【6】どっちが主人か分からない
シンシアは寝起きが大層悪い。それは人生を三度繰り返し、四周目に入った今でも変わっていなかった。
さらに言えば、シンシアは寝相もよくない。
ゲシッと誰かに蹴られた感覚でデュークは目を覚ました。
どうして俺のベッドに他人がいるんだ? ……ああ、そういえば昨日持って帰ってきたんだった。
シンシアのスキルのおかげでデュークの体調は過去に例を見ない程よかった。マナが満タンの状態だったから一晩ぐっすり眠れたのだ。
デュークはとりあえず自分の胴体の上に乗った華奢な足をどかした。重くはないが、単純に邪魔くさいと思ったからだ。
時計を見ると、普段起きる時間を数分過ぎたところだった。
ちょうどいい目覚ましだったな。危うく寝過ごすところだった。
公爵家の人間とは言えど、騎士であるデュークにとって遅刻は厳禁だ。普段仕事は一人で行うが、一度怠けるとどこまでもどこまでも怠けるという自分の性格をよく理解しているデュークは他の騎士達と同様、騎士団のルールを厳守することを自分に課していた。そして、本日も出勤日だ。
デュークは職場にもシンシアを連れて行く気だったので、肩を叩いてシンシアを起こそうとする。
「……おい」
だが、シンシアは一向に目を覚まさない。薄っすらと目を開けることすらもしない。
……死んだか? もしかしたらあの場所から出したら死ぬ種族だったのかもしれないな。
デュークのズレた懸念は、シンシアに再び蹴られることで払拭された。……なんだ、ただ寝起きが悪いだけか。
起こそうとするだけ無駄だと判断したデュークは早々に自分の支度に取り掛かった。決定的に情緒が欠落しているデュークは少女が寝ている横でも平然と騎士服に着替える。
そして、デュークが顔を洗い、歯を磨き終わった後もシンシアはスヤスヤと穏やかな寝息を立て続けた。
「……起きないな」
あんな場所にいたくらいだし、人間よりよく寝る種族なのか? もしかしたら冬眠もするかもしれない。室内を温かくしてやれば大丈夫だろうか。
容赦なく掛布団を引っぺがしても起きなかった少女を見て、デュークは本格的に起こすのを諦めた。
仕方ない、このまま持っていこう。でもさすがに歯くらいは磨いてやった方がいいだろうか……。昔従姉が人形遊びにハマって人形の世話をしていたが、その時はどうしていたっけ。
……昔のことすぎて思い出せない。まあとりあえず歯を磨いて髪くらいは梳かしてやろう。
背中の下にクッションを置いてシンシアの体を起こし、洗面台から新品の歯ブラシを持ってくる。
「口を開けろ」
……やはり返事はない。
それからデュークははなんとかシンシアの歯を磨き、洗面台に連行してうがいをさせた。
「―――はぁ」
朝から疲れた。
ここまでやっても起きる気配すらない少女はやはり別の種族なんじゃないだろうか。疲れたのでとりあえず髪を梳かしてやるのは諦めた。
デュークは一人で朝食を摂り、食い意地の張ったシンシアのために軽食を入れてもらったバスケットを手に持つ。そしてもう片方の腕には白銀の少女を乗せた。
広々とした玄関ではテラーがいつも通り見送りに立っていた。
「坊ちゃん!? 寝巻のままシンシア様を連れて行く気ですか!?」
「仕方ないだろ。起きないんだ」
デュークはテラーに言われて初めて服を着替えさせるという工程に気付いた。しかし、流石に自分が着替えさせるのはマズいということくらいは分かる。
「では私がシンシア様の着替えをお手伝いいたしますので……!」
「時間がない。行ってくるぞ」
気付けば、出勤時刻が大分差し迫っていた。
明日からこいつを着替えさせるのはテラーに頼もうを心に決め、デュークは屋敷を出る。そこでデュークはあることに気付いた。
……スキルが使えない。
デュークはいつも『俊足』というスキルを使い、自分の足で騎士団に向かうのだが、今日はスキルを無効化するシンシアを抱えていた。一枚毛布を挟めば問題ないが、生憎部屋に置いてきてしまっている。
「……おい、騎士団本部まで馬車を出してくれ」
「!? は、はいっ!!」
突然デュークに話し掛けられた馬車の運転手は仰天した。なにせディアス家お抱えの運転手であっても、今まで一度も主人とまともに言葉を交わしたことがないのだ。
激しい動揺を押し殺しつつも、運転手はデュークとシンシアを乗せた馬車を慌てて出発させた。
***
その日、騎士の雑談の話題はもっぱらデューク一色だった。話は珍しく馬車で出勤したことから始まり、その腕に抱いていた少女は何者なのかという内容に必ず発展する。
しかし、デュークに気軽に話しかけられる者は限られているため、少女の正体は暫くの間謎のままだった。
これから先、暫くの間騎士団の話題が自分一色になることなど露知らず、デュークは自分専用の部屋に入った。デュークは存在だけで周囲を威圧してしまうので騎士団の本部に専用の部屋があるのだ。公爵家の子息であることも相まって、このことを批判する騎士は誰もいない。
その性質故に騎士団の訓練に参加することができないため、この部屋で出動要請があるまで書類仕事をこなすのがデュークの仕事だ。
今日もいつも通り書類と向き合う。いつもと違うのはデスクではなくソファーに座っていることと、その膝に少女の頭をのせていることだ。もちろん少女はまだ起きていない。
そのまま淡々と職務をこなしていると、扉の外からバタバタと、誰かが猛ダッシュしてくる足音が聞こえてきた。音は徐々に大きくなっていく。
バンッ!!
「デューク! お前女の子を誘拐してきたって本当か!?」
「……お前もか」
「!!」
扉を乱暴に開けて入ってきた騎士団長は、まともな言葉を発したデュークに驚き、そのまま目を見開いて固まってしまった。