31 流れ込む思い
ベルシエラは、虚弱でありながらも守ってくれた夫を誇らしく思った。感謝とときめきの入り混じった感情が、ベルシエラ=美空の心に広がった。ただ見送る気にもなれず、足速に階段を昇る。疑問はひとまず後にして、夫となった人を追いかけた。
従者にはエンリケ叔父の息がかかっている。トム・リョサという名のこの男も、ヴィセンテの信頼を裏切っている1人だ。初日から刺激するのは危険な気もする。だが、家長の権限をエンリケが全て手中にするまでは、少なくともヴィセンテの命は獲られないだろう。
「お部屋までお供致しますわ」
声色、目付き、顔の角度。ベルシエラは、1年弱学んだ成果を披露する。従者は無表情で聞こえないふりだ。ヴィセンテはぐったりとして、ほとんど意識がなくなっていた。だが、弱々しい仕草でベルシエラへと片手を伸ばす。
従者トムは無視して前を向いていた。だから迂闊にも当主が新妻に手を伸ばしたことを見逃した。ベルシエラはすかさずそっと手を握る。ヴィセンテの目元が幾分柔らかになった。
弱々しい指先が握り返すことはなかったが、ベルシエラにはヴィセンテの気持ちが充分に伝わった。
(貴女となら、きっとギラソル魔法公爵セルバンテス家を建て直せる)
ヴィセンテの痩せ細った手から、共に歩もうという思いが流れ込んでくる。
(貴女が共にいてくれるなら、いつかきっと開祖の杖をこの手に握ることだって、出来る)
強い思いが溢れ出て、魔法の力がヴィセンテからベルシエラへと移動した。ベルシエラの頬が熱くなる。
(ちょっと!これ、何?小説にもなかった魔法なんだけど)
比喩的な意味ではない。ヴィセンテの想いは実際に音のない言葉となって、ベルシエラの頭の中に聞こえてくるのだ。
(小説?魔法使いが活躍するフィクションがお好きなのですか?貴女はご自身が稀代の魔法使いだというのに。おかしいですね)
笑顔を作る気力も体力も今は失ってしまったが、心の声は揶揄うように笑っている。ベルシエラは、銀のまつ毛が美しい灰青の両眼を縁取って、笑い声に揺れる様子を幻視した。
(素敵だわ)
(え?何がです?)
ベルシエラは焦った。心の会話が成り立っている時に、余計な事を考えるのはやめた方が良いと知った。
(あ、貴方はまつ毛も美しい銀色で素敵ですのね)
(貴女の波打つ黒髪も素晴らしいですよ。解いた髪も見てみたい。ギラソルの咲く広野で、貴女の髪が風に靡いたら、さぞかし美しいだろうなあ)
ベルシエラは首まで赤くなる。銀と黒との髪が、黄色い花の揺れる中で風に流れる様子を想像してしまう。恥ずかしさにどうして良いか分からない。無意識に握る力が強くなった。
美空に恋人はいない。夢の中であったとしても、これが初めての体験だ。ただ並んでいる姿を想像しただけで、胸の鼓動は早鐘のように打つのだった。
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