降ろす。小さいほうの子供は抱きかかえて降ろしてやる。
(まさか、家族?)
近づいてくるに従って、細かいところが見えて来た。黒髪を緩く編んで背中に垂らした婦人は、マントの胸に黄色いギラソルの花と茶色い杖の組み合わせ紋をつけている。
(分家の家紋はギラソルが小さかったり、杖の色がちがったり、杖以外の媒体だったりするはずなのに)
図々しくも、本家の家紋をつけている。紋章の下には緩く波打つ黄色いリボンの形とそこに書かれた本家の家訓もある。
(エンリケの妻子っぽいわね)
一周目に城で見かけたかも知れないが、ベルシエラは思い出せなかった。小説「愛をくれた貴方のために」でも、印象的なエピソードは記憶にない。子供は夫妻の顔を混ぜたような面立ちだ。兄は灰色がかった金髪、弟は黒い癖毛だ。
(黒い癖毛)
ベルシエラとしての全ての記憶を探る。黒髪は魔法使いに時々現れる髪色である。だが黒髪癖毛はかなり珍しいのだ。そして夫人と黒髪の息子の瞳は藍色である。
(私と似ている)
いよいよ扉に差し掛かる時、じっと見ると母子の瞳に緑は混ざらない。どちらかと言うと深い紫色だった。上の息子は灰青の瞳にうっすらとセルバンテスのオーロラが見える。
(ガヴェンならルーツを知ってるかも)
一家はベルシエラに気づいているのかいないのか、和気藹々とお喋りをしながら2階へと向かう。会話から聞き取れた範囲では、妻がカタリナ、長男バルトロメオ、次男ホルへ、というらしい。フルネームまでは分からない。
(それにしても、婚姻の儀式と振る舞いが全て終わったのに。なんで今いらしたの?)
ベルシエラは不審に思った。ベルシエラを認めない主張として欠席したのは理解できる。だが、わざわざこのタイミングでやって来たのは何故なのだろう。昨夜からの異変が伝わるには早すぎる。
エンリケ叔父の領地が黄金の太陽城からどれほど離れたところにあるのか、ベルシエラには分からない。一周目には訪ねた事がない場所だ。麓の砦ならいざ知らず、昨夜の出来事を聞いて今駆けつけられる距離ではなさそうである。
(前もってこのくらいの時間に到着する予定だったんでしょうね)
何かの目的を持った、計画的行動だと想像できた。
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続きます




