119 丸聞こえは疲れる
ベルシエラは会話の向こうで悶える夫に困惑していた。
(ええっ、どうしたの?エンツォ?)
(わあっ、やめて!可愛いすぎる。顔みたい。今すぐ閲覧室まで飛んでいきたくなるからやめてよ)
戸惑う様子も、新婚で初恋の夫には刺激が強い。直に表情を見られないのは辛すぎた。抱きしめたくて仕方がなくなる。今のところ、髪と指先に触れるのが精一杯の愛情表現である。腕を持ち上げられない筋力の無さも原因だが、初恋の臆病さも手伝っている。
初恋の熱に浮かされて、ヴィセンテは自制が効かなくなりそうだった。現に、可愛らしい反応を見せる妻に心を掴まれて、つい揶揄ってしまう。だが、根が真面目な男である。自分のそんな衝動を恥じてもいた。
そんなヴィセンテの甘やかな葛藤など露知らず、妻は困惑気味に目元に朱を滲ませる。姿は見えねど雰囲気を察したヴィセンテは、予想される愛らしい仕草がちょっぴり怨めしくもあった。
(シエリータ、人の気も知らないで)
拗ねたような夫の言葉に、ベルシエラは益々翻弄された。
(えぇ?何よ?)
ヴィセンテはまっすぐな男である。巡視隊の隊長のような堅物唐変木ではない。それ故に、率直な気持ちを妻に伝えた。
(僕はね、病弱だから、大好きな妻をぎゅーって抱きしめることもできないんだよ)
(いいのよ、そんなこと)
(僕が良くない)
(ええと、そしたら、元気になってから)
ベルシエラは何の気無しに言った。だがヴィセンテには、それが無性に嬉しかったのだ。病気で弱って死んでゆくだけの身の上だと思っていた。それなのに、当然治るものとして扱ってくれている。そんな妻を愛さずにはいられなかった。
(ああもう、シエリータ、君はどうしてそんなに素敵なんだ)
ベルシエラには、ヴィセンテの気持ちが分からなかった。自分としてはごく自然な態度だったからである。それでも怖いとは思わなかった。ベルシエラはヴィセンテが愛情深い人であると知っていたのだ。
(今回が一周目だったら、こんな急にグイグイくる人は避けたかもしれないけど)
(えっ、急にグイグイ来る人って、僕)
(あ、ごめん、その)
またしても筒抜けだった。反射的に思ってしまう内容は、隠しようがない。
(これはちょっと嫌ね)
(嫌なの?何が?)
(思ってること全部丸聞こえなのは、聞かれる方も聞く方も疲れると思うのよ)
(うーん、確かに恥ずかしいけど)
(でしょ?どうにかならないか考えてみるわ)
(うん。そうだねぇ。僕も考えとく)
会話の向こうでヴィセンテがしゅんとしている。心なしか存在が薄れているようだ。
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