【32】なんかいる……
次の日、騎士団の雰囲気がどこかいつもと違った。
あまり鋭い方ではないデュークも首を傾げる程だ。その程度が分かるだろう。
デュークが追究するまでもなく、原因は判明した。
なぜなら、原因の方からデュークのもとにやってきたからだ。
薄紫色のドレスを着た少女がデュークの進路を阻む。
そして、少女は顎の下で両手を組み、大きな瞳でデュークを見上げた。
「―――デューク様、お初にお目にかかります。私、アマリア・クラークと申します」
可愛らしい少女に挨拶をされたデュークはというと、極々自然に少女を避けて歩き出していた。
菫色の髪をした少女が愛らしい表情をしてデュークを引き留めようとしても、デュークは「邪魔だな」としか思わなかったのだ。
「ちょ、ちょと、待ちなさ……お待ちください!!」
菫色の少女が慌ててデュークを引き留める。
「……」
デュークはなんだ、と視線で少女に問いかけた。
もちろん、周囲に野次馬騎士は山ほどいるのだが、皆二人のやり取りをヒヤヒヤしながら見ている。
「私、クラーク公爵家のアマリア・クラークと申します」
「……」
で? としか言いようがなかった。
一度目の名乗りでもデュークは聞こえていたし、もう一度名乗られても何がしたいんだ? としか思わないのだ。
少女の方も、このまま名乗り続けても埒が明かないと思ったのか、勝手に会話を進展させてきた。
「私、前々からデューク様には憧れておりまして。是非一度お話がしたいと思い、押しかけてきてしまいました」
えへへ、と笑う少女は背景のように周囲に溶け込んでいる騎士達の心臓がバクバクなのを気付いていない。もちろん、ときめいているのではなく二人(ほぼ一人)のやり取りにヒヤヒヤしているのだが。
「まだ就業時間前でしょう? 一度その荷物を置いてお話しませんか?」
「荷物……?」
ようやくデュークが反応を示したことに、少女の表情がパァッと明るくなる。
「これは荷物じゃない」
「え?」
微かに機嫌の降下したデュークは、それだけ言い残すと足早にその場を後にした。
流石に追いかけなかった少女が見たのは、デュークの背中にちょこんと乗る白銀の頭。それを見た少女の瞳がクワッと開かれる。
「―――はぁ゛!?」
令嬢らしからぬ声が漏れたのを、騎士達の耳はばっちりと捉えていた。
デュークは自分の執務室に着くと、いつも通りソファーにシンシアを寝かせた。子ども抱きにした上に薄手の毛布を被せていたため、デュークと向き合っていた菫色の少女からシンシアは見えなかったのだ。
スヤスヤと絵画のような、それでいてあどけない寝顔を晒すシンシアに丁寧に毛布を掛ける。
こんなにかわいいシンシアを荷物に間違えられたことに、デュークはほんのりと不快感を抱いていた。自分ならば、例え布一枚かかっていてもこのかわいいのを間違えることはないと断言できるからだ。
その後、デュークはあえてシンシアとくっつかずに書類仕事をこなした。そうすれば「威圧」でこの部屋に入って来ることはできないからだ。
普段はシンシアに膝枕をしながら執務をこなすのだが、今日はそれをしなかった。
書類仕事中、膝の上の猫のような重みがないことに度々違和感とともに少しの寂しさを覚える。そして同時に、この状態になった元凶への腹立たしさも覚えた。
「―――ん……」
なんか、温もりが足りない。
違和感を覚えてシンシアは目を覚ました。
「んん……」
かすむ目で自分の周りを確認すると、なぜかデュークがソファーとは離れたデスクで仕事をしていた。
いつもよりも早い目覚めにデュークは少しだけ目を瞠る。
「……どうして離れてるの」
据わった目でデュークを見据えるシンシア。
「?」
シンシアはペチペチとソファーを叩いてみせる。こっちに来いという意味だ。
疑問符を浮かべながらも、デュークは近寄ってきてソファーに腰かける。
「……もうちょっとそっち」
「ああ」
寝ぼけ目のシンシアに言われるがままにデュークはソファーの端っこに詰める。すると、シンシアは満足げにうん、と一つ頷いた。
そして、デュークの太ももに頭を乗せてゴロンと寝転がる。
「…………二度寝か?」
そのデュークの問い掛けには、安らかな寝息が返ってきた。
***
次にシンシアが目を開くと、対面のソファーにヘルメスが座っていた。
なんだかデジャヴだと思いつつもシンシアは体を起こす。
「お、嬢ちゃん起きたのか」
「はい」
そこで、シンシアは違和感を覚える。いつもの快活な感じとは違い、ヘルメスの表情がどこか浮かないのだ。そして、自分が枕にしていた男もそこはかとなく不機嫌なのを感じる。
「どうしたの?」
首を傾げつつ聞くと、デュークに手櫛で寝ぐせを直される。
その様子を見て、ヘルメスは溜息を一つ吐いた。
「はぁ、丁度いいタイミングだし、嬢ちゃんにも知っておいてもらった方がいいだろうな」
「?」
寝起きのシンシアにはなんのこっちゃ分からないが、とりあえず話を聞く態勢を整える。
そこでシンシアは初めて、デュークの進路を阻んだという少女のことを知った。
「彼女の名前はアマリア・クラークだ。デュークはしつこく名乗られただろうからもう知ってるだろうが……」
「脳が受け入れを拒否したから今が初耳だ」
「随分都合のいい耳してんな」
「クラーク……」
つい最近聞いた家名だとシンシアは思う。
「そう、この前話した騎士団の問題児、フィル・クラークの妹だと思われる人物だ」
「妹だと思われる……?」
随分と引っかかる言い回しだ。
「本人はフィル・クラークの妹だと言っているし、乗ってきた馬車もクラーク家のものだ」
「じゃあ本物なのでは?」
貴族の、ましてや公爵家の馬車など部外者が簡単に手に入れられるものではないはずだ。
「それなんだがなぁ、フィルの妹は今まで一度も表舞台に出てきたことがないんだ。つまりは誰も顔を知らない」
「なるほど」
これまでずっと家に引きこもっていた人物がこのタイミングで急に顔を出すのはおかしい。しかも、明らかに性格が大人しく屋敷の奥に引きこもっているタマではないのだ。
「それに、あの溺愛具合を見るに、妹が出掛けるとなったらあいつも必ずついて来ると思うんだよな」
あいつ、とは、もちろんフィル・クラークのことだ。フィルの妹愛は有名で、部外者であるアマリアを無理矢理追い出せない理由もここにある。
「そのフィル・クラークさんにご本人かどうかを確かめてもらえばいいのでは?」
「それが、あいつ今いないんだ……」
「あれ? 今帰ってきてるんじゃ……」
「いつの間にかいなくなってた」
「それは……なんというか……」
自由すぎる人だ。騎士としての仕事はどうなっているのか気になる。
そこで、これまで黙っていたデュークが口を開いた。
「無理矢理追い出せばいいだろう。部外者だ」
「あのバカが兄貴なんでな、誰もその役をやりたがらねぇんだ」
聞けば、フィル・クラークの妹は実は不細工だから表に出てこないのではないかという話を面白おかしくしていた騎士二人を躊躇なく半殺しにしたことがあるという。
「ああ、なるほど……」
フィル・クラークの実力はデュークと並ぶかもしれないと言われている。そんな騎士の逆鱗に触れるような真似はしたくないだろう。
つまり、アマリアがフィルの言う妹であるという可能性がゼロでない限り、誰も強制的にアマリアを追い出すのはやりたくないという話だ。
「それでいいのか騎士団」
シンシアが思わずそう言ってしまったのも仕方がないだろう。