16 その名は私が読んだ主人公
緊張が頂点に達しようかという頃、ようやく王が従者に目配せをした。従者は懐から小さな巻物を取り出す。主賓のベルシエラは正面、即ちテーブルの反対側にいる。王の目線がベルシエラを捉えたので、慌てて顔を伏せた。
巻物は、セルバンテスの紋章を付けた謎の口上係に渡る。口上係は粛々と承る。巻物は上下に広げられ、口上係が口を開く。
「王君よりのお達し、心して拝聴いたせ」
みな食事の手を止めて席を立ち、跪いて頭を垂れた。
「魔法使いベルシエラ・ルシア・ヒメネスは、ギラソル魔法公爵家当主ヴィセンテ・アントニオ・セルバンテスに嫁ぐものと定める」
(えっ)
突然の宣言に、皆が凍りついた。森番一家はますます震えて、冷や汗までかいている。隊長ですら事前に何も聞かされておらず、ただの祝宴と思っていたとみえる。
だが異様な緊張感を察知してはいたのだ。ソワソワは重苦しい沈黙のせいだろう。隊長は思いがけない王命に、ぎょっとして目を剥き出していた。
皆の衝撃を他所に、口上係は淡々と読み上げる。
「御名御璽。代読、エンリケ・ガルシア・セルバンテス」
(あっ)
ベルシエラが凍りついたのは、皆とは違う理由だった。
(その名前、どっちも知ってる!!)
やはりおかしいと思ったのだ。本家の紋章を付けていいのは、このオジサンではない筈なのだから。
魔法職養成課程は実技がほとんどだった。だから、歴史や現在の名門魔法家系について詳しいことは教わらない。では、何故ベルシエラはセルバンテスの病弱当主の名前を正確に記憶しているのか。代読者の名前を聞いて、本家の家紋を許されない人間の筈だ、と何故思ったのか。
答えは簡単だ。同時に複雑でもある。
(これ、寝る前に読んでた小説の人物じゃないの)
美空は寝る前にネット小説を読んでいた。偶然見つけた古い個人サイトに載っていたものだが、きちんと完結した長編である。それは後悔男子の復讐劇で、「愛をくれた貴女のために」という題名だ。
この小説が語るのは、古いタイプの復讐純愛物語である。主人公の名前は、ヴィセンテ・アントニオ・セルバンテス。
(今読み上げられた結婚相手だわ)
主人公ヴィセンテは魔法の名門に生まれながら、魔法酔いという珍しい遺伝病を持つ。本家の生き残りは虚弱な主人公だけになり、叔父エンリケが当主代行となる。
(それで、エンリケが本家の家紋を付けてるのね。エンリケは先代の弟なのに発病しないって怪しいわね。それにお嫁さんたちもみんな、数世代に渡って病弱で早世するなんて、普通じゃないわ)
主人公は腹黒い叔父の策略により、悔やんでも悔やみきれない失敗を犯す。妻が行方不明でも放置したのだ。贅沢好きで落ち着かない妻が勝手に旅行している、と報告されたのを鵜呑みにしたのである。
(その時に亡くなった妻が、ベルシエラ・ルシア、旧姓ヒメネス。三部構成の第一部で退場する悪妻じゃないの!)
お読みくださりありがとうございます
続きます