243 月夜の中庭で
花火の後は宴席で隊長やソフィア王女たちと顔を合わせた。肉に野菜にパンがテーブル狭しと並べられ、客人たちの笑顔は輝いている。村人たちと同じようにユウヤケコモモの酒と果汁が振る舞われた。フランツが持ち込んだプフォルツ領の民衆酒ヘルツォクストラウムは、搾取祭が終わっても余りそうなほどたっぷりとある。
ほとんど健康を取り戻したヴィセンテは、ベルシエラにパンや肉を切り分けては渡している。
「全く仲がいいよなあ」
ガヴェンが羨ましそうに言った。
ガヴェンの婚約者アイラは魔物討伐隊の仕事で来られなかった。フランツの姉カチアも同様である。ギラソル領の大増殖は食い止めることができた。だがメガロ大陸にはまだたくさんの魔物がいる。時には他国と協力しながら、魔物討伐隊は日々人界防衛に勤しんでいるのだ。
前夜祭がお開きになり、ヴィセンテとベルシエラも宴会場を後にした。
「中庭に出ない?」
そのまま寝るのも名残惜しくて、ヴィセンテはベルシエラを誘った。
「いいわね。今夜は良い月ですもの」
「少し冷えるかな」
中庭の東屋にも暖房魔法の道具はある。ヴィセンテが虚弱だった頃の基準で設置された器具だ。弱い魔法を使っているので、少し暖かい程度である。
「ふふ、私たちには魔法があるわよ?」
「そうだね」
今やヴィセンテはエルグランデ王国でも一二を争う魔法使いだ。暖房くらい造作もない。
中庭へと続く柱廊を歩いて行く。ゆったりとした心持ちが速さにも現れていた。ふたりは理由もなく微笑み交わしながら月の光を浴びていた。明るく円い白銀の月は、今でも血生臭い記憶を呼び覚ます。
「村人たちも、搾油祭で満月の記憶が明るいものに塗り替えられると良いんだけど」
ベルシエラの言葉に込められた気持ちは、人間としての同情心だけではなかった。ギラソル領の当主夫人として、領民の心も守るのが当然だと思えるようになったのだ。
介護と無視に疲れ果てて好きなように暮らした一周目には、村人の気持ちにまで責任を持つ気概はなかった。平和な家庭の一般人だった美空にもない発想だ。
今ベルシエラは、漸くこのエルグランデ王国ギラソル魔法公爵家で、当主夫人としての人生を歩み始めたのである。
ヴィセンテはベルシエラの黒髪をそっと撫でた。それに応えて見上げるベルシエラは、青白い月の光で瞳に混じる僅かな緑が深まっている。その瞳は、遥かな昔アラリックが棘の魔物から逃れて駆け抜けた、深いギラソルの森を思わせた。
「あの夜は、魔物や謀叛人の断末魔が途切れなく響いていたからね。村人たちもさぞや恐ろしかったことだろう」
「子供たちに笑顔は戻ったけど、満月の夜が来ると震える人も多いのですって」
沈んだ気持ちになりながら、円柱の間を抜けて中庭へと足を踏み出す。数世紀に及ぶ陰謀を暴くきっかけとなった東屋が見える。
散歩道には夏草が月光を宿し、夜咲く花が馥郁たる香りを放っていた。ヴィセンテはベルシエラと指を絡ませて、微かに眉を寄せた。
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