1 貴女は私を呼んだ
微睡の中で、美空は誰かが必死に叫んでいるのを聞いた。
「私のエンツォを救けて!」
哀切な響きはぼんやりとした意識を覚醒へと導く。
「はっ!」
飛び起きると、そこは崖の下だった。辺りは森だ。湿った空気に草木の匂いが満ちている。
「な、なに?」
キョロキョロと辺りを見回す。確かに休日の二度寝でウトウトしていたはずなのだ。もちろん、こんな屋外ではなく。
「あれ?でも、ここなんか、見覚えがあるような?」
上を向くと、何かが浮いている。
「ぎゃーっ!幽霊?」
「落ち着いてちょうだい」
高級そうな厚手のマントを身につけたご婦人が、悠然と話しかけて来た。美空は生唾を飲み込む。
「来てくれてありがとう。どうか息子の運命を変えてね」
幽霊はたおやかに微笑んで、空気の中に溶けてゆく。
「え、ちょっと?何がなんだか解らないんですけど?」
幽霊はそれ以上何も言わない。
「待ってぇぇー!」
バッと手を伸ばす。次の瞬間、森の風景は消えていた。
「なあんだ、夢かぁー」
美空はほっと息をついて、布団から出ようとした。
その時、バンッと音を立てて扉が開く。音と同時に、眩しいほどの金髪を振り乱した青年が飛び込んできた。
「ベルシエラッ!どうしたっ」
すぐ後ろに続く金髪の女性は、青年とよく似た面差しだ。目の色だけが違っている。青年は紫色、女性は翠。年齢差から見て親子だろうか。
「ベルシエラ!凄い声が聞こえたけど、何があったんだい?」
最後に入って来た男性が言った。小柄だががっしりとした体格である。やや長めの赤毛を無造作に束ねた小父さんだ。粗野な風貌に似合わず、思慮深げな紫色の瞳をしている。この人は父親なのだろう。
バタバタと駆け寄ってくる3人にも、部屋の様子にも見覚えはない。美空は上半身を起こした姿勢で、呆然とその情景を眺めていた。
「一体どうしたの?ベルシエラ?怖い夢でも見た?」
金髪の女性が尋ねる。柔らかな声だ。優しい口調で気分が落ち着く。
(ベルシエラ?)
3人とも、明らかに美空に話しかけている。そして、美空のことをベルシエラと呼ぶ。
(どういうこと?)
美空は、3人の顔をかわるがわるに見つめた。3人は、美空の返事を待っている。
(夢?だよね?夢から覚めたらまた夢の中だった、って言う夢、聞いたことある)
美空はしばらく様子を見ることにした。金髪の女性は、背中を摩ってくれる。
「なんだ、寝ぼけてんのか。アハハハハ」
金髪の青年が朗らかに笑う。部屋の中の緊張が一瞬で消えた。爽やかな初夏の風のような笑顔だった。
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