37 婚礼の翌朝
あれほど眩く道具を光らせるほど魔法に長けた人が、魔法酔いするのはおかしい。
「そんなの、聞いたことないわ」
ベルシエラはひとりごちる。魔法酔いは奇病ではあるが、歴史上数例の記録がある。患者はみな、魔法がほんの少しだけ使える病弱な人だった。
「何を、だ」
ヴィセンテは不機嫌そうに呟く。
「とにかく薬よ」
「ちっ、強情な、奴め」
ベルシエラは舌打ちには舌打ちで返して、もう何も言わなかった。
そこでベルシエラ=美空は目が覚めた。鎧戸を開けると、眼下には冬の平原が広がっていた。前庭に目を移せば、城へと続く山道の中程から白銀の森が見えた。
しばらく待っても誰も来ない。ソフィア王女から受けた教育で、貴族の夫人には身支度を助ける女性たちがいるものだ、と知っている。
それとは別にいわゆる女中ではない侍女も数名いると聞いていた。すなわちレディ・イン・ウェイティングにあたる付き添い人たちである。女官とか秘書などと呼ばれることもあるが、要するに付き人だ。彼女たちはこの国ではダマ・ドノールと呼ばれる。
しかし、誰も来ない。夜明けでもなく、ソフィア王女も起きだす早朝だ。
(あ、ソフィア王女様、普通より早起きだった)
傾斜のきつい森の道を巡視隊とソフィア王女らしき姿が、豆粒のような大きさで走っている。
(私も行こうかな)
ソフィア王女の助言を受けた隊長の計らいで、ベルシエラは着替えや貴婦人に必要なあれこれを嫁入り道具として持参した。ベルシエラの荷物は、ソフィア王女の指示で昨夜全て解かれていた。そうでなければ、一階の荷下ろし倉庫に放置されていたところだった。
ソフィア王女のお陰で、ベルシエラは無事着替えを終えることができた。ドレスも準備して貰っているが、今は森番小屋時代の軽装である。
(この後誰か来るかはわからないけど、とりあえずは私も走り込むかな)
美空は道順を覚えるのが得意だ。一度通った道は迷わない。広く複雑なセルバンテスの古城でも、その能力は発揮された。森で育った小説のベルシエラにも備わっている才能だ。
案内人要らずで、ベルシエラはスタスタと城を出る。廊下には所々に番兵が立つが、ベルシエラが通り過ぎても身じろぎひとつしなかった。門番に声をかけると、面倒臭そうに通用口を開けてくれた。
小説のベルシエラも、見咎められた描写はない。城門の出入りも下山も自由だ。自由というより、放任か無関心の方がより相応しいほどだった。それでベルシエラは、悪妻になった後で勝手気ままに領地を歩きまわっていた。それもあって、行方不明になった時に放置されたのである。
お読みくださりありがとうございます
続きます




