40 慟哭
「こんな恩知らず、見捨てて旅行に行かれちゃっても仕方ないよなぁ」
ヴィセンテは自嘲する。
「帰って来たら、ベルシエラさんの好きな薬湯を出してあげよう。でもあれ、材料が貴重だって聞いたけど、城にストックはあるかなあ?僕でも上手く煎れられるだろうか?」
ぶつぶつと挽回の計画を立てるのは、いかにもヴィセンテらしい。妻を邪険に扱いながらも好きな物をちゃんと知っていたのは、優秀な当主である証拠だ。感情に支配される人間には出来ないことである。
ヴィセンテは花樹に近づく為に、足元に視線を落とした。
「ベルシエラさんッ!」
ヴィセンテは蒼白になって叫んだ。袖や裾が枝に引っかかって裂けるのも厭わず、転げるように走る。妻の亡骸にたどり着くと、倒れ込むように抱きついた。
「ああ!なんてことだ!なんで、こんな!僕には謝ることも許されないのか」
ヴィセンテは嘆き哀しんだ。朝靄がすっかり晴れて木漏れ日が射し始めるまで、冷たくなった妻を掻き抱いて慟哭した。
「ごめんなさい、ごめんなさい、僕には何も見えていなかった」
彼女の遺体の様子から、ベルシエラが旅行に出かけたと言う情報が誤報であることは容易に推察された。
「今まで一体、何処にいらしたのですか?」
物言わぬ妻に、ヴィセンテは問いかける。信頼する従者トム・リョサからもたらされた知らせを、鵜呑みにしたことを後悔した。
「楽しく遊んでいるんだろうと、僕が苦しんでるのに良い気なもんだと、悪口を言う奴らに同調してた。僕はなんて愚かだったんだろう」
ヴィセンテは生気の無い妻の頭を自分の胸に押し付けた。
「あんなに美しかった貴女の黒髪が、汚れて擦り切れて絡まり放題じゃありませんか」
ヴィセンテは初めの嘆きを通り抜けると、隅から隅まで妻の姿を検分した。
「手首にも足首にも、擦り傷とアザがある。これは縄の後でしょうか?それとも手枷足枷をされたのでしょうか」
ヴィセンテはギリリと歯を食いしばる。
「一体誰が、こんな事を!」
懐から取り出したハンカチで、ヴィセンテは妻についた土をそっと拭う。
「貴女をこんな目に合わせた奴を、必ず見つけ出して見せます」
土気色の額に口付けながら、ヴィセンテは宣言した。とめどない涙は、冷たく硬くなったベルシエラの頬に流れ落ちる。
灰色っぽく変色した黒髪を愛おしそうに撫でながら、妻を亡くしたギラソル公は二度と開くことのない瞼をなぞる。
「ああ、でも僕は自分が赦せない。赦されてはいけないんだ。貴女を死なせたのは僕だ」
悔やんでも悔やみきれない過ちに、薄灰青の瞳が濁ってゆく。
「貴女を死に追いやった全ての者を炙り出し、この手で必ず始末しよう。そうして全部終わったら、僕は僕自身を必ず罰します」
頭上に漂う幽霊達があたふたと何かを伝えようとしている。先代夫人もベルシエラも、ヴィセンテをそこまで責めてはいない。
「だからどうか、君を死なせた賤しい僕を、もう少しだけ生かしておいてください。貴女が集めてくれていたこの花の花粉を毎日きちんと飲んで、健康を取り戻すことも許してください。もう、卑劣な奴等の好きにはさせない」
「ああー、もう、どうしましょう?お姑様?」
幽霊になったベルシエラは、途方に暮れて先代夫人に助けを求めた。
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