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【コミカライズ】相棒契約の期限は延長する

作者: 小松るみや


 突然、王立学園内の特別室に呼び出されて、婚約の打診を受けた私は、驚きで声もなく固まった。

 だってそのお相手は、私とは全く面識がないブライアン第二王子だったから。


「安心しろ、カレン・フリント伯爵令嬢。婚約は偽装だから、結婚に至る事は絶対にない。難しく考えずに引き受けて貰いたい」

「お言葉ですがブライアン殿下、偽装だから安心だなんて、とても思えないのですが」


 王族と偽装婚約だなんて、裏がありそうで不安しかない。


「実は、俺は兄のジェレミーに命を狙われていてな──」

 

 ほら、やっぱりキナ臭い話じゃない。

 嫌ですよ、聞いちゃったら引き返せなくなるヤツじゃないですか。


 思わずソファーから立ち上がり掛けたものの、ブライアンに腰掛けるようにと手で制されて仕方なく座り直す。


「話を聞け。これはお前にとっても決して悪い話じゃない」




 以前から貴族の間では凡庸なジェレミー第一王子よりも、優秀で人望の有るブライアン第二王子の方が王太子に相応しいのではないかと公然と囁かれていた。しかし木偶のように操りやすい人間が王にならなければ困る貴族が一定数存在していて、これらの派閥がブライアンを亡き者にしようと動いているらしい。

 既に何度もブライアンに向けて刺客を送ってきていて、その都度返り討ちにしているのだそうだ。


「それは大変ですね。早いとこ王太子という地位に興味はないと公言して、王位継承権を放棄した方が良いのでは?」

「それは無い。俺は王太子になる気満々だからな」

「えっ、本気ですか?!」

「短慮なジェレミーが国政を執るのは絶対に無理だが、俺には国家を統治する能力も覚悟もある。どちらが王太子に相応しいかは言うまでもないだろう?」

「ご、ごもっとも……」

「そもそもアイツは馬鹿で軽率だから、俺が何もしなくても勝手に自滅して王位継承権を剥奪されるだろうと踏んでいる。だから俺はそれをのんびりと待っていれば良いだけの話なんだが、待っている間に殺されたら面白くないからな。──そこで、お前の出番だ」

「ハァッ? 私ですか」


 ビシリと指を指されるも、どう考えても王子たちの王位継承争いに私が関係あるとは思えなかった。頼むから人違いであって欲しい。


「以前、学園の講堂で劇を上演していただろう? 暇つぶしのつもりで観たのだが」

「ああ、あの劇を観たのですか? 確かに私も出演してましたけど」


 ひと月程前、巷で話題となっている『婚約破棄ものの恋愛劇』を学園有志で上演したのだ。子供の頃から女優に憧れていた私には、とっても楽しい経験だった。


「あれは素晴らしかった。お前の演技は誰よりも輝いていて、目が釘付けになったぞ。思わずお前の身元調査を依頼してしまうほどに」


 えっ、……それってつまり、私に一目惚れしたってこと?


「断言してもいい。あの劇を観た全員が、幕が降りるまでお前のことを心の底から憎んでいた。それくらい悪辣で鬼畜な悪役令嬢だった」


 …………もう帰っても良いですか。


「待て。お前は俺が立太子する為に神が与えてくれた優れた人材だ。身元調査で知ったのだが、お前の実家のフリント伯爵家は高位貴族とは名ばかりの、何の権威も無ければ財力も無い貧乏伯爵家だそうだな。

 王太子妃に全く相応しくないお前と婚約すれば、兄とその一派は俺が王位継承権に全く興味は無いものと判断して殺意を無くすだろう。

 だから、アイツが失脚して俺が立太子するまでを契約の期限として偽装婚約をしてほしい。来るべき時が来たらお前を自由にしてやる。婚約は円満に解消し、俺は王太子妃に相応しい力のある家の令嬢と改めて婚約し直す」

 

 家の力の無さで王族の婚約者に選ばれたとは。

 お父様が聞いたら再起不能に陥りそうな理由だわ。


「そうだな……兄の幼馴染で婚約者のローズマリー嬢を、俺の婚約者にすげ替えるのが一番良いかもしれない、彼女は聡明で王子妃教育も殆ど終わっているからな」


 ローズマリー侯爵令嬢は美しく気品に溢れた素敵な女性だ。ジェレミーと同じく学園の最高学年で女子生徒の憧れの的。もちろん私も大ファンだ。

 婚約者である彼女をほったらかしにして、いつも別の女の子とベタベタしているジェレミーよりも、浮いた話ひとつ無いブライアンと結ばれた方がローズマリーにとっては幸せであろうと私も思う。

 

「あのー、それで私にとって悪い話じゃないっていうのは……」

「婚約の解消はこちらの有責だから、賠償金に色を付けて渡す事を約束しよう」


 そうして彼が提示した金額は、我が家では絶対お目にかかれないほどの高額だった。


 恥を忍んで言わせてもらえば、我が家はお金が無さ過ぎて私の結婚の持参金を用意できる当てがない。

 だから早くから貴族とのご縁は諦めていて、商家か裕福な平民に的を絞って婚活を始めようと、暇を見ては平民に紛れて情報収集を行なっていたのだ。


「それを持参金にして結婚するも良し、商売を始めるも良し、お前の好きに使えば良い」

「もし断ったら、どうなりますか?」


 フッとブライアンの口から失笑が漏れる。


 なんか、少しムカつくわね。

 そんな態度を取っても、欠片も損なうことがないイケメンなのが、更に癪に触るわ。


「お前は計算の出来る女だ。この意味が分からないとは言わせない」


 きっと断ったら、私や家に不名誉な事や面倒事が起きるのでしょうね。やっぱり聞いてしまったら引き返せなくなるヤツだったか。

 これはもう、覚悟を決めるしかあるまい。


「承知しました。私、ブライアン王子殿下と契約します。ずっと女優に憧れていた私が、実際に王子の婚約者を演じる機会なんて滅多にないですものね。折角なので目一杯楽しんで演じさせて頂きます」

「そう言ってくれると思っていたぞ。俺はお前の演技力に報酬を払う。かつての悪役令嬢のようなイキイキとした演技を期待しているぞ、相棒」


 私は貴族との結婚。ブライアンは立太子。

 それぞれ目指すものは違えども、相互協力の意志を確認してガシリと固い握手を交わした。

 相棒契約が結ばれた瞬間だった。





 

 それからは毎日授業が終わると特別室に篭り、急な婚約を不自然に思われないよう、二人の馴れ初めエピソードを練り上げる話し合いを重ねた。ブライアンはこういう事は綿密にしないと気が済まないタチらしい。真面目か。


 王族相手ということで、最初は適度な緊張感を持って接していたのに、慣れというのは恐ろしいもので、いつしか遠慮がなくなった私は、お菓子を持ち込んでくだらないおしゃべりに興じたり、解らない勉強を教えてもらったりした。


「こんな問題も解らないのか。一応俺の婚約者なんだから恥ずかしい成績を取るなよ」


「これは先程教えたばかりだろうが。数分前のことをもう忘れたのか、鳥頭め」


「菓子を食い過ぎだ、ノートにカスをこぼすな。口だけじゃなく、脳味噌と手をもっと動かせ」


 口では文句を言いながらも、解り易くきちんと勉強を教えてくれ、テストの山まで張ってくれる。お陰で私の成績は急上昇だ。


 そんなこんなで、単純な私が彼に惹かれるのに時間はかからなかった。


 ウマが合うとでも言うのだろうか、立場も性格も全く違う私たちなのに、何故か小気味好く話が弾んで一緒にいてとても楽しい。

 気づけば、学園での休み時間は毎日一緒に過ごしている。

 お陰で周りの人たちは全員、私たちをベッタベタな恋人同士だと思っているみたいで、婚約の信憑性が増したよ。


 相棒契約を結んだ時は上から目線の俺様野郎だと思っていたけれど、婚約のお披露目をした後はひたすら私に優しくなった。


 まぁ、あれだな。周りの目を意識して、仲良し婚約者の演技をしているんだと思う。

 私を女優としての稀有な才能があると褒め称えていたけれど、彼もなかなかどうして名役者だ。


 二人で夜会に参加する事も多くなり、その度にドレスやアクセサリーを贈られ、美容や着付け専用の侍女を派遣してくれる。

 今まで着飾る事をおざなりにしていたから、毎回侍女たちに完璧に仕上げられた装いを鏡で見ると、自分自身でも別人のようで驚いてしまう。


 目元を和らげながら「凄く綺麗だ」とブライアンに褒められるたびに、私の心は上昇気流に乗った鳥のようにぐんぐん高く舞い上がり、その後失速してぺちりと地面に落っこちた。


 うん、解ってるって。この関係は今だけの仮のものだってことはさ。


 時が来れば婚約は解消され、私との短い婚約のことなど、彼はきっと直ぐに忘れてしまうのだろう。

 そしてブライアンの隣の場所には、正しい婚約者としてローズマリーが置かれるのだ。


 あーあ。こんな事なら相棒契約なんかしなけりゃ良かった。


 少しだけお姫様役を射止めた女優気分を味わって、契約が解除された後はまとまったお金だけを受け取り、すぐに関係が終わると思っていた。


 私って本当に間抜けだな。好きになっちゃいけない人を好きになってしまった。


 今だって私の手を取り、ふわりと優しく背を支えて、他の人には見せないような親密な笑みを浮かべながら彼は私とダンスを踊っている。

 そんな表情を見せるから、もしかしたら私の事を少しは想ってくれているのかもと誤解してしまうんだ。この罪作り野郎め!


「さすがは女優だな。まるで淑女のように踊るじゃないか」

「殿下に恥をかかせる訳にはいきませんからね。ローズマリー様の上品さを演技の見本にしておりますわ」


 王子妃教育で頻繁に行く王宮で、ローズマリーとも懇意になりお茶する仲となった。憧れのお姉様の美しさを側で堪能させて貰えてとっても幸せだ。


「中身はまるで違うがな」

「生粋の高位貴族令嬢のローズマリー様と、貧乏庶民派の私とでは比べものにならないのは当然ですよね」

「そういう意味ではなくて。……俺にとってはお前の方が特別だ」


 えっ。それって、どういう……?


 ブライアンに言葉の意味を問いただそうと顔を上げた時、ふと視界の端を光る物が掠めた。

 隣で踊っているペアの片割れの女性が、髪に手をやり鋭利な髪飾りを引き抜いた所だった。


 刺客だ。


 気づいた時には身体が動いていた。

 よろけたフリをして髪飾りを持った女の腕にしがみ付き、ぶら下がるようにして体重を掛ける。次の瞬間しっかりと腕を抱えたまま、足を踏ん張って渾身の力で上方に持ち上げた。

 ごきりとイヤな感触がして、肩が外れた激痛で声も出せない女が、転げるように床に蹲った。


「まぁ、どうなさったの? 大丈夫かしら。誰かこの女性を別室へお連れして」


 もちろん倒れている令嬢を心配する、貴族令嬢としての演技も忘れない。


 直ぐに駆けつけた護衛騎士たちにブライアンは、女とペアになっている男の二人組を会場を出たら連行しろと、騒ぎを大きくしないように小声で命じる。


 慌ただしく男女を連れた一団が去ると、途切れていた音楽が再開して、何事もなかったかのように人々の騒めきが会場内に満ちた。ブライアンは手を差し伸べてダンスの続きを促す。


「俺は護衛の演技までは要求していないぞ」

「身体が勝手に反応してしまいました。あの女はブライアン殿下との距離だけを測っていて、私の方は一瞥もしませんでしたよ。素人臭い刺客でしたから、私が手出ししても大丈夫かと」

「お前は、貴族令嬢としては色々と規格外だな」


 彼は大袈裟に肩をすくめる。


「あれは第一王子派の家の娘だ。油断を誘うつもりだったのだろうが、あんな温室育ちの令嬢を差し向けるとは、俺も甘く見られたものだな」

「たかが付け焼き刃の刺客でも、度重なれば気が休まりませんね。お察しします」

「今後同じような事があっても、お前は手を出すなよ」


 えっ、なんで?


「分かりやすく不服そうな顔をしているが、危険だからに決まっているだろうが。先程の髪飾りには確実に毒が塗られているぞ。自ら危険に飛び込んでいくなど、お前には自殺願望でもあるのか」


 いや、ないけどさ。

 でもあんな、ぽや〜っとしたご令嬢に簡単に殺されない程度には、自己防衛できると思うんだよね。


「……お前はせいぜい、俺に守られておけ」

「えっ……!!」


 ギョッとしてブライアンの顔を見据えるが、微妙に視線を外されて彼の真意がまるで分からない。うっすら耳が赤い気がするけれど。


 いや、勘違いしてはいけない。

 令嬢らしく大人しくしつつ婚約者としての演技を完璧にこなせと、きっとそういう意味だ。余計な期待は身を滅ぼす。


「人とは解らぬものだな、相棒になったばかりの頃はお前がこんなに面白い奴だなんて思わなかった。一緒にいる時間が楽しすぎて、お前と出会う以前の俺がどんなものを見て心を動かされていたのか、もう思い出せないんだ」


 ブライアン殿下。それって……。


「認知症、かもしれませんね」

「……この流れで、どうしてそうなるんだ」


 眉を下げ、肩をがっくり落としたブライアン。

 理由はさっぱりわからないけど、彼をギャフンと言わせることに成功したらしいと知った私は、くすくす笑い出した。

 やがてブライアンも苦笑し始めて、穏やかに、和やかに夜は更けていく。


 こんな夢のような幸せな日々が長く続きますようにと、毎晩眠る前に祈ってしまうのは、誰にも言えない私の小さな秘密だ。





 ──なのに。

 ひと月後に行われる卒業パーティーで、私は彼を裏切る事になるのだ。







「カレン、久しぶり」


 下町の大通り。市場で値切りに値切った戦利品を抱えて歩いていたら、友人に呼び止められた。


 ビリーは下町で私が貴族の娘だということを知る数少ない友人だ。王立学園に入学してからは会う頻度が減ってしまったが、身分の差を超えて言い合える幼馴染で、私に護身術を教えてくれた師匠でもある。

 しばらく他愛のない世間話をしていた彼が、思い出したようにその名前を口にした。


「……キティ・スティール?」

「そう、キティだ。聞いたことない? 平民から男爵家の養女になって、カレンと同じ学校に通ってるはずなんだけど」


 最近ジェレミーに恋人気取りでくっついている、ピンク髪のゆるふわ女がそんな名前だった気がする。


「昔からの顔見知りなんだけど、この前バッタリ会った時に『良いこと教えてあげるわ〜。私もうすぐジェレミー第一王子の妃になるのよ〜』なんて寝ぼけたことを言いだして」

「ジェレミー殿下の? だって彼にはローズマリー様っていう婚約者がいるのよ」

「うん、オレもそう思ってキティを嘘つき呼ばわりしたら、ヒステリーを起こして『嘘なんかついてないわよ! あの高慢ちきな女はね、卒業パーティーの時に断罪されて国を追い出される予定なんだから!』って叫び始めてさ」


 卒業パーティーの時に断罪?

 あのローズマリー様が、断罪されるような悪事を働いてるとは思えないんだけど。


「第二王子の婚約者であるカレンが、何か変なことに巻き込まれるんじゃないかって心配してたんだ。キティは自分の欲しいものを我慢できるようなヤツじゃないから……くれぐれも気をつけるんだよ」


 友人に重要な情報と心配をしてくれたお礼を言って別れた後も、胸の中に生まれた得体の知れない不安は消えなかった。

 だからローズマリーに誘われてお茶を飲んでいる時に、キティを知っているかと尋ねてみた。


「……知っているわ。ジェレミー殿下のお気に入りで、いつもそばに置いているの。明るく素直な彼女の側にいると、心が休まるのですって」


 ローズマリーは悲しげに目を伏せて小さくため息をついた。


「そんなっ……! ローズマリー様というお方がいるのに、ジェレミー殿下はなんてことを!」

「良いのよ。殿下は、お立場の所為で酷く傷ついてきた方です。わたくしでは殿下を癒してさしあげることは出来ないのでしょう」


 そうしてローズマリーは、幼い頃からジェレミーがどんなに繊細で、ブライアンと比較され、周りからの心ない言葉で打ちのめされて来たか、そしてどんなにジェレミーの心の支えになりたいと願ってきたかを切々と語り、ジェレミーが幸せになれるのだったら自分は身を引いても良いと言った。


「私、思い違いをしていました。ローズマリー様は未来の王妃としての役割の為だけに、ジェレミー殿下と婚約したのだと」


 嫌でも解ってしまう。

 ローズマリーがジェレミーを心から大切に思っていることを。

 以前、ローズマリーの気持ちなど全く考えもしないで、彼女はジェレミーよりもブライアンの婚約者になった方が良いんじゃないかと思ったことがあった。なんて傲慢だったんだろう。

 

 卒業パーティーまで、あと3週間。

 卒業生ではないけれど、ブライアンと共に参加する予定だった。


 私は一体どうすればいいんだろう……。







「ローズマリー・スターキー侯爵令嬢! 僕の愛するキティ・スティール男爵令嬢に行った虐めの数々、許し難い! 性悪なお前との婚約は破棄させてもらう!」

「待って下さい、ジェレミー殿下! 虐めどころか、わたくしはスティール男爵令嬢とは言葉すら交わした事もありません! 何かの間違いです!」

  

 卒業パーティーが始まるや否や、卒業生の一人であるジェレミーがローズマリーに一方的な婚約破棄を突きつけ、彼女の犯した罪を次々と並べ立てていく。


「ローズマリー。お前が悪事を働くのを見たという証人が何人もいるんだぞ!」

「酷いです! あんなに虐めておいてシラを切るなんてっ。私は階段で押されて、もう少しで命を落とすところだったのに!」


 ジェレミーの隣で儚げな美少女が両手で顔を覆う。キティだ。

 肩がブルブルと震えているが、上手い具合に目が隠れていて本当に泣いているのかどうかまでは解らない。


「はっ! 良く出来た令嬢だと、皆に誉めそやされて調子に乗りおって。今後態度を改めて身の程を弁えるのなら、側妃ぐらいにはしてやってもいいぞ」

「ジェレミー殿下ぁ。キティを正妃にして下さぁい」

「うむ。考えておこう」


 キティを伴ってこの場から立ち去ろうとしているジェレミー殿下を、渾身の叫びでl呼んだ。


「待って下さい、異議があります! その婚約破棄ちょっと待ったーっ!!」


 その場にいた全員がぎょっとしながら振り返り、私を凝視する。

 公の場で王族を怒鳴るように引き留めるなんて命知らずな、と全員の顔に書いてあった。

 なかでも少し離れた場所にいたブライアン第二王子は、目を零れんばかりに見開いて、驚愕で口が半開きになっている。


 ああっ、なんて事なの。あんな間抜けな表情をしても、我が婚約者様はメチャメチャ格好良い……!!


 小さな後悔がちくりと胸を刺す。


 黙ってこの場をやり過ごせば、王室が決めた婚約を独断で破棄した罪と、ローズマリーのご実家であるスターキー侯爵家の後ろ盾を失う事により、ジェレミーは王太子となる資格を失うだろう。

予定通りブライアンが立太子して、私は約束の報酬を受け取る。


 でも私の中の良心が、それではダメだと叫んでる。

 何も言わずにローズマリーを見捨てたら、一生良心の呵責に苛まれるだろうと。


 声を上げることで、ブライアンには約束を違えたと軽蔑されるかもしれない。

 もう二度と幸せで楽しかった日々には戻れない。


 それでも。

 それでも私は──カレン・フリントは、自分が正しいと思ったことを実行するんだ!


 私は舞台に立つ女優のように背筋を伸ばし、胸を反らして堂々と声を張る。


「その罪は全て捏造で、仕組まれたものです! ここに証人がいます!!」


 ジェレミー殿下が憎々しげにこちらを睨みつける。


「カレン・フリント伯爵令嬢。わかっているだろうが、弟の婚約者でなければ不敬罪で首をはねているところだ」

「承知しております。

 ローズマリー様の悪事の証人とは、この者たちで宜しいですか?」


 私の側にいる数人の男女を手で示す。

 3週間かかって探し出し、本当の事を話すようにと説得した彼らは、全員貧しい平民出の生徒だった。「殿下が聞いていた証言は真実ではありません!」


「殿下、お許し下さい。キティ・スティール嬢に頼まれて偽証をしました」

「スターキー侯爵令嬢が突き飛ばしたと言えと、お金を握らされました」

「侯爵令嬢は石なんて投げていません」


 次々と語られる真実の証言にキティは青い顔でかぶりを振る


「嘘よ! この人たちは嘘を言わされているのよ!」


 髪を振り乱して抗議をする彼女を背にかばい、ジェレミーの怒号が響き渡る。

「フリント伯爵令嬢。この証言が虚偽ではないという証拠はあるのか!」


 は? 何言ってるの、馬鹿第一王子。

 自分たちがローズマリーを断罪する時は『証人がいる』としか言わなかったくせに、不都合な証言を聞いた途端に、虚偽じゃない証拠を出せと? ──そんなもの用意して無いわよ!


「ふんっ、証拠がないならその証言は認められないな」


 周りから「それはおかしい」という声がちらほら聞こえているのに、コイツそれを黙殺する気だ。何なのその力技!?

 悔しさにぎりりと唇を噛み締める。


「証拠なら、ここにある」


 声のする方を振り返ると、ブライアンがいつの間に会場に持ち込んだのか、映像記録の再生魔道装置を作動させていた。


 ブライアンがどうして……?


 何が起きているのかわからないまま身じろぎもせず見つめていると、会場の真ん中の虚空に、大きく立体的な映像が音声付きで動き出した。




 キティと思しき女生徒がきょろきょろと辺りを見渡し、誰も居ないのを確認すると、机の中のキティの名前が書かれた教科書を次々と引っ張り出して破り出す。




 ローズマリーと廊下ですれ違った途端、自ら廊下に這いつくばり悲鳴を上げ、突き飛ばされたと大泣きする。




 女生徒数人の手に金貨を押しつけて、「わかってるわよね。必ず、私がローズマリーに石をぶつけられたってジェレミー殿下に証言するのよ」と言い含めている。




 ……これ以上ないくらいの映像証拠だわ。


 学園の校舎や庭に満遍なく録画魔術装置を配置しなければ、これほどまで沢山の映像を無理のないアングルで揃えることなど出来やしない。一体どれ程の魔力と財力と手間をかけて証拠映像を集めたのだろう。

 ブライアンにここまでする理由など一切ないはずなのに……?


「キティ、全て自作自演だったのだな! ……お前だけは僕を裏切らないと言っていたのに!」

「ひいぃぃっ! ジェレミー様ぁ、ごめんなさい! だって私が妃になるのに、ローズマリーが邪魔だったんだもんっ!」

「連れて行け!」

「何すんのよっ! 放して! ジェレミー様! ジェレミー様ぁぁっ!!」


 護衛騎士に引っ立てられたキティの狂ったような叫び声が遠ざかり聞こえなくなると、私はジェレミーに再度話しかけた。


「聞いてくださいジェレミー殿下。今回殿下が破棄しなくても、ローズマリー様との婚約は近々解消される予定でした」

「……どういう事だ」

「ローズマリー様が王陛下に願い出て、解消が受理されたのです。今、書類上の手続きを行なっている最中です」

 

 ジェレミーの目が驚愕に大きく見開かれ、雷に打たれたかのように棒立ちになる。キティの嘘が明らかになった時よりも、ずっと悲痛な色をその双眸に湛えて。


「…………そうか。ローズマリーも、やはり僕を裏切るのだな……」

「違います」


 私はきっぱりとその言葉を否定する。


 ローズマリーはジェレミーを裏切らない。

 誰よりもジェレミーの幸せを願っているから。

 もうジェレミーに必要とされていない事を知ったローズマリーは、彼を自由にしてあげるために自ら身を引いたのだ。

 王立学園卒業後は隣国へ留学して、そのまま帰るつもりはないと。ジェレミーの側に居られなくても外交官として働き、一生をこの国とジェレミーのために尽くすと、彼女は私に語ったのだ。


「ジェレミー殿下。御自身の気持ちを今一度お確かめください。ローズマリー様のことを本当に性悪とお思いですか? 婚約者としての役割を果たさずに、捨て置くほどお嫌いなのですか?」

「……僕は……」


 青ざめたジェレミーは数歩よろけて後ずさると、力無くその場にへたり込んだ。先程までの勢いは見る影も無く、だらりと背中を丸めて項垂れる。


「…………僕は優れたところなど何一つ無い人間だ。認めたくなくて、いつも虚勢を張って生きてきた。けれど、沢山の人々が僕の能力の無さに失望して僕の前から去っていった」

 

 その場にいる全員がじっと見守る中、彼の静かな独白は続く。


「……去らずに残った者も、いつ自分を見捨てていくのかと、それとも既に心の中では繋がりを絶っているのかもと、ずっと疑心暗鬼で苦しかった。…………取り分け、幼い頃より信用していたローズマリーにだけはどうしても裏切られたくなかった。だから……」


 ジェレミーは拳を床に叩きつける。


「……だから僕が先にローズマリーを裏切らなければいけないと……そうしなければ僕はなけなしの自尊心すら保てない、卑怯な奴なんだ!」

「ジェレミー殿下!」


 駆け寄ったローズマリーがジェレミーの前に跪き、床を打つ拳を掌で包み込んだ。


「わたくしは殿下の側におります。ジェレミー殿下がわたくしを必要として下さるのなら、ずっとずっと離れません!」

「ローズマリー……」

「子供の頃からただひとり、殿下だけをお慕いしておりました」

「…………あんなに酷い事をした僕を、側で支えてくれると言うのか。すまない……すまないローズマリー!」


 取り巻く人々から、ぱらぱらと手を打つ音が聞こえ始める。やがて激励を込めて割れんばかりに大きくなった拍手は会場中に響き渡り、泣きながら固く抱擁し合う二人を包んだ。


 ジェレミーは涙ででろでろになった顔でブライアンを見た。


「キティの企みを暴く証拠を集めてくれて、礼を言う。真っ先に裏切るのはお前だと、ずっと疑っていた。実は僕の派閥の家の者がお前を殺そうと刺客を放ったことも知っていた。すまなかった」


 突然の告白に「そうですか? 刺客なんて会ったこともないですね。夢でも見たんじゃないですか」と、そらっとぼけてブライアンが返す。「お前ってやつは……」ジェレミーは暫しの瞠目の後、呟いた。


「…………ありがとう」








 帰りの馬車の中、私とブライアンは向かい合わせに座っていた。

 聞きたい事は山程あるのに、重苦しい空気に押しつぶされそうになりながら、ずっと沈黙が続いている。


 私はブライアンを裏切ってしまった……。


 相棒契約は解除されるだろう。

 私が契約違反をしたんだから文句は言えないけど、こんな事なら冗談っぽくでもいいから『大好き』って言っておけば良かった。毎日、どうでもいい話題ばかりで肝心な事は何一つ伝えられなかった。私は大馬鹿者だ。


「ジェレミーが卒業パーティーで婚約破棄をして男爵令嬢のキティを婚約者にしようと画策していると、事前に情報を得ていた」


 静けさを破って、向かい合わせのブライアンが突然口を開く。


「以前の俺ならジェレミーを引きずり下ろす好機だと喜ぶべき状況だったが、今の俺は違う。俺が王太子になったらカレンとの婚約がなくなる。全力で阻止しなければ──そう思い、キティの裏工作の証拠を集めた」


 ま、まさか、ブライアンは私のことが好き……?!


「────閃いたのだが、兄は王となってから失脚した方が愚かさをアピール出来て、俺の優秀さが際立つと思うんだ」


 ……あ、そういうことね。あくまでも目的達成のために私との婚約が必要だ、と。

 一瞬、私たちは両想いなのかもと勘違いしちゃったじゃない。


「良い判断です。諸外国にもブライアン殿下の優秀さを見せつけてやりましょう!」

「……それで相談なんだが、事を成すには年月が掛かる。俺たちの契約の期限を延長したいのだが……」

「延長っ?!」


 それじゃあ、もう少しだけ、私たちはこのままの関係でいられるんだ!


 嬉しさに思わず笑顔になる。


「い、致し方ありません、大事の前の小事です。ブライアン殿下の良いようにして下さいっ」

「きっと婚約期間内だけでは時間が足りない。その……俺たちは結婚しなければならないと思うのだが……」

「け、け、け、け……!!」


 結婚? 今結婚って言ったの? この人!


「もっ、もちろん報酬は弾むっ。それに……それにだな……金銭だけではない……あ、愛情をだな、き、君の人生を費やして貰うのだから……俺の愛情をもって報いたいと……」

「あ、あ、あいっ、愛っ!?」

「周りに契約結婚を悟らせないためには、過度ないちゃいちゃが必要だ! そうだな……子供は3人以上は欲しい」

「こ、こ、こ、こ……!!」


 もう私は呼吸もままならず、酸欠状態だ。

 ブライアンは向かい合わせの目を覗き込むように見据え、不安気に声を震わす。


「…………駄目だろうか。カレン」


 私はなんとか呼吸を整え、真っ赤な顔で俯く。

「はいっ、私で良ければ……。私の女優っぷりを、結婚生活においてもご覧に入れます」

「そうか! 受けてくれるか!」


 彼は物凄く嬉しそうだ。「それでは早速見せてもらおうか」


「……な、なにをっ?!」

「周りに示せるほどの、いちゃいちゃっぷりを。どこで誰に見られているか分からないからな。大女優にも場数が必要だろう? 君の出来る最高の演技を俺に見せてくれ!」


 いつの間にかブライアンは隣に移動して、私の身体を自分の方へ引き寄せていた。

 逃れられる気が全くしない。


「えええーっっっ!?!?」




 ──そうして、家路を辿る馬車は、無観客の走る舞台と化した。









 その後の話。


 時は過ぎ、相棒契約期限は何度も何度も延長されて、ついには期限の無い永年契約となった。


 己の怠惰を恥じたジェレミーは、周りからの諫言を受け入れるようになり、無事に王位を継承し、ブライアンは公爵位に叙せられ王を補佐する宰相に就任した。

 ローズマリー王妃は陰に日なたに王を如才なく支え、私は公爵夫人となり、社交界を牛耳る一方で時々市井に紛れて民意をも誘導した。


 3人の最強タッグチームに後押しされて、ジェレミー王は長く優れた治世を敷くこととなる。


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