63 ふたりはビタースウィートサワースパイシー
ホットチョコレートを飲む間、エンリケ叔父は射殺さんばかりの視線を新婚夫婦に向けていた。表面は柔和な笑顔なのだが、眼がちっとも笑っていない。ゾッとするほど冷たいのだ。
エンリケは食事の間中、一言も発しなかった。元々一段高い当主席に陣取って、下々の者を睥睨してきたのだ。もう20年以上そうして過ごしたのである。突然、虚弱な若造と身分の卑しい小娘がその席を奪ったのだ。面白い筈がない。
(せいぜい楽しむがいい)
エンリケはあくまでも、臨時に頼まれた代理人にすぎない。本来ならば、当主のテーブルに着くことは越権行為だ。ヴィセンテ亡き後の継承者であるかのような振る舞いは目に余る。
親族一同も、エンリケが正式な後継者ではないことを知っている。少数ではあるが、エンリケの権力に疑問を抱く者はいる。彼らが構成するのがヴィセンテ派だ。
だが、エンリケは20年以上かけて勢力を拡大してきた。幼い頃に療養で預けられたセルバンテス分家を足がかりに、一族の有力者たちと良好な関係を築いてきた。
加えて、エンリケには当主夫婦の天下は来ないという確信があった。
(遅かれ早かれ小娘も発病するのだ)
人柄と能力、先代の弟という血筋の確かさを上手くアピールして、エンリケは今の位置まで登り詰めたのだ。人心掌握の腕には覚えがあった。
(なに、奴等が開祖の杖を差し出す日もそう遠くない)
エンリケは自らを慰めるように、ほのかに甘いチョコレートを飲み下す。微かな甘みの中に酸味と苦味が溶け合って、生姜の刺激が香りたつ。まるで目の前で寄り添う若夫婦のようだ。
(なんだ、この味は。腹立たしい)
寒さを凌ぐその味が、エンリケには合わなかったようだ。作り笑顔がぴくりと引き攣る。
美空がいた世界で、チョコレートがヨーロッパにもたらされた時はドロドロの飲み物だったという。それは甘くはなく、スパイスがたっぷり混ぜられていたのだとか。滋養強壮薬の高級品で、一世紀ほどの間ひとつの国だけに独占されていたのだそうだ。
この国で供されるのは、スパイシーだがちゃんと甘い。現代日本のフレーバーココアに近い飲み物だった。
ベルシエラは半分ほど飲んだチョコレートに蓋をして、ヴィセンテのふやけた視線をはたと捉えた。
(ん?なに?)
(ねえ、エンツォ)
(うん、なに?なに?)
夫婦、という単語を反芻しているのか、ヴィセンテは浮き浮きを隠さない。
(あのね、この、心の会話なんだけど)
(うん?どうしたの?)
ヴィセンテの笑顔は幸せにとろけている。
(これ、魔法?)
(んんー、魔法と言えば、魔法、かな?)
にこにこ顔だが歯切れが悪い。
(なあに?秘密?)
ベルシエラが眉を寄せて目を細めると、ヴィセンテはギュッと目を閉じた。
(わっ、可愛い、やめて)
(え、ちょっと!エンツォ、ヴィセンテさま?真面目に答えてよ)
(え、だって、可愛いじゃないか?可愛いすぎて心臓が止まるかと思ったよ)
(何言ってんのよ!で、魔法なの?どうなの?)
ベルシエラは恥ずかしいやら腹立たしいやら、心の会話が早口になる。
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続きます




