29 優しいヒロインではないのなら
小説「愛をくれた貴女のために」は、古いタイプの悲恋物語だ。壊れて悪妻にはなるものの、初めは古風な女性である。小説で語られなかったベルシエラの来歴を考えると、無理しすぎて壊れたのも不思議ではない。
まして今のベルシエラは美空である。
(虚弱で不機嫌な主人公を優しく包み込むのは、天使のようなヒロインでしょうけども)
それはベルシエラにも、美空にも、全く当てはまらないのだ。
(それに、この後悔男子には癒しよりも激励や反省の方が効果的なんだものね)
心に傷を持つギスギス男が癒されてゆく物語とは違う。自らの過ちに気づき、後悔し、絶望の中から立ち上がる男の物語だ。妻の死だけは乗り越えられなかったが。
天井の高い石の城に、ベルシエラの声が朗々と響き渡る。
「見よ!叡智の太陽!」
ヴィセンテは眼を見開いた。青白い顔に血の気が差す。
「恐れず、惑わず、太陽の下に恥じることなく」
迷いなく言葉を紡ぐベルシエラ。階段下のホールでは、ガヴェンが得意そうに躑躅色の髪を撫で付けた。ヴィセンテは吐き気や眩暈の中で、目ざとくその姿を認めた。不快感で歪んでいた顔が緩む。
「なんだ、ガヴェン、余計な、入れ知恵、しやがって」
これは思いがけない効果であった。小説で語られることはなかったが、思えばセルバンテスとファージョンは、共に建国の功臣だ。語られていない部分で、ガヴェンが同じ年頃のヴィセンテを見舞っていてもおかしくはない。ふたりには面識があったのだ。
ベルシエラは、ガヴェンに教わったモットーの続きを口にしたのである。実際にはまだ先のある詩だ。そこから先を力ある魔法使いが唱えると、ある魔法が発動してしまうので言えなかった。
続きを言わずに口を閉じたベルシエラを、ヴィセンテは探るような目付きで見た。冷たく冴えた薄灰青に、オーロラが揺らぐ。ヴィセンテのこけた頬には不敵な笑いが浮かぶ。ベルシエラ=美空は不覚にもときめいた。
(この人、やっぱり強い人なんだわ)
気づいた時には、再び大声を出していた。
「必ず貴方の病気を治してみせる!約束するわ!私の立派な旦那様!」
美空は知っている。ヴィセンテは覚醒したあと、魔法酔いに苦しみながら、不屈の闘志でエンリケ一派を追い詰めたことを。
ヴィセンテは従者の手をそっと押しやった。戸惑う従者をそのままにして、ヴィセンテはよろよろ手摺まで辿り着く。ハラハラと見守る来客の前で、手摺で身を支えながら花婿は挨拶を始めた。魔法酔いを顧みず、魔法拡声器を使って。
「皆さま、本日、は。お集まり、くださり。あり、がとうご、ざいます」
うっ、と詰まったヴィセンテに従者が駆け寄る。それを片手で制したセルバンテスの若い当主は、晴れやかな笑顔を見せた。会衆がざわめく程の、光り輝く笑顔であった。
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