【17】いざ演習へ
演習に向かうにあたって、必要なものはテラーとデュークが滞りなく用意しておいてくれたようだ。
シンシアが受け取ろうと手を出したが、荷物はすでにブランシュの背中に括り付けられているらしい。
玄関の外に行くと、風呂敷が首に巻き付けられたブランシュが大人しく伏せをして待っていた。
「!」
ブランシュを目にしたシンシアの瞳がパァッと輝く。
「ブランシュ!」
「こら、急に走るな。転ぶぞ」
デュークが走り出そうとしたシンシアの脇に手を差し込み、ぷらーんと持ち上げる。そしてそのままブランシュの元まで歩いて行き、シンシアをブランシュの上に乗せた。
「ふゎっ! もふもふ!!」
ブランシュにまたがったシンシアはそのまま上半身を前に倒し、顔を毛に埋めモフモフを堪能する。そしてスーッと深く息を吸った。
「うふふ、獣のいい匂い」
「猫吸い……いや、虎吸いか?」
首を傾げるデューク。
「坊ちゃま、シンシア様、そろそろお時間です」
「ああ、そうだな。行ってくる。留守は頼んだぞ」
「承知いたしました」
テラーが深々と頭を下げる。
「いってきます」
シンシアも毛皮から顔を上げてテラーに挨拶をした。
テラーがシンシアの手を取る。
「シンシア様、お気を付けくださいね。くれぐれも危険なことには首を突っ込みませぬように。全身で脱力して坊ちゃまに抱えられているくらいでちょうどいいのです」
「はい、そのつもりです」
「それはようございました」
シンシアの返答にテラーは満足そうに頷き、礼をする。
「それでは、お気をつけていってらっしゃいませ」
それにうむと頷き、デュークはシンシアの後ろに乗り込んだ。
人が二人も乗ってしまって大丈夫なのかとシンシアは心配になる。
「二人も乗ってしまって大丈夫なの?」
「問題ない。虎の前に魔獣だからな」
デュークの言った通り、ブランシュはスクッと四足で立ち上がった。そしてそのまま、人二人+荷物を乗せていることなど感じさせない足取りで駆け出していく。
走り出したブランシュの上でシンシアは振り向き、テラーに向けてふりふりと手を振った
「はぅっ!」
愛らしいシンシアの様子にテラーは胸打たれ、その場で崩れ落ちた。
***
今日はデュークの実務室ではなく、ブランシュに乗ったまま直接訓練場に向かった。
デュークの指示でブランシュがのっしのっしとヘルメスの前に向かう。
「おはようございます」
「うおっ!?」
ブランシュの圧にヘルメスが慄いた。そんなヘルメスをブランシュの上からデュークが見下ろす。
「ヘルメス、シンシアが挨拶をしている」
「お前はどこのモンペだ。てかお前も挨拶しろよ」
ヘルメスはデュークにぶつくさ文句を言った後、「嬢ちゃんおはよう」とシンシアに挨拶を返した。それを見てうむ、と一つ頷くと、シンシアを抱いてブランシュから下りた。
「話には聞いてたが、やっぱりお前の威圧に耐えられる魔獣だけあってすごい迫力だな」
「かわいいだろ」
「かわ……?」
ヘルメスが不可解だと言わんばかりの顔をしてシンシアを見る。お前の主人の美的センスは大丈夫か? と聞きたいのだろう。
ブランシュのベースは確かにホワイトタイガーだが、その体躯は通常の虎の三倍あり、口からは太くて鋭い牙が大幅にはみ出している。また、かなり凶悪で鋭い目はほんのりと赤色に光っている。一般的な感性の持ち主なら身の危険は感じれど、かわいいなどとは思わないだろう。
だが、ヘルメスが助けを求めた先のシンシアも一般的な感性の持ち主とは言い難かった。なにか言いたげなヘルメスの視線を受けてシンシアは首を傾げた。
「? ブランシュはとてもかわいらしいですよね?」
「あ、嬢ちゃんもそっちだったか」
「そっち……?」
なんのことだろう。ヘルメスに聞こうとしたが、なんでもないとはぐらかされてしまった。
「ところで、団長様はブランシュを見たことがないんですか? 結構驚かれてましたけど」
「遠目にはあるが、こんな至近距離で見るのは初めてだな。普通ペットを職場には連れてこないだろ?」
「……そうですね」
「あ、すまん、嬢ちゃんの年齢で普通の職場なんて言われても分からんよな」
「まぁ……はい……」
適当に相槌を打ったのがバレてしまったようだ。転生する前のどの人生でも普通の職場など経験したことがないのでペット同伴の可否など分からないのだ。
そんな話をしていると、ブランシュがシンシアの頭に頬をスリスリしてきた。
「グルルルルル」
「ふふっ、かわいい。あ、ブランシュ、今からお出かけだから舐めるのはダメよ」
シンシアを舐めようとピンク色の舌を覗かせてたブランシュを止める。
野宿ということで風呂に入れる望みは薄いので、ベタベタのボロボロにされるのは勘弁だ。
シンシアに止められると、ブランシュは大人しく舌を引っ込めた。どうやら初日の邂逅でシンシアのことをかなり気に入ったようだ。普通は飼い主でもない相手に自分のやりたいことを遮られたら容赦なく襲い掛かる。ブランシュはただの虎でもペットでもないのだ。
ゆえに、ヘルメスはシンシアがブランシュの口を押えた時、心臓が浮き上がるような気持ちだった。ブランシュがシンシアに襲い掛かるのではないかと、剣の柄に手をかけた程だ。
だがヘルメスの心配とは裏腹に、ブランシュは驚くほど素直にシンシアの言うことを聞いた。
「いい子ねブランシュ」
「グルァァァァ」
シンシアがよしよしとモフモフの頭を撫でると、ブランシュは嬉しそうに鳴く。
その飼い猫のような様子に、ヘルメス含め常識を持った騎士達は驚愕した。一方、視線の中心であるシンシアとブランシュの主であり飼い主のデュークは、暇そうに宙を見つめていた。
「おいデューク、嬢ちゃんはこのブランシュに乗せて移動するのか?」
「いや、そうすると俺の威圧が抑えられないからいつも通り俺が抱いて移動する。ブランシュは荷物持ちだ」
「お前もブランシュに乗ればいいだろ」
「俺だけ楽をしては示しがつかん」
デュークのその言葉にヘルメスが目を瞠った。
「……お前、意外とそういうことも考えてたんだな……」
「ふん」
当たり前だろうと言わんばかりの顔をするデューク。
ヘルメスが上着の内ポケットから懐中時計を取り出す。
「そろそろ時間だな。全員整列!」
ヘルメスが号令をかけた瞬間、騎士達が一斉に動き出し、ヘルメスの前に整列した。
統率のとれた動きにシンシアは目を瞠る。
すごいわ。よく訓練されてるのね。
結構面白かったからもう一度やって欲しいが、そんなことを口に出せるわけもない。
デュークを除いた騎士全員が整列したのを見て、ヘルメスはうむ、と一つ頷く。
「これより、野外演習に出発する!」
「「「はっ!」」」
きれいに揃ったいい返事の後、隊列を組んだまま騎士達は歩き出した。今回はそこまで遠出はしないので、馬は使わずに移動するのだ。
そして、シンシア達も隊列の後に続く。とは言っても、シンシアは抱っこされているので歩くのはデュークだけだが。
↓の☆☆☆☆☆をポチッと押して評価していただけると励みになります!