44 小説「愛をくれた貴女のために」
澄んだ冬の空気に、美空の叫びが響く。驚いた鳥が枝々から飛び立つ。小動物が逃げ出す音がする。どこかでドサリと雪が落ちる。
「やあねえ、そんなに驚かなくても」
幽霊は電気のような物だとか。美空は、そんな説を聞いたことがある。幽霊と電脳世界とは相性が良いのだろう。
先代夫人の幽霊は、時空を超えて電脳世界に潜り込んだ。そこで美空だけが辿り着けるサイトを作って、美空だけに宛てた小説を載せたのだ。
「ヴィセンテ様は、本当にあの小説通りに亡くなられたのでしょうか」
ベルシエラは恐る恐る聞いてみる。先代夫人は眉を僅かに動かした。
「そうなのよ」
悲痛な想いを見せまい、と高貴な微笑を保つ夫人の姿は痛ましかった。
「でもあなた、今回はエンツォを名前でお呼びくださるのね?嬉しいわ」
先代夫人の瞳の奥に、暖かな火が灯る。
「それにあの子、今回は貴女を虐めるの、やめたみたいじゃない?」
「はい。後悔の材料がなければ、自ら死を選ぶこともありませんよね?」
「ふふ、確かにそうね。家訓で眼を覚まさせるなんて、よく思いついたわね?」
「ヴィセンテ様は、太陽の下に恥づることなく立つお方ですもの」
ベルシエラは、わざと古風な言い回しで家訓の詩を構成する一説を唱えた。家訓なので本来は古語である。ただ、セルバンテス家では、魔法の力を調節する為に現代語で暗誦するのだ。
言葉の一つ一つに魔法が込められていて、詩を唱え切ると神秘の扉が開くと言われている。先代夫人も、おそらくはこの家訓を唱えて美空の世界に渡ったのだろう。
今、ベルシエラ=美空が一節を唱えたのは、ヴィセンテを祝福するためだった。先代夫人もそのことにちゃんと気が付いてくれたようだ。
「ありがとう。本当に、ベルシエラさん、貴女が来てくださってよかったわ。お嫁に来てくださって、戻って来てくださって。そして不機嫌な病人だった息子に、愛を教えてくださって」
ベルシエラは気が付いた。小説の題名は、作者の想いだったのだ。主人公ヴィセンテの言葉だとばかり思っていた。貴女の為に生き、貴女を死なせた者への復讐のために生き、貴女への償いの為に自らの命をも投げ出す。そういう意味なのだと。
「お姑様」
ベルシエラは涙ぐむ。「愛をくれた貴女のために」は、先代夫人がベルシエラへの感謝を込めて書いた小説だったのだ。
先代夫人は少しきまりが悪そうに、つと視線を逸らした。
「あのね。初めは、無念の死を遂げた貴女に、あの子の復讐を知って欲しくて書き始めたの。身勝手な母親でごめんなさいね。あの子はあんなに苦しんだのに、別の世界で次の人生を歩み始めた貴女は、すっかりエンツォとの人生を忘れてしまっていたんですもの」
「ごめんなさい、お姑様」
「仕方ないわよ。それもきっと、私の魔法が誤作動したせいですからね。分かってるの。分かってはいるのだけれども」
ベルシエラは何と言って良いのか分からなかった。ただ冴え渡る冬空を見上げて、滲む涙を誤魔化した。安易に涙を流さないことで、母の悲しみに寄り添うしかなかった。
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