43 ネット小説の作者
ベルシエラ=美空が崖下で前世を思い出していると、ふわふわと幽霊が漂ってきた。
「あっ、お姑さま」
先代夫人はギョッとして眼を剥いた。
「ええっ、ベルシエラさん、わたくしをご覧になれますの?」
「はい、くっきりはっきり、見えております」
「あらぁー、嬉しいわぁ」
先代夫人は喜んでクネクネした。上品な出立ちの貴婦人にあるまじき所作である。先代夫人は、ベルシエラと違ってれっきとした貴族の出身であるはずだ。幽霊になって性格が変わったのだろうか。
ベルシエラが先代夫人の言動を意外に思っていると、夫人はクネクネを収めて優雅な微笑を装着した。
(あ、擬態タイプか)
ベルシエラ=美空は納得した。思えば、先代夫人の人生も辛いものだった。貴族の家柄に生まれて、「嫁ぐと病弱になる家」に輿入れをした。のびのびと素を出せるような環境とは違うのだ。
期待と憐憫に晒されて、さぞ気が重かったことだろう。その上長男誕生からまもなく一家で発病し、実権は夫の弟に握られっぱなし。次男と三男は幼くして亡くした。
(そりゃ気掛かりで、あの世に渡れないよねぇ)
この国の宗教は、多神教の自然神信仰だ。神殿は王の上でもなく下でもない。完全な独立機関である。彼らはおおらかだが、俗世を離れて暮らしている。死後は自然に還り、存在は自然の中に溶け込むと信じられていた。
(この国の宗教感ではあり得ない「幽霊」になってしまうなんて、お姑様さぞかし驚かれたでしょうね)
一周目ベルシエラの記憶を探ってみても、怪談は神殿が否定していた。とはいえ、どんな国でも幽霊話はあるものだ。死んだ人と会いたい気持ち、犯罪者が怯える気持ち、ふとした影や暗がりに死者の幻を見る。
(この方は幻じゃなさそうだけどね)
先代夫人は、ふわふわと空中に浮いている。長いドレスの裾がひらひらと風に揺れて、とても優雅だ。ヴィセンテと同じ銀色の髪はすっきりと結い上げられて、青い宝石が散りばめられたネットで抑えられていた。
ヴィセンテより更に薄い銀蒼の瞳だ。オーロラのゆらめきは見えない。肖像画によれば、それはセルバンテス家の特徴であった。夫人の瞳は、通常時には感情を見せない微笑みで武装されている。
「それにしても、ようやく思い出して下さったようで、ようございましたわ」
「え?」
「あら、違う?まだ以前の人生を思い出せないのかしら?」
「お姑様は、前の私をご存知なのですか?」
ベルシエラ=美空は予想外の事態に狼狽えた。幽霊は時空を越えるのだろうか?
「あら、あの時使ったのはあらゆる物を戻す魔法ですもの。時間も戻りましたのよ。でも貴女の魂は巻き込まれた時に、他の世界に飛ばされちゃったのよねぇ」
「えええ」
美空は間抜けな顔をした。
「探すのに苦労したわよ。やっと見つけたらこっちの人生を忘れちゃってるし。ネットとやらに潜り込んで幽霊サイトに呼び寄せるの、大変だったんだから!」
「あのサイト、あの小説、お姑様がお作りになられたんですかーッ⁉︎」
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続きます