169 カスティリャ・デル・ソル・ドラドの城主
急に飛び込んで来た幽霊に、ベルシエラは思わず口を閉じた。
「なんだね?何を言いかけたのだい?」
僅かな動作も見逃さず、エンリケ叔父は作り笑顔で聞いてきた。先代夫人はお構いなしに当代夫婦を急き立てる。
「早く、何か理由を付けて付いてらっしゃい」
「すまないが、一旦、休憩したい」
こういう時に病弱は役にたつ。ただし、普段誠実に無理のない範囲を保っている人に限るが。
「エンツォ、大丈夫?」
ベルシエラの心配は本物である。席を外す口実ではあるが、ヴィセンテの体調が優れないのは確かなのだ。
「皆さんは、そのままで」
ヴィセンテは立ち上がりかけたエンリケ叔父を牽制する。その場には杖神様が残るので、この後ここで起こることはしっかりと監視できる。
「報告は、当主夫人が戻ってから続けてください」
「部屋まで送って、すぐに戻ります」
ベルシエラは優雅な笑顔で皆に告げた。
エンリケ叔父は瞬時に損得勘定をした。付いて出て行くのと部屋に残るのと、どちらが自分にとって有利に働くか。相変わらず青褪めて骨と皮ばかりのヴィセンテだが、ここ数日で威圧感まで出してきた。
ベルシエラと出会う前までは生気なく黒ずんでいた双眸に、今や意志の光が宿っていた。目の縁は黒ずみ、落ち窪んだままである。だが、薄灰青の中に揺らぎ燃え立つセルバンテスのオーロラには凄みと神秘が入り混じる。
魔法公爵家とはなんなのか、その当主とは何者なのか。有無を言わせぬ存在感が、足元も覚束ないこの病人から滲み出しているのだ。流石にここは、当主の言葉に従うのが得策だ。
当主の隣で穏やかに立つ当主夫人は、魔物の群れから5人の巡視隊員を救い出した実力者である。エンリケ叔父以外、この場に居る者はベルシエラの発言や判断に信を置く。
エンリケは誘導尋問でお飾りの司令官だと思わせようとした。ところが現場にいた飛竜騎士たちには通じない。飛竜部隊を事実上率いたのがベルシエラだったからである。
エンリケ叔父は、魔物で埋め尽くされた森を生き抜いた巡視隊にも驚かされた。だがそれ以上に、電光石火の早業で彼らを森から連れ出したベルシエラの手腕は、驚愕を通り越して最早呆れるほどのものだった。
飛竜が見えたかと思ったら、さほど長くもかからず森から城へと戻って来た。巡視隊に疲労や怪我は見られたが、ベルシエラと3人の部下たちは無傷だった。魔法の炎に守られて疲れすら見せず、背筋を伸ばして帰城した。
アルトゥールは、クライン領を飛び立った時にはベルシエラに不信感を抱いていた。だが、イネスとフィリパを預けられた時、そしてアルトゥールにとって大事な家族を無傷で連れて来た今、その判断力と魔法の実力に敬意を抱いた。
この部屋でギラソル魔法公爵家当主夫婦に逆らうのは、愚か者のすることなのであった。
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