206 ヒメネス城砦の建設
「海岸地方に魔物がいたことはない、って習ったけど」
ベルシエラは気味悪そうに魔物の蚊柱を見る。疑問にはカチアが答えた。
「民話に出てくるだけなんです。正式な記録はなくて」
羽のある小さな魚の群れは、生臭い匂いを撒き散らしながら、どろどろとした液体を吐き出していた。濁った赤の液体が地面に落ちると、赤黒い煙が上がる。地面に生えていた草や苔は見る影もなく枯れてしまった。
「この液体は魔法だわ」
ベルシエラが指摘する。カチアも頷く。
「やはり、こいつら粘液の魔物でしょうね」
映像を見ていると、ヒメネス城砦の黒い壁は粘液の影響を受けなかった。魔物たちが壁に触れると、みるみる取り込まれてゆく。
「食べてるのね」
「崖下で発生して崖の魔物が食べてしまうから、目撃情報も少なく御伽話扱いだったんですね」
「でも不思議だわ。どうやったら魔物でお城なんか建てられるのかしら?」
エルグランデ建国時、メガロ大陸に初めての城が建てられた。ヒメネス城砦はそれよりも新しい建造物である。場所の記憶を辿って行くと、城はルシアが名前を賜った後に築かれたようだった。
「ルシアは優れた魔法使いだったのね」
ベルシエラと同じように、ルシアは体全体を武器として青い炎を操っていた。ベルシエラと似た炎で崖の岩を切り出し、人間に害が及ばないように加工していた。
「崖の表面にだけ巣食ってるみたいですね。古代の記録にも残ってません」
「だから海岸に港が開けたんですね」
アルトゥールが納得した。
「古代には、粘液の魔物は出たみたいですが」
カチアが付け加えた。
ルシアとベルシエラが違うのは、炎に黒い部分が混ざっていたことだ。ルシアは誇り高い名もなき剣士の末裔だが、悪心あるガブリエラに育てられて曲がってしまったのである。
「侵入者には容赦ないのね」
映像では時折、泥棒や敵対者らしき一団がやって来る。彼らは床の建材に呑み込まれてしまった。早送りとはいえ、その様子を目撃してしまったベルシエラたちは青褪める。
「王宮への報告は当然ないでしょうね」
ベルシエラが言うと、カチアが同意する。
「こんな魔物がいることも知られていないですし、おそらく行方不明者の記録も付けられてないのではないでしょうか」
「そこはまだ分からないわね」
ベルシエラが慎重に答える。
「旧領主主義者に反発する人がひとりもいないとは考えにくいです。記録があるかもしれませんね」
アルトゥールが冷静な意見を述べる。黄金の太陽城麓の砦でも、賢く隠れて生き延びたヴィセンテ派や中立派がいたのだ。人間の地域集団とはそういうものだ。ヒメネス領も全員が叛逆者とは限らないだろう。
一周目のベルシエラも先代夫人も、残念ながら味方に気が付かなかった。小説「愛をくれた貴女のために」では、砦の騎士に味方が登場した。だが魔法使いは全員敵だった。彼らはそれほど巧みに隠れて過ごしていたのである。
一周目に砦の人が体験したのは領地内の勢力争いに過ぎなかったのだ。魔物で森が埋め尽くされて生命の危機が訪れた今回とは違う。国まで動いた事態なのだ。恐怖に支配されていた人々がエンリケ派を身限るのも当然の流れだった。
「奥方様、見張りが見当たらないとはいえ、あまり長く立ち止まっているのは危険です」
アルトゥールは常識的な進言をする。しかしベルシエラは、一周目と今回の人々が見せた動きを考え合わせ、違う意見を述べた。
「派手に行った方が味方が名乗り出てくれるかもしれないわよ?」




