49 一周目とも小説とも違うこと
小説「愛をくれた貴女のために」は、第一部が後悔の原因となるヴィセンテ不機嫌パートだ。小説の悪妻ベルシエラは、遺した介護日記で真心が知れるまでは酷い悪女として描かれていた。
森番の娘がのしあがり、病気の夫を顧みずに遊び歩く。夫の地位を笠に着て、我が物顔で王宮書庫に入り込む。夫の財産で高価な物品を買い漁る。
(セルバンテス家は、私にお金なんかくれなかったのに。王様から支給された結婚準備のお金が残っていたから、それを遣ったのよ)
人目も憚らずに、見目良い貴族の青年を連れ歩く。
(イケメン貴族って、たぶんガヴェンよね。魔法酔いの研究に協力して貰ってたから)
これらは全て誤解である。だが、先代夫人の目には、息子が不機嫌な病人だから善良な妻が壊れたのだ、と映っていた。壊れて悪妻として堕落してもなお、薬になる花の花粉を集めていた。息子の治療に心を砕いたために、お家乗っ取りを企むエンリケ叔父に殺されてしまった。
それが、先代夫人が目撃した一周目のベルシエラだ。心の底では清らかさを失わない素敵な女性に見えていた。だから、ベルシエラとしての記憶を失くした美空に、ヴィセンテを忘れて欲しくなかった。息子の後悔と復讐を遂げるまでの愛情を伝えたかった。
幽霊の力を使って違う世界との壁をすり抜け、電脳世界に潜り込み、ベルシエラだけが辿り着ける幽霊サイトを作ったのはその為だ。こうして先代夫人ラクェル・ロサ・セルバンテス・イ・シルバ・デ・ギラソルは、ネット小説「愛をくれた貴女のために」を書いたのである。
第二部は妻の死で覚醒したヴィセンテによる、探偵パートである。この間使った偽名はテオ・アンセレス。フルネームのヴィセンテ・アントニオ・セルバンテス・イ・セルバンテス・デ・ギラソルの一部分を組み合わせて作った名前だ。
セルバンテス家の長い苗字は、ギラソルの地にかつて栄えた先史文明の名残りだという。名前のすぐ後に来るのが父親の姓である。「と」を意味する「イ」の後は母方祖父の姓が来る。つまり、先代夫人は父親がセルバンテス分家の出身なのだ。元ヒメネスとはまた別の分家である。
対外的には、妻もセルバンテスを苗字として名乗る。似たような法則性で構成される苗字は、美空がいた世界でも存在した。
第二部には探偵助手となる甥っ子とガヴェンの妹が登場する。第三部で復讐を果たしたヴィセンテは、この甥っ子に家督を継がせて命を断つのだ。ガヴェンの妹は、エリザベス・スーザン・ウェンディ・ファージョンという。第二部ヒロイン的な立ち位置だ。お騒がせ役で、暗い小説に華やぎを添えていた。
(小説としては良かったけど、現実だったら面白くないわね)
読んでいた時には、復讐ヒーローが真ヒロインに癒されて欲しいような、でも一途でいて欲しいようなもどかしさを楽しんだ。だが現在、夫の隣に他の女性が立つなんて、腹立たしい以外の何物でもなかった。
一周目から変わった点は、ベルシエラ=美空の心にもある。これは、美空自身もまだよく分かっていない点だ。
何故、小説に登場するガヴェンの明るい妹が気に食わなくなったのか。どうしてヴィセンテに寄り添う女性が、自分以外だと嫌なのか。一周目のベルシエラには生まれなかった感情に、今世のベルシエラ=美空は戸惑いを覚えた。
お読みくださりありがとうございます
続きます




