232 便利な手鏡
円塔は既に失くなって、四角い建物だけが黒々と残る。東の空が白んできた。病み上がりのヴィセンテは、一旦飛竜の背中で休憩を取った。ベルシエラが1階の壁に放った魔法の炎は階上へと燃え上がり、仕切りの壁を作っていた岩の魔物を消し去った。
「シエリータも無理しないでよ?」
ヴィセンテが最後の花蜜茶を口に含む。
「まだ大丈夫よ」
ベルシエラは安心させるように指先で夫の頬に触れた。ふたりの視線が絡み合う。ヴィセンテが甘く微笑んだのも束の間、砦から溢れ出る叛乱軍がふたりの上へと降ってくる。
ガヴェンたちが奮闘しているが、相手の人数が多過ぎる。捕えきれない分は1階に溜まっていった。
「敵軍に紛れてる仲間が見分けられないわねぇ」
「なにかいっぺんに分けられる方法はないかな?」
申し出を待つのでは時間がかかる。夫婦は寄り添って相談した。
「紋章見分ける君なんて如何です?」
アイラがゴソゴソとポケットを探って手鏡のような道具を取り出した。手鏡をアルトゥールに向けると、宝玉を持った飛竜の紋章が映し出された。クライン魔法公爵家の家紋である。次にカチアを映せば、紋章はふたつ映された。本と羽を組み合わせたプフォルツ家の紋と魔物討伐隊の蔦紋である。
「地道な作業ねぇ」
ベルシエラが顔を顰めると、アイラは苔色の瞳をきょろりと得意そうに動かした。
「あ、シエリータ、光が」
「本当ねぇ。これは便利だわ」
アイラが手鏡の持ち手に付いた突起を操作すると、鏡に映る紋章が一つずつに切り替わる。もう一度操作すると、鏡から出た光が走った。光は鏡面が映す紋章が表す人々を照らし出す。
「じゃあ、見えやすくする?」
ヴィセンテが悪戯な目付きでベルシエラを見た。ベルシエラはくすぐったい気持ちになって目を逸らした。ヴィセンテはベルシエラの手に触れて、僅かな間そっと握った。
「エンツォは休んでて」
そっぽを向いたまま、ベルシエラの顔が赤くなった。
「花蜜茶も飲んだし、すぐにまた手伝うよ」
ヴィセンテの指がベルシエラの指に絡まる。ヴィセンテは身を傾けてベルシエラの頬に唇を寄せた。
「もうっ!」
ベルシエラは嬉しそうに抗議して、ヴィセンテの手を振り払う。
「仕事にかかるわね」
「ククク、シエリータ、赤いよ?」
「エンツォ嬉しそうね?不謹慎だわ!」
恥ずかしさを誤魔化すように、ベルシエラは上空へと翔け上がる。四角い建物が寄り集まった砦の残り部分より高く飛ぶ。上から狙いを定めると、壁と屋根とに炎を走らせた。
「あっ、シエリータ、ノコギリ鳥が!」
体力温存のために飛竜に乗ったヴィセンテが、慌てて隣にやって来る。建物に閉じ込められて暴れていたノコギリ鳥の小さな群れが、一斉に飛び出してきたのだ。
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