176 城の前庭にて
「なんだ、あれは」
ヴィセンテは不機嫌を爆発させる。エンリケ叔父は思い遣り深い年長者のように微笑んだ。
「まあまあヴィセンテ君、身体に触るよ。もう中に入りたまえ」
そしてヴィセンテの肩を軽く叩いて、自分が先に扉の内側へと消えた。あくまでも自分の方が序列が上だと言わんばかりの態度である。
ヴィセンテには腹立たしい事が別にあった。エンリケには構わず、ぶつぶつと文句を言った。
「どういうつもりで、あんな無礼な態度を、取ったんだろう」
「麓まで魔物が押し寄せているんですもの。城主夫婦は最後の砦とも言えるわ。城を守っていろ、のこのこ外へ出てくるな、という意味なんじゃないかしら」
「確かにそれも、一理はあるが。それにしたって傲慢すぎないか?」
ベルシエラは妻のために怒るヴィセンテが限りなく頼もしい男に見えた。青白い病人は両脇から支えられてやっと立っている。風が吹けば倒れてしまいそうに細い。
それなのに、ヴィセンテはどっしりと根を張る樫の樹のように揺るぎない。艶のない銀の髪はどんな宝石よりも美しい。オーロラのような光が揺れる薄灰青の瞳は、愛情深く燃えている。
ベルシエラはそっと夫の背中に手を当てた。ヴィセンテの眼光が和らいだ。
「少なくともこの貴重な石を使った髪飾りが、あの方々にとってはありふれた子供のアクセサリーだって分かったんだもの。私が行き倒れになった理由も、だいたいは解ったわ」
これまでに集めた情報によれば、ベルシエラの髪飾りに使われている石は稀少な品物だ。記録によれば、ベルシエラが生きているこの時代よりかなり昔に流通は途絶えている。
「きっと大昔に黒髪の戦士一族がこの石をたくさん手に入れたのね。それを子供のアクセサリーとして、代々受け継いできたんじゃないかしら」
「つくづく、変わった一族だねぇ」
「そうね。今では貴重品だから宝石よりも高値をつける収集家もいる石なのに、子供のアクセサリーのままだなんて」
「危険な森を抜けて、ユリウス殿を、ここまで送ってくれた事もそうだけど、欲が無い人たちだよね」
「ええ」
ベルシエラは、自分もそのような一族の血を受けていると思うと誇らしかった。同時に一般的な物欲や自我を持ち合わせた自分が、超俗的な戦士たちの血族だというのはこそばゆい。
「でもちょっと寂しいわね」
ベルシエラは髪飾りについた石を眺める。ベルシエラが触れているので石は透明だ。
「私が何処かではぐれた一族の子供だと分かっていても、特に何の感慨も抱かずにあの戦士は行ってしまったわ」
「そうだね。逸れる子供も、それを拾って養う人も、彼らにとっては、よくある出来事の一部に過ぎない、みたいだったね」
ヴィセンテは支えられている腕をゆっくりと動かして、ベルシエラの手を包む。青白く細い血管が浮き出た手だ。幽霊のようなその手に触れられて、ベルシエラは冬の夜に炉端で月を眺めるような心地がした。遠い憧れと朝には消える不確かさ、同時に安らぎを与えられた気がした。
お読みくださりありがとうございます
続きます




