6-3 ささやきに耳を傾けて
──花の苗の会計を済ませると、二人は自転車には乗らず、歩いてたい焼き屋へと向かった。
汰一が目当てとするたい焼き屋は、ホームセンターのすぐ裏の通りにあるのだ。
数分もしない内に、その店は見えてきた。
プレハブ小屋のような小さな店舗だが、小綺麗でお洒落な外観をしている。ガラス窓の向こうでは、店員がたい焼きを手際よく焼いている様子が見て取れた。
「可愛いお店だね。あ、メニューが書いてある」
自転車を停める汰一の横で、蝶梨が店先に掲げられたメニューボードを見上げ言う。
「小倉あん、カスタードクリーム、チョコレート、ずんだあん、芋あん、ごまあん、いちごクリーム……すごい。こんなに種類豊富なお店、初めて見た」
「あはは、これだけあると目移りしちゃうよな。で、この時期限定の味は……」
と、汰一は目立つ位置に置かれたブラックボードを覗き込み、読み上げる。
「……ブルーベリークリームチーズ」
「えっ。どんな味なんだろう……?」
「俺、これにするわ。彩岐は?」
「私も。あ、でも初めて来たお店だし、最初は王道の小倉あんにすべきかな……?」
「彩岐、落ち着いて考えるんだ。小倉あんはいつでも食べられるが、ブルーベリークリームチーズは……」
「はっ。期間限定!」
「そうだ。今しか食べられない」
「ありがとう刈磨くん。私、ブルーベリークリームチーズにする」
「よし。じゃあ注文しよう」
汰一は店員にブルーベリークリームチーズ味のたい焼きを二つ注文した。
財布を取り出す汰一の横で、蝶梨は再び申し訳なさそうな顔をする。
「本当にごめんね。大したことしていないのに、こんなお礼してもらっちゃって」
「いや、逆に百円ちょっとで済ませるのが申し訳ないくらい彩岐には世話になっているから。今日もこうして花買うのに付き合わせてしまったし……ほんと感謝してる。ありがとうな」
その時、店員がガラス窓の向こうから顔を出し、
「お客さん、今キャンペーンやっていまして。お一人様一回、このガラポン回してもらっているんですよ。割引き券とか当たるんで、ぜひやってみてください」
と、カウンターの端に置かれたガラポン抽選器を指さした。
汰一が蝶梨と顔を見合わせると、彼女は小さく微笑んで、
「では刈磨くん、お先にどうぞ」
手を差し出しながら、そう言った。
汰一は「ようし」と腕まくりをし、ガラポンのハンドルを握る。
これまで、こういう抽選や福引きの類いで当たった試しがない汰一だが……今は、"厄"を喰らうカマイタチがいる。それに、隣には神の加護を受ける蝶梨もいる。運を引き寄せる場としては、十分過ぎる程に整っていた。
『当たり』の三文字と無縁だった人生に、ここで終止符を打つ……!
などと、無駄に気合を入れ、
「……いくぞ」
ぐるんっと、一気にハンドルを回した。
八角形の箱が回転し、ガラガラと音を立てる。
暗い穴の向こうから飛び出したのは……
…………一切の汚れのない、真っ白な玉だった。
「あぁー残念。白は特に何もナシです」
店員が、淡々とした声で結果を告げる。
……ま、そりゃそうだよな。知ってた。
真顔で白い玉を見下ろす汰一に、蝶梨は「残念だったね」とフォローする。
気持ちを切り替え、汰一は笑みを浮かべながら、
「次は彩岐の番だ。どうぞ」
と、場所を譲るように一歩下がる。
蝶梨は「うん」と頷くと、抽選器の前に立つ。
そして、綺麗な指でハンドルをそっと握り……
落ち着いた様子で、箱をゆっくり一回転させた。
コロン、と出てきた玉の色は……
──"金"。
金賞の"金"。
金メダルの"金"。
金星の"金"。
金字塔の"金"。
それは、選ばれし者のみが手に入れられる特別な色。
その輝きに思わず息を飲んでいると、
「お……大当たりぃぃいい!!」
カランカラン!
店員が声を張り上げ、ハンドベルを鳴らす。
「おめでとうございます! 今回のお会計が全て無料になります!!」
「む、無料?!」
あまりの超展開に、汰一は思わず後退りする。
わなわなと震える彼の背後で、通りがかった人々までもが『おぉー』と手を叩いていた。
それに、蝶梨が照れたように「あはは」と笑った……その時。
──ヒュゥゥウッ!
突然、強い風が二人に吹きつけた。
たい焼き屋のブラックボードがカタカタと音を立て揺れる。蝶梨は髪とスカートの裾を押さえ、きゅっと目を閉じた。
程なくして風は止み、たい焼き屋の店員も、通りがかりの人々も、何だったのかと周囲を見回す。
「びっくりした……すごい風だったね」
髪を整えながら、蝶梨が驚いたように言うが……
汰一には一つだけ、心当たりがあった。
今の不自然な風……
似ている。あの雨の日に出会った、小さな"福神"──艿那の力に。
エンシである彩岐に『大当たり』という福を齎すため、再び現れたのだろうか?
それとも、似た力を持つ別の神の仕業なのか……
風が吹き抜けて行った方向を見据え、汰一は半眼になりながら、
「……また嵐にならなきゃいいが」
そう、小さく呟いた。
* * * *
「──結局、彩岐に奢ってもらう形になっちゃったな」
花の苗とたい焼き入りの袋を積んだ自転車を押し、汰一は苦笑する。
たい焼き屋を後にし、二人はゆっくり食べられそうな場所を探し歩いていた。
国道から少し離れれば閑静な住宅街が広がっている。小さな公園などもありそうな雰囲気だった。
「またあらためてお礼させてくれよ。今度はちゃんと俺が奢るから」
汰一が言うと、隣を歩く蝶梨は慌てて手を振る。
「いいよいいよ。その気持ちだけで十分」
「でもなぁ、こうしてまた恩ができてしまったわけだし、何もしないわけには……」
「恩だなんてそんな。今からたい焼き食べるところを見せてもら……んんっ。一緒に食べられるんだから、それだけで嬉しいよ」
と、途中で言葉を濁す蝶梨だが、汰一はそのセリフを真摯に受け止め、胸を高鳴らせる。
しかしドキドキしている汰一を他所に、蝶梨は落ち着かない様子で周囲を見回し、
「なんか曇ってきたし、早く食べられる場所を見つけないと……あっ、あの辺りは? 木がたくさん見えるから、公園があるのかも」
言いながら、斜め前方を指さす。
戸建てやアパートの屋根が建ち並ぶ向こう側に、木々が生い茂って見える場所があった。
「お、ほんとだ。行ってみるか」
「うんっ」
頷くなり、彼女は待ちきれない様子で歩調を速めた。
──木が群生するその場所は、右折してしばらく進んだ先にあった。
が……そこは彼らが期待していたような『公園』ではなく。
「…………」
汰一と蝶梨は、はたと立ち尽くし、その場所を見つめる。
真っ直ぐに伸びた、灰色の石畳。
そこに、鬱蒼と生い茂る木々が暗く影を落とし、奥に何があるのか見えない。
そんな、少し薄気味悪い場所だった。
一体ここは何なのか。それを示す唯一の手がかりが……
「……神社?」
「……かなぁ」
汰一と蝶梨は交互に呟きながら、頭上を見上げる。
赤い塗装の剥がれた、古い鳥居。これがあるということは、恐らくここは神社の入り口なのだろう。
「残念。公園じゃなかったな」
「うん……なんだか随分と手付かずな雰囲気の神社だね」
「あぁ。雑草も伸び放題だし、宮司がサボってんのかもな」
さて、どうしたものか。
と、汰一はぐるりと周囲を見回す。
確かに、段々と雲が増えてきていた。時折湿っぽい風も吹く。降られる前にどこかへ座って食べたいものだ。
「……ん?」
ふと、彼は道路沿いの歩道に青いベンチが置かれているのを見つける。
横に時刻表らしき案内板が立っていることから察するに、バス停のようだ。
自転車を押し近付くと、案の定時刻表が掲出されていた。
現在の時刻の列を見てみるが……しばらくバスは来なさそうだった。
「彩岐、ここへ座らないか?」
未だ神社の入口を眺める彼女に呼びかけると、ぱたぱたとこちらへ駆け寄って来る。
「ここ、バス停? いいのかな、座っちゃって」
「しばらくバスは来なさそうだから、少し食べるくらいなら大丈夫だろ。誰か来たら退けばいい」
歩道の端に自転車を停め、二人は並んでバス停のベンチに座る。
袋から取り出したたい焼きは、いまだ熱を残しほかほかとしていた。
「おぉ、まだ温かい。猫舌な彩岐が舌を火傷しないか心配だな」
「もう、これくらいなら大丈夫だよ」
などと軽口を叩いてから。
「それじゃあ、彩岐の強運に感謝して。いただきまー……」
……と、口を開けたところで。
汰一は……真横から熱烈な視線を感じ、固まる。
ギギギ、と首を捻り、恐る恐る見てみると……
蝶梨が、穴が開きそうな程の熱い視線で、彼を見つめていた。
しかも、例の如く「ハァハァ」と荒い息を溢していて……
汰一は一度開いた口を閉じ、蝶梨に呼びかける。
「……彩岐? 食べないのか?」
「えっ?! あ、その、刈磨くんはたい焼きをどこから食べるのかなぁーって思って……」
……そういえば、さっきもそんなことを言っていたな。
汰一は不思議に思いながらも、手の中のたい焼きを掲げ、答えを告げる。
「そりゃあ……普通に頭からだけど」
「あっ、頭から……!」
バッ! と口元を押さえ、顔を真っ赤にする蝶梨。
「頭から……がぶって、齧り付くの……?」
「そうだけど……まさか、いつもの『ときめき』か?」
「う゛っ…………うん。そう、かも」
顔を赤らめ、恥ずかしそうに俯く蝶梨。
やはりか……と、汰一は目を細める。
相変わらず発動条件は不明だが……今回は、蝶梨自身がこうなることを予期していたようだ。
だからこそ、たい焼きをどこから食べるのかを楽しみにしていたのだ。
と、いうことは……
汰一は、彼女の方に向き直るように座って、
「じゃあ……食べるから、見てて」
そう断りを入れてから……
──がぶっ。
と。
たい焼きに、頭から齧り付いた。
カリッとした、小気味良い食感。
それから、口の中に広がるブルーベリージャムの酸味ある甘さと、クリームチーズの濃厚さ。
その二つが香ばしい生地と合わさって、絶妙なハーモニーを生み出している。
だが……
今の汰一には、残念ながらその味を堪能する余裕はなかった。
何故なら、
「ふ……っ」
汰一が齧り付いた瞬間、蝶梨が押さえた口から吐息を漏らしたから。
身体をピクリと震わし、何かに耐えるように目を閉じる彼女。
その目が再び開き、視線が交わるのを待ってから……汰一は、次の一口を頬張る。
「んっ……」
とろんと潤んだ瞳と、上気した頬。
その表情を真っ直ぐに見つめ、汰一は見せつけるように食べ進める。
ゆっくりと焦らすように歯を立てると、「んんっ」と唸りながらピクピク震え……
ブチィッ、と勢い良く食いちぎれば、「ぁっ」と小さく啼いて、身体をビクンッと痙攣させる。
そんな艶かしい蝶梨の反応に……
汰一は、たい焼きから口を離し、
「……彩岐」
そう、落ち着いた声で呼びかける。
いまだ熱に浮かされた顔で、蝶梨が「え?」と聞き返すと……
汰一は、真剣な表情で彼女を見つめ、
「この動きにときめくのを予想していたということは………… 『ときめきの理由』 に、心当たりがあるんじゃないか?」
そう、尋ねた。
瞬間、とろんとしていた蝶梨の目が、ハッと見開かれる。
「今回も、このたい焼きの方に感情移入しているんだよな? つまり……俺に食べられることを想像して、ときめいている」
「そ、それは……」
「仮説でもいい。どうしてこの動作にときめくのか、思い当たる理由があるのなら……教えてくれないか? 彩岐の、『ときめきの理由』」
彼女の真意を探るように、真っ直ぐに見つめる汰一。
蝶梨は口元を押さえていた手を下ろし、「えっと……」としばらく目を泳がせるが……
やがて、観念したように息を吐いて。
「わ、私…………私は…………」
掠れた声で、何かを答えかけた…………その時。
──ぽつ。
……と。
水滴が、二人の脳天を叩いた。
「……へ?」
間の抜けた声を上げ、汰一は曇天を見上げる。
雨だ。
その一滴を皮切りに、大粒の雨が、ぼたぼたと降ってきた。
「まじかよ、本当に降ってきやがった!」
「私、傘持ってない!」
「俺も!」
緊迫した雰囲気から一変、二人は大慌てで退避の支度を整える。
たい焼きをしまい、花の苗をビニール袋で覆っている間にも、二人の身体はどんどん雨に濡れ……
蝶梨の白いブラウスが徐々に透け始めているのに気が付いた汰一は、いよいよ顔面蒼白になり、
「彩岐! さっきの神社へ行こう!」
自転車のスタンドを外しながら、雨音に負けないよう声を張る。
「神社なら屋根もあるだろうし、木もあるから、ここよりは雨避けになるはずだ!」
「……うん!」
頷く彼女と共に、汰一は自転車を押し、先ほどの神社へと走った。




