58 反撃の狼煙は甘くたなびく
ヴィセンテはよたよたと妻の元へと辿り着き、正しい権利を主張した。エンリケ派の親戚は敵意を滲ませる。口にこそ出さないが、突然自立した病弱な当主への反意がありありと表情に浮かんでいる。彼等はエンリケ叔父の善意や手腕を高く評価する人々だ。ヴィセンテが恩を仇で返したと考えているのである。
反感を買いながらも席次が正された。おぼつかない足取りで妻に寄りかかったが、互いに加減がわからない。ベルシエラはバランスを崩してしまった。見かねて飛び出してきた隊長に肩を借りながら、ヴィセンテはようやく当主の席に着く。
ベルシエラが隣に腰掛けたのを見届けると、ヴィセンテは盃を挙げた。中にはスプーン一杯程の薬酒が入っている。トムが毒見をしようとやってきた。ベルシエラはついと腕を伸ばして、さりげなくトムを押し退ける。
ヴィセンテは盃を下げて、心配そうなベルシエラの方へと差し出す。ベルシエラは手で扇ぎ、色と匂いを確かめた。一周目の記憶が役にたつ時が早速やってきた。目立っておかしな様子はないが、安心するにはまだ早い。
ベルシエラは隊長を見た。隊長は、毒を見分ける道具を持っているのだ。それは、去年の誕生日にソフィア王女から贈られた貴重な魔法の道具であった。隊長は微かに頷くと、惜しげもなく貴重な道具を使ってくれた。
(あら)
道具は細長いヘラのような形をしている。その中程に何か文字が彫りつけてあるのが見えた。
(ソフィアからホセへ)
隊長の名前は、アレッサンドロ・ホセ・マルケス伯爵だ。ベルシエラの口元がふっと綻ぶ。ヴィセンテはちらりと眉を寄せた。
(え、なに?謎の道具が気に入らないのかしら?)
ベルシエラは安心させるようにヴィセンテに微笑む。途端にヴィセンテの眉は戻った。
毒の確認が済むと、ヴィセンテは空いた手でベルシエラの手を取った。思いがけない出来事にベルシエラは赤面する。恥ずかしさに俯いて、そっと夫を盗み見た。パチリと目が合う。優しく熱く包み込むような眼差しに、ベルシエラは息が止まるかと思った。
心臓の音が煩くて、ヴィセンテの声が遠く聞こえる。正面に向き直った夫が挨拶を始めたのだ。手は柔らかく握られている。弱々しい指先に力はあまりないけれど、それでも懸命に手を繋いでいた。
「エンリケ、叔父様には、感謝、しており、ます」
ヴィセンテの雰囲気が、がらりと変わった。ベルシエラは、くっきりとした凹凸のある横顔に見惚れる。
(ああ、美しい冬の木立が人間の言葉を話しているわ)
触れ合う指から、ヴィセンテの決意と真心がひしひしと伝わってくる。
(この人に嫁げて良かったわ。私、この人と幸せになりたい)
オーロラがゆらゆらと踊る薄灰青の瞳には、明るい未来が映っている。そうベルシエラは確信した。
(叔父甥の関係だからって、エンリケは調子に乗りすぎたのよ)
そう考えて、はたとベルシエラは気がついた。
(……甥?甥って、兄弟の息子のことよね?)
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続きます




