【29】一つの転機
「ただいま」
控室にシンシアが帰って来る。すると、デュークがすぐさま駆け寄ってきた。
「―――大丈夫だったか?」
「ええ、問題なかった」
そう言ったシンシアの顔色は確かに出ていく前よりもよかった。だが、何かを決意したような、少し寂しそうな複雑な表情をしている。普段あまり表情の変わらないシンシアにしては珍しい。
「はぁ~~」
「?」
ぽすん、とシンシアがデュークに寄り掛かる。
そしてぽつりと言う。
「問題なかったけど、つかれたわ。早くかえりたい……」
デュークの胸にグリグリと額を押し付けるシンシア。もはや髪が乱れようとお構いなしだ。
謁見などもう二度としたくない。
デュークの大きな手が労うようにシンシアの後頭部を撫でた。
「そうか。じゃあ早く帰ろう。走るか?」
「走らなくていいわ。早く馬車でゆっくり帰りましょう」
「そうか」
疲労困憊の今、デュークに本気で走られたらどうなってしまうか分からない。
賢明なシンシアは馬車で帰ることを選んだ。
「―――し、シンシア様!?」
帰宅したシンシアを見てテラーは悲鳴を上げた。
ぐったりとして意識のないシンシアがデュークに抱かれて帰ってきたのだ。ぐっすりではなく、確実にぐったりしている。
一時的によくなったように見えた顔色も蒼白に逆戻りしていた。
謁見に向かっただけでどうしてこんなことになるのかとテラーは困惑する。
「テラー、どうすればいい」
「とりあえずお部屋に運びましょう!! 先に行ってシンシア様を寝かせておいてくださいまし。その後は私がシンシア様を着替えさせますので一旦他の部屋に退避してください」
「分かった」
テラーはデュークに指示を出すと、自分はその他もろもろの指示や準備をするために使用人エリアへと走った。
デュークも早歩きで部屋へ向かう。全力で走ると周囲の物が損傷する恐れがあるので早歩きだ。
部屋に着くと、シンシアをそっとベッドの上に横たわらせる。
流石に靴は脱がせておいた。デュークでもそのくらいのことはできるのだ。
(これは、どうしてあんなにも怯えていたんだ?)
王宮に行った時の尋常じゃない怯えようをデュークは思い出す。物心つく前から幽閉されていた人物があそこまで王宮に恐怖心を感じることがあるのだろうか。王宮に行ったことなどない筈なのに。
なんにせよ、シンシアの精神に多大なる負担がかかったことは事実だ。謁見終わりのシンシアを見るに悪いことにはならなかったようだが、なんとしても謁見を拒否するべきだったとデュークは後悔していた。
シンシアの顔に掛かった白銀の髪をデュークの手がサラリとはらう。
「!」
すると、背後の扉がガチャリと開かれた。
「あら坊ちゃま、まだいらっしゃったんですか」
部屋移動をしていないデュークに、まだ早かったかとテラーが踵を返そうとする。それをデュークが止めた。
「テラー、こいつ熱がある」
「え?」
そこからのテラーの動きは早かった。
シンシアの熱を測り、デュークを追い出して素早くシンシアを着替えさせる。その間、軽く体を拭くのも忘れない。
さらには看病係としてデュークを残し、自分は熱があっても食べやすいスープなどを料理長に頼みに向かった。
嵐のようにテラーが去っていき、ベッドサイドにはデュークがポツンと残される。
シンシアの容態が変わったり、目覚めたりしたら誰かに知らせるのがデュークの役目だ。と言っても、今回の発熱は精神的な疲労からきたものだと考えられるので身体的にそこまでの緊急性はない。だが、何かしなければとデュークがソワソワするのでその役割を与えられたのだ。
本来ならば額の濡れタオルを換えたりなども頼まれそうなものだが、公爵家の人間であるデュークにそんなことを任せる人間はいない。
「……早くよくなれ」
静かな室内に、デュークの呟きがポツリと落ちる。
―――そんなデュークの願いが届いたのか、その日の夜にシンシアは目覚めた。
「熱、下がった」
自分の額に手を当ててシンシアが言う。すると、本当か? と訝しむようにデュークがシンシアの小さな額に手を当てた。
「……確かに下がってるな」
「うん」
そうでしょ、と言いたげにシンシアがコクコク頷く。
「だから普通のごはんを食べてもいい?」
「ダメだ」
「……」
テーブルの上でホカホカと湯気を上げるデュークの食事に視線を固定したまま、シンシアが微かに頬を膨らませる。見る者が見れば悶絶ものの光景だが、デュークは折れなかった。
「今日は我慢しろ」
「……私のために胃に優しいスープを作ってくれたのは分かるけど、お肉も食べたい……」
全く用意がないのならシンシアとて諦めた。だが、デュークの分があるということはシンシアの分も確実に下ごしらえされていたのだ。
もったいないし、あるのならば自分もおいしいお肉が食べたい。
そうして暫くごねていると、遂にデュークが折れた。
「はぁ、分かった。だが肉は二切れまでだ」
「! ありがとう!」
念願の肉をゲットし、表情はあまり変わらないながらも喜びのオーラを放つシンシア。
そんな二人の様子を、食事の準備をしていたテラーが微笑まし気に見守っていた。
「さあさあお二人とも、お席に着いてくださいな」
「はい」
「ん」
素直に席に着く二人。
決まったのは直前なのにテーブルの上にはシンシア用のステーキが二切れ、別皿に用意されていた。
「テラーさんありがとうございます。いただきます」
「いただきます」
ステーキはもちろんとても美味しかったが、野菜のエキスたっぷりのスープも予想以上に美味で、シンシアは舌鼓を打った。
「―――? どうした」
二人とももう少しで食べ終わるというところでシンシアがガクリと項垂れた。そしてあわや倒れるというところをデュークが支える。
再び体調が悪化したのかとデュークは思った。しかし、腕の中のシンシアはスヤスヤと穏やかな寝息を立てている。
テラーも慌てて近付いてきて、シンシアがただ寝ているだけだということを確認した。
「あらまぁ、でもお疲れでしたものねぇ」
「そうだな……」
自分とシンシアの残りをサクッと平らげ、デュークはシンシアをベッドに寝かせる。
「ゆっくり休め」
デュークは労いの気持ちを込め、シンシアの頭をそっと撫でた―――。
短編、「王子の婚約者だけど冤罪をかけられました。彼らを嘘つきにしないように冤罪内容を全部ほんとにしてあげようと思います!」を投稿しました!
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