185 ベルシエラは銀の波に攫われる
相手はひとり。だが一向に距離が縮まらない。カチア隊は人間が閉じ込められている檻まで辿り着けないでいた。ベルシエラの魔法は届くのだが、こちら側に人を運ぶことは阻まれていた。
「でも、魔物と何が違うんです?」
黒ずんだ魔法を使いながら、フードの人物が無感動な声で述べる。語尾は上がっているが質問ではない。意見を述べているだけだ。
「結局は魔法の対象に過ぎないじゃありませんか」
ベルシエラはふと疑問が湧いた。この人物は単なる記録係なのだろうか。
「実験の内容は貴方が考えたの?」
「違います」
嘘かも知れないが、単純な受け答えだと捉えるほうがしっくりくる。この人物の態度からみてベルシエラ達の思惑になど興味が無さそうだ。質問の意図など気にせず、違うから違うと答えたのだろう。
「実験の責任者は誰なの?」
「それを貴女に告げる必要がありますか?」
フードの人物は心底解らなそうに言った。これも質問ではない。単なる否定だ。
「まあいいわ。とりあえず捕まえましょ」
ベルシエラは諦めてカチアに言った。フードの人物はまた沈黙に戻る。投げられる物は粗方投げてしまったので、今度は割れた瓶や落ちた棘を拾い始める。鞭状にした紫色の液体で器用に拾うと、礫がわりに投げてくる。
カチア隊は迎撃しつつ、物陰に落ちて焼け残った棘や毒を始末して歩く。
「それにしても、たった1人が相手なのに」
カチア隊の青年がぼやく。
「まったくだ。あっちは座ったままじゃないか」
カチアも悔しそうに吐き捨てた。
「どうにかしなくちゃね」
こうしている間にも、檻の中にいる人間たちが毒に侵されて衰弱してゆく。この部屋にいる被験者たちに瀕死の者はいなかった。
(地下でまだ調べてない部屋はもう一つあったわね)
最後の部屋は、死を待つ段階の被験者が集められているのかも知れない。
(だとしたら、そっちを先に救けたいけど)
ここでベルシエラが抜けたら、戦況が逆転しそうである。
その時、ベルシエラの脇を赤々と燃え立つ炎が駆け過ぎた。
「えっ?」
思わずポカンと見送っていると、赤い炎はフード姿の記録者を包み込んでしまった。炎で記録者が見えなくなると、藍色のマントを翻した細身の男性がスタスタと檻に近づいてゆく。
手には身の丈に余る古い大杖、背中に弾む銀髪は、高い位置でひとつに束ねられていた。ベルシエラの目の端に煌めく月の川波が立つ。鼓動は追い風に乗る小舟の如く走り出す。
男性はガリガリの脚にうっすらと魔法の炎を纏わせて、筋力の不足を補っている。呆然と立つベルシエラを追い越し際に、鼻筋の通った麗しい顔をくるりと向けた。
(ご、ご来臨……!)
ベルシエラの痺れた頭に辛うじて浮かんできたのは、そんな言葉だった。
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