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片思い中の幼馴染との添い寝、その顛末について

作者: 藤崎珠里

 全身が心臓になったようだった。どこもかしこもどきどきとうるさくて、痛くて、苦しくて、体中が熱かった。特に、()にふれている部分が。

 ――私は今、好きな人と添い寝をしていた。なぜか。なぜか、添い寝を、好きな人と、している。



     * * *



 ことの発端は、私の好きな人兼幼馴染である宇井(うい)奏多(かなた)が、最近眠れないのだとしょんぼりしていたことだった。


「寝つき悪ぃし、寝れても二時間おきくらいで目ぇ覚めちゃうし……大分しんどくなってきたわ」


 学校からの帰り道、そう零すカナの目の下にはくっきりと隈があり、見るからに眠そうだった。目がしょぼしょぼしててかわいい。

 一応、いろいろ試してはみたらしい。寝る前にスマホにさわらないのは難しいからブルーライトカットの眼鏡を買ってみたり、お風呂にゆっくりつかってみたり、サプリメントを飲んでみたり、快眠のためのツボを押してみたり。それでも改善しないというのだから結構な重症だ。

 カナの眼鏡姿とか何それすっごい見たい、という不謹慎な感想は、心配の気持ちで丁寧に覆い隠す。


「うーん、困ったねぇ……。お医者さまに相談してみるとかは?」

「それはさすがに……やだな……」


 うげぇ、と言いたげに顔をしかめる。まだ病院嫌いなんだなぁ、とこんなときなのにほのぼのしてしまった。駄目だな、不謹慎な感想ばっかり。

 しかしカナは、そんなほのぼのを吹き飛ばすとんでもないことを言い放った。


「もうなんか、いっそ誰かに添い寝とか頼むのもありかもなーとか思えてきた。こう、生きてる抱き枕、みたいな……人の体温近くにあるとよく眠れそうな気ぃしない?」

「えっ、誰に!? 誰に頼むの!?」

「だ、誰に?」


 びっくりしてぐいっと身を寄せれば、カナはその分だけ後退る。

 今カナは冗談っぽく笑っていたけど、それでももしも万が一本気だったときのことを考えるとここで深掘りしないわけにはいかなかった。

 だって、添い寝。……添い寝!! 同じベッドで寝るなんてそんなの、たとえばカナと仲のいい男友達とかだったら、ちょっと羨ましい、くらいで済むけど――


「女の子に……?」


 おそるおそる、尋ねる。

 女の子、だったら。

 いやカナが付き合ってもいない女の子にそんな軽率なことお願いするとかありえないし普通の女の子だったら頼まれても承諾しないだろうけど! でも、だけど、私以外の女の子との添い寝なんて絶対に阻止したかった。可能性がゼロだと確信できるまでは引けない。


 だってそんなことしたら付き合っちゃうじゃん……! 男女で添い寝はもう付き合ってる距離感だよね!?

 だからこそカナはそんなことしたりしないとわかっているけど、わかっていても冷静でいられるかは別問題だった。


「そりゃあまあ、野郎と添い寝とかしたくねぇ、し……?」


 しかも、戸惑った様子で首を傾げるカナはそんなことをのたまった。

 野郎と! したくない! ということは女の子と添い寝がしたい!? ――そんな式が頭の中で成立してしまえば、さらに冷静さが消え失せる。


 カナが、女の子と、添い寝。


 カナを見上げた状態のまま、思わずふるふる震えてしまう。


 …………十中八九冗談、というか百パーセント冗談なんだろうけど。

 けれど私は、引きつる唇を開いてしまった。


「……だ、ったら、私が一番いいんじゃないかなぁっ?」

「は」


 言ってしまった、という恥ずかしさから意識を逸らしつつ、私は急いで口を回した。


「添い寝ってつまり、安心することで眠気を誘発したいとかそういうことだよね? カナが一番安心するのって私のそばじゃない?」

「ふ、(ふゆ)?」

「私だって、カナのそばが一番安心するし! カナもそうでしょ? ね? だ、だからさ、私が一番適任だと思うんだ! 添い寝! するなら、ね! もしも誰かに頼むならだけど!」


 一応冗談を装ったつもりだけど、少しどもってしまったし本気っぽく聞こえてしまったかもしれない。……普段冗談言わないからぎこちないだけだと思ってくれますように!

 どう? どう? というふうにじーっとカナの目を見つめていると、カナは何も理解できていないような顔で答えた。


「え、っと、じゃあお願いします……?」

「えっ」

「えっ!?」

「あ、ううん、ううん、お願い、されました!?」

「はい、お願いします? え? あれ? マジで?」

「マ、マジ、かな……?」


 二人してぽけっとした顔で顔を見合わせる。よくわからないけど、冗談は冗談じゃなくなったみたいだった。





 ――と、いう経緯で現在に至る。カナの部屋で、カナのベッドで、私は彼に添い寝をしている。

 回想してみてもどういうわけかわからない。どういうわけなんだ……。よくわからないなりに幸せな気持ちを味わえているからいいんだけど、幸せと同時にとんでもない羞恥心と緊張に襲われて吐きそうだった。


 背中合わせで、狭いベッドに二人。


 ふれてしまっている背中が熱い。ベッドがそう大きくないから仕方ないとはいえ、覚悟していた以上の近さだった。カナの呼吸まで伝わってきて、なんとなく私もタイミングを合わせて呼吸してしまう。

 シーツやタオルケットからは、たぶんカナのにおいなんだろうなぁ、というにおいがして、それがまた恥ずかしかった。いいにおい、だと思う。……いいにおいだと感じる相手とは相性がいい、みたいな話を聞くけど本当だろうか。


 目をつぶると余計にそれらを感じてしまうから、目は開けたまま、特に面白くもないカナの勉強机を見つめていた。昔はこの机で、二人で身を寄せ合って一緒に勉強したりもしたなぁ、とぼんやり思い出す。


 まだ夕方にもなっていない時間帯だから、カーテンを閉めていても部屋の中はうっすら明るい。

 なぜこんな時間かといえば、いくらよく互いの家を行き来しているとはいえ、この歳になってさすがに夜にお邪魔するのはためらわれたせいだ。そこに関してはお互いに意見が一致し、あの会話をしてすぐにカナの家に来た。制服では寝られないから、一応自宅に寄って着替えてから、だったけど。

 カナは一人っ子で、おじさんとおばさんは共働き。六時間目が終わってすぐに帰ってきたカナの家には、当然誰もいない。


 ……こんな、こんなお日様も出ているような時間からこんなことしてていいのかな!? とは思う。

 でも別に、これはほら、健全な、ええっと……健全な、治療みたいなもので。だから私は、何も、悪いことは、してない。


「カ、カナ……もう寝れた?」


 自分の思考でばつが悪くなってしまって、上擦った小声で尋ねる。返事はなかった。よくよく耳を澄ませば、すぅ、すぅ、と一定の寝息が聞こえてくる。私の心臓の音がうるさくてわからなかっただけらしい。

 ……よかった、寝れたんだ。


「……おやすみ、カナ」


 吐かないために私も寝よう、と目をつぶる。呼吸はできるだけ口で、においは嗅がないように。

 あと背中もほんの少し離した。寝ている間にまたくっついてしまうだろうけど。


 それでも目は冴えたままで、どきどきも治まらなかった。

 アラームは十八時にかけてある。たぶん、鳴るまであと二時間ちょっと。そんなに長い間この状況が続くのは心臓に悪すぎるから、早いところ寝てしまいたい。


 カナのそばが一番安心する、って言ったのは嘘じゃない。安心するなら寝れるはず。寝られるはず。寝よう。寝よ――あれ。

 ふと思考が引っかかった。

 ……待って。待って、待った。あれっ……あれ!? 私なんかすごいこと言ってない!?


 ばっ、とつい体を起こしたら、その勢いでベッドから転がり落ちた。


「……ったぁ……!」


 ぶつけたところを押さえながら、慌ててカナの様子を確認する。……起きてない。ぐっすりだ。

 ほっとして、とりあえずなんとなくラグの上で正座をする。ラグがあってよかった。フローリングに落ちていたらもっと大きい音が鳴っただろうし、そしたらカナを起こしてしまっていたかもしれない。


 ……えっと、なんだっけ。なんで私はベッドから落ちるくらいびっくりしたんだっけ。ついさっきのことなのに落ちた衝撃でど忘れしちゃった。

 カナの背中を見つめながら思い出そうとして――頭によみがえった自分の言葉に悲鳴を上げそうになった。


『私だって、カナのそばが一番安心するし!』


 …………告白だと思われてないよね!? 大丈夫だよね!? わ、わた、私はまだカナの幼馴染兼友達をやめるつもりはなくて! 告白とか、え? えええ? 違うよね、あれ告白になってないよね……!?

 ぐるんぐるん混乱する頭にまた熱が上ってくる。


 大きく深呼吸。

 大丈夫、カナはなんにも反応してなかった。大丈夫。告白だとは思われてない。大丈夫! カナは告白してきた女の子に何も答えないなんてことしないから!

 それに一応、幼馴染として不自然ではない言葉だったと思う。赤ちゃんの頃からずっと一緒に過ごしてきたのだ。私の中で『安心』と『カナのそば』はイコールで繋がっているし、きっとカナにとってもそう。

 ……けどこういうところから恋心がバレてしまったりするかもしれない。気をつけなきゃ。


 そう結論づけて、次の行動に迷う。

 カナの隣に戻るか、戻らないか。……くっついていられる絶好の機会を逃したくはないけど、吐きそうなくらいどきどきするのも確かだ。一度こうやって正気に返ってしまうと、少し添い寝しづらい。

 ……でも、起きたときに私が隣にいなかったらカナはどう思うだろう。というか、添い寝する、って約束なんだから、途中でその役割を放棄しちゃダメなんじゃ……?

 

 うぅん、と考え込んでいると、カナがもぞりと寝返りを打った。顔が、壁側からこちら側に向けられる。

 久しぶりに見た寝顔に目が釘付けになってしまった。

 ……なんか、昔のままだなぁ。かわいいなぁ。


 かわいいかわいいと思ってしまうけど、別にカナはかわいい見た目はしていない。ふつうにそこそこガタイがいいし、目つきはちょっと悪いし、顔が全体的にこう……地味だし。でもかわいい。

 好きだからかわいいのか、かわいいから好きなのか。もうどっちなのかわからないけど、好きだと思うのもかわいいと思うのも事実だから、それだけでいい。


「…………」


 寝ているカナに、好きだよ、と言いたくなって、口を押さえる。……寝ていると思って告白したら実は起きてて、みたいな展開、少女漫画とかでいっぱい見た。

 もちろん現実にはそう起こることじゃないだろうけど、迂闊なことはできない。


「……カナ」


 代わりに名前を呼んだ。返事はない。けれどなんだか、寝顔がふにゃりと優しくなった気がした。……かわいいなぁ。

 少し迷ったけど、私はいそいそとベッドに潜り込んだ。今度は背中合わせじゃなくて、向かい合わせ。は、さすがに緊張しすぎて十秒も持たなかった。

 おとなしくカナに背中を向けて、目をつぶる。





 アラームの音で、意識がふっと持ち上がった。


「んん……」


 アラームを止めるため、目をつぶったまま腕を動か――そうとして、身動きが取れないことに気づいた。いや、腕とか脚の自由はそこそこきくんだけど、それ以外が。えっ、なにこれ。

 焦りながら目を開けば、視界に映ったのは見慣れたカナの勉強机。……カナの?


 じわじわと記憶がはっきりとしていく。

 そういえば私はカナに、添い寝を、していました、ね?


 …………この、なんか、優しく包まれてる温かい感じは何だろう。お腹に回ってるこれは何だろう。気のせいかな。気のせいかも。気のせいであれ。

 いや、気のせいじゃなくても全然構わないんだけど、その場合どんな顔をすればいいのかわからなくなって困る!


 アラームはまだ鳴っている。早く起きてほしいけど、もう少しだけこのままでもいたい。……あと五分。五分くらいならいいかな。

 とりあえず、現状をちゃんと確認することにした。

 視線をおそるおそる自分のお腹に向ける。……私じゃない腕。どこからどう見てもカナの手。

 これ、は。


 ――もしかしなくても、後ろから抱きしめられているんじゃないでありませんでしょうか。


 半ばわかっていたことではあるけど、意識してしまうと駄目だった。もはや今自分が何を考えたのかすらわからないくらい頭がパニックになっている。なんかめちゃくちゃ変なモノローグを言った気がする。


「ん、ぅぅぅ……」


 思わず漏れそうになった悲鳴を必死にこらえる。恥ずかしい、どきどきする、死にそう、吐きそう、もっとぎゅってしてほしい、むり、なにこれ、もっと、いやもっととかはだめだけど、でも、あーーーーー!!!


 ぐるんっと体を下向きにする。声を抑えるためにシーツに顔を押しつけようとしてみたけど、押しつける前に鼻で息を吸ってしまったものだから、カナのにおいがそれはもう勢いよく入ってきた。

 これは駄目だと瞬時に判断して元通り横向きになる。


「んぐっ……んんん……ぅぅぅぅぅ……」


 結局声は出た。しょうがない。

 ……冗談でも私が適任だってプッシュしてよかった!! 今私、これでもかってくらい安心してる。

 この役割を他の女の子に任せてしまっていたら、少なくとも向こう十六年くらいは落ち込んでいただろう。……ちなみに十六年とは私が今まで生きてきた年月である。

 あと、好きな人からぎゅってされるとすっごく幸せなんだなぁ、ということがわかってよかった。相変わらず心臓が苦しいけど、それはそれとして幸せなので。


 アラームがうるさくて、今にもカナが起きてしまうんじゃないかとひやひやする。

 あと五分でいい。もうちょっとだけ、ぎゅってされていたい。

 この位置からでは部屋の時計が見えないから、心の中で秒数を数える。大体五分経ったらカナを起こそう。


 ……58、59、60。1、2、3、4、5……


 幸いにも数えている途中にカナが起きることはなくて、私は無事、60を五回数えることができた。


「……カナ、起きて」


 ぺちぺちとお腹に回された腕を叩く。さすがに音だけでなく物理的刺激もあれば目を覚ますらしく、小さくむずがるような声を出しながらカナは目を開けた。


 至近距離で、ばちりと視線が合う。


「っ――いっっだ!?」

「だ、大丈夫……?」


 飛び起きて、ついでに飛び退ろうとしたカナは、壁に思いきり頭をぶつけた。いい音鳴ったな……痛そう……。

 でも私もカナがこんなことにならなきゃ、またベッドから転がり落ちるところだった。自分より取り乱している人を見ると逆に冷静になれる法則である。

 カナも頭をぶつけた衝撃で現状を呑み込めたらしく、「あー、そっ、か」とつぶやいている。


 とりあえず拘束が解けたので、体を起こしてアラームを止める。ついでにリモコンで電気もつけた。スマホが示していた時刻は18:06。外はもう暗い。

 ちら、と視線をカナに向けると、カナはびくりと肩を跳ねさせた。


「お、おはよ、冬」

「お、は、よう、カナ。よく眠れたみたいでよかった」

「それはもう、その、はい。眠れました。うん。…………ありがと」

「どういたしまして……」


 さすがに起きてるカナとベッドの上で話すのは緊張しすぎるので、ベッドから降りて立ち上がる。


「えーっと、わた、私もう行くね!? 夜ご飯の支度手伝わなきゃ」

「あっ、うん、ほんとありがとふぃ!」


 いまだかつてないほどにぎくしゃくしながら(たぶん「ふぃ」は私の名前を噛んだんだと思う)、また明日、と手を振る。

 けれどドアノブを握ったところで、「やっぱ待って!」とストップがかけられた。


「……どうかした?」

「そっ、その! 添い寝は寝不足解消に抜群の効果があったわけでありますが」

「そ……うでありましたね」

「はい」

「……」

「……」


 沈黙が痛い。普段はカナとの沈黙なんてむしろ心地いいくらいなのに、こういう変な雰囲気のときにはすごく痛いから困る。

 ……こんなふうに感じるのは中学のときに私が気持ちを自覚してからのことだから、もしかしたらカナにとってはなんてことのない沈黙なのかもしれない。


「で、ええっと、な。一回だけじゃ足りないから、あっ、足りないっていうのは別に冬に添い寝してもらいたいってわけじゃなくて、いや、そうなんだけど、ほら、一回だけじゃ完全に寝不足治ったとは言えねぇじゃん!?」

「は、はあ……」


 ぐだぐだしててわかりにくいけど、つまり。


「だから、できればまた、頼みたいんだけど……」


 ぐっ、と息が変なところで詰まる。

 上目遣いを駆使するのは、普通女の子側じゃないだろうか。カナも立ってくれればよかったのに。そうしたらこんな自然な上目遣いにはならず、こんなかわいいとも思わなかったのに。


 カナの上目遣いをかわいいと思う人間なんて私だけなんだからね!? それは私にしか効かないんだからね!?

 なんて叫びたいのをこらえる。いや、私にしか効かないかはわからないけど。カナを好きな人だったら効果抜群、かもしれないし。


 何も反応しない私に、へにょりとカナの眉が下がった。


「……だ、だめ?」

「いい、ですことよ!」


 トドメのように小さく首を傾げられたら、そう返事をするほかなかった。

 ぷっ、とカナが吹き出して、「何ソレ」と笑った。途端にぎくしゃくしていた空気がふわっとほどける。……笑顔、たいせつ。


「でさ、あー……また寝てる間にぎゅっとしちゃったら、冬も困るじゃん?」

「そ……う、かな」


 困る、のは困るけど、たぶんカナが想定している意味とはちょっと違う。そのせいで曖昧な返事になってしまったが、カナは気にならなかったようでそのまま言葉を続けた。


「だからそうならないように、てっ、……手を繋いで寝るのはどうでしょう!?」

「手を繋いで!?」


 ぎょっとしてつい大きな声が出た。

 えっ!? 添い寝しながら手を繋ぐの!? それってもう付き合ってない!? そんなことしちゃっていいのかな!?

 添い寝自体ほとんどアウトみたいなものなのに、そこにさらに……手繋ぎを加え……る……。今度こそ私は吐くかもしれない。吐き気止めみたいな薬って市販でも売ってるのかな……調べなきゃ……!


 そう決めながらも、さすがに少し物申すことにした。きりっと顔を引き締める。

 

「……カナ、そういうの絶対他の女の子に言っちゃダメだからね!」

「え」

「普通添い寝もアウトなのに、手まで繋ぐなんて私以外にお願いしたらドン引かれちゃうよ!」

「……冬は引いてない?」


 引くわけないじゃん――と答えていいものか。さすがにいくら幼馴染だからって少しも引かないのは不自然じゃないか?

 でも、実は引いたと嘘をついて、もしこの提案を撤回されてしまったら。……いや、撤回されることよりも気持ちがバレることのほうがずっと避けたい。


「……ちょっ、と。引いた、かな」


 そうもごもご答えた瞬間、ヴッ、とカナは変なうめき声を上げて「いや、ごめ……や、やっぱ、やっぱそうだよなぁ! ごめんな!!」と慌てて謝ってきた。だから私も慌てて訂正する。


「あっ、でもねでもね、でも、別にそれくらいなら全然平気だから!」

「……冬こそ! そういうの他の奴に言うなよ! アウトだからな!?」

「いや、そこは大丈夫だよ。カナにしか言わないし」

「それが…………」

「それが?」


 苦々しい顔で黙り込んだカナは、結局ふるふると首を振った。


 それが、何だろう。……危ない、とか?

 なんて思ってしまって、すぐに自分で否定する。カナは私にひどいことをしないし、そもそも両思いだと確信している相手以外に手を出すこともないだろう。

 そう信じていなかったら、さすがに幼馴染でも添い寝をしたりしない。


「……とりあえず、次は手も繋いで、ってことね」


 私のまとめにカナは苦々しい顔のままうなずいて、「よろしくお願いします」と小さく言った。



     * * *



 これは友達には「ちょっとよくわかんない」と言われたことだけど、私はカナの一番かわいいところはハッカ飴を食べられないところだと思っている。

 カナは昔から甘いものが好きだった。でもあんまりお菓子を食べすぎると怒られるから、お腹が空いたとき口の中に次々と物を入れてしまわないように、飴を舐めることにしていた。

 缶に入った果物の飴。その中に混ざった、スースーするハッカ味。それがどうしても食べられなかったカナは、いつも決まって「冬、食べてくれる……?」と頼んできたのだ。缶が空にならなければ、新しいものを買ってもらえないから。


 幼い私はたったそれだけでも、カナが頼ってくれてる! と嬉しくなって、いくつでもハッカの飴を舐めた。本当のところ、私もハッカ味は苦手だったんだけど。

 だけどそうやって食べ続けているうちに、ハッカ味の飴が一番好きな食べ物になった。仲の良い人以外にその理由を説明するのは恥ずかしいから、好きな食べ物を聞かれたら基本的には「ゴーヤの佃煮!」と元気よく答えることにしている。それはそれで、えっ? って顔をされちゃうけども。



 と、まあ、そんなふうに回想をしたのは、私が今ハッカ飴を舐めているからである。

 さすがに吐き気止めの薬をこんなことのために飲むのはなぁ、と冷静になったので、その代替品として。舐めるとすっきりするし、カナのにおいもちょっと気にならなくなるし、ころころ口の中で転がしていれば気が紛れる。――繋いでいる手から。


「……カナ、寝た?」


 一緒にベッドに入ってから五分ほどしか経っていないけど、そう尋ねた声には寝息しか返ってこなかった。


 二度目の添い寝。一度目から三日経った現在、私たちは約束通り手を繋いで寝ている。

 手を繋いだまま背中合わせで寝るのは難しかったから、今日は二人して仰向けだ。カナがこれでもかというくらい壁際に寄ってくれているからそんなに窮屈ではないけど、背中合わせのときよりも『カナが隣で寝ている』感が強くて恥ずかしい。


 少し力の抜けた、けれどこちらの手を放そうとしないカナの手はあったかい。

 なんとなくそれを、むぎゅむぎゅと握ってみる。起きてたら握り返してくれたかもしれないけど、今は当然そんなことはない。……カナと手繋ぐとか、いつぶりだろ。


 ベッドに入った直後は、二人して手汗をかきながらいったい何をしているのかと思ってしまったけど、こんなに早く眠ってくれるならやっぱり提案を呑んでよかったな、とも思う。


 ころ、ころ。スゥスゥ。

 小さくなった飴を口の中で転がす。


 一応まだいくつか用意してあるけど、この調子ならもう舐めなくてもよさそうだ。恥ずかしさは増しているのに、この前に比べれば頭の中は冷静でいられた。

 不思議と落ち着いているのは、カナの手が温かいからだろうか。


「カナ」


 飴をほっぺたに追いやって、名前を呼ぶ。

 カナ、という女の子みたいな呼び名が、カナはあんまり好きじゃないらしい。だから私にしか呼ばれたくない、と前に言われたことがある。

 ……私にならいいんだなぁ、と。

 そのときすごく嬉しくなったのを覚えている。

 だから私も、冬花(ふゆか)から二文字を取った『冬』という呼び名はカナにしか許していない。


 こういう、幼馴染特権、みたいなのがあるから……ずっとただの幼馴染のままでいたい、と思ってしまうのだ。


「……カナ」


 ささやく。起こしてしまわないように、微かな声で。

 繋いでいないほうの手も合わせて、カナの手を包み込む。中途半端に体を起こして、すり、とそこに頬をすり寄せてみた。


「…………カナ」


 好きと言うのは我慢している。だけど、こんな声で呼ぶのを聞かれてしまったら終わりだ。

 こんな、好きと言っているも同然の声。

 だから、四度目は呑み込んだ。私はまだ、カナをカナと呼びたいから。飴をころりと舌の上に戻す。


 なのに。


 ふ、と視線をカナの顔のほうに向けたら――その顔が赤くなっていることに気づいてしまった。カーテンが閉められている中でも、その色はなぜかくっきりと目に映った。

 そして、強くぎゅうっとつぶられた目。



 ごくん。

 残りわずかになったハッカ飴が、喉に、落ちた。



「っ冬、待って!」



 反射的に手を振り払おうとしたのに、痛いくらいに握られて体が後ろに引っ張られる。ぽす、とベッドに尻餅をついた。

 すぐ後ろに、起き上がったカナがいる。


「……あ、いや、ごめん! ベ、ベッドからは降りて、クダサイ」


 ――安心できる『ただの幼馴染』じゃなきゃ、ベッドなんて自分の領域に他人を入れたくないもんね。

 頭の中を温度のない思考がよぎる。

 心臓の音はやっぱりうるさいのに、添い寝しているときと違って体も冷え冷えとしていた。きっと今、私は血の気の引いた顔をしている。


 バレた。

 絶対、ぜったい、バレた。


「……手、離してくれなきゃ無理だよ」


 必死に、その必死さを押し殺して答える。


「……いや、俺も立てばいいのか、これ」


 解決策を一人つぶやいて、カナは私に体を当てないようにしてベッドから降りた。ぐいっと手が引っ張られて、仕方なく私も立ち上がる。


「手、痛い」

「あー……ごめん。これで痛くない?」

「……痛いよ」


 ほんとはもう、ちっとも痛くなかった。嘘をつくのは苦手だけど、でも私は今手が痛いとは言わなかったから、嘘じゃない。

 暗に離してほしいと言っているということは伝わったらしく、カナの口がへの字に曲がる。


「……逃げないって約束すんなら、離す」


 私もカナも、お互いに約束を破ったことはない。二人とも、できない約束はもともとしない主義だった。

 だから咄嗟に答えることができなくて、そのせいで手を握られる力がまた強くなった。


「冬」


 名前を呼ばれて、ぴくりと体が反応する。


「……冬」


 また、呼ばれた。



「…………冬」



 三度目。

 一度目も、二度目も、三度目も――全部、私と同じ色がこめられているように聞こえて。

 いやいや勘違いだって、と自分に言い聞かせる。これは期待が生み出す勘違い。カナと添い寝をする、というだけでも現実かと疑いたくなるくらい都合がいいのに、それ以上の都合がいいことなんてあるわけないのだ。


 なのに体の熱はぶり返すし、目と鼻の奥がつんと痛くなってくるし、カナの手を、握り返してしまうし。


 頭で理解するより先に、体のどこかで何かを理解することなんてあるんだろうか。どこか、とか、何か、とか、そんなすごく曖昧な疑問がふっと浮かぶ。

 でも、もしそういうことがあるとして。今の状況は、どこで何を理解したんだろう。頭が追いつかないから、全然わからない。


 そしてカナは――私が呑み込んだ四度目を口にした。


「冬、好きだよ」


 私が言いたかった言葉を、添えて。


「……俺と付き合ってください」


 ……自分が今何を感じているのかはわからないのに、カナが今何を感じているのかはわかる。他人の感情を、わかる、だなんて言えることはないのだろうけど、少なくとも今は、私は自分の気持ちよりカナの気持ちのほうがよくわかった。

 緊張、期待、嬉しさ、安心、ちょっとの驚き、納得、不安、幸せ――愛しさ。きっと、そんな感じ。


 もしかしたら、私もそんな感じなのかもしれない。


「……私は、これからもカナのこと『カナ』って呼んでいいって、こと?」

「っていうかずっと呼んでくれなきゃやだ」


 さっきまで少し格好つけていたのに、そう子どもみたいに言われるとおかしくて笑ってしまう。なんにもわからないけど、笑ってしまう。


「……私と添い寝するの、どきどきした?」

「めっちゃした。するに決まってんじゃん。あんなの俺じゃなきゃ襲ってたからな!! 冬はもっと危機感とか警戒心とか持ってよ。添い寝するって言い出したとき、アホかってどつくとこだったわ」

「な、なら断ればよかったでしょ。冗談だったのに」

「俺だって冗談だったの、わかってただろ」


 わかっていたのは確かなので、何も言えなくなる。……でも今の言い方だと、私のも冗談だってわかってたんじゃん。

 ちょっとむっとしてしまったけど、すぐに頬が緩んだ。

 ……うん。だんだん、なんとなくわかってきた。わかってきたから、返さなければいけない言葉がある。


「カナ、私も好き。ずっと好きだった。大好き」


 ――そう告白した途端、ばっ、と手を離された。「え」ぽかんとする私をよそに、カナはなぜか機敏な動きでカーテンを開け、そして部屋のドアまで開け放った。

 差し込んでくる光が眩しくて目を細める。……なんのためにこんなこと?

 わからなくて、窺うようにカナを見る。びっくりするくらい真っ赤な顔に、私もつられて赤くなるのを感じた。


「出よう」

「え、なんで?」

「この状況でここにいるのはまずいからです……」

「な、何が?」

「……説明したほうがいい?」


 うなずけば、カナは人差し指を床に向けた。


「ここ、俺の部屋」


 次に、ベッドを指差す。


「そこ、俺のベッド。冬をすぐ押し倒せちゃう位置」

「う、うん」

「で、今、俺はずっと、マジでずっと大好きだった冬と両思いになりました」

「……うん」

「冬はさっきまで添い寝をしてくれてました。けどまあ、俺のこと好きだってことをね、さっきまでは知らなかったわけですよ。さっきまでは。だから我慢できたワケ」

「……ハイ」


 つまり、とカナは真顔で結論を言う。



「ここで冬に手を出さない理由が、冬を大事にしたいから、以外に、ない」



 ゆっくりじっくり放たれた言葉は、たぶん警告だった。

 じわじわと理解していくと同時に、同じような速さで熱が上がっていく。すごくすごく赤くなっているだろう顔を隠す手段がないことがつらい。手じゃ完全には隠せないし。

 とにかく何か言わなければ、とぎこちなく首を傾げてみせる。


「そ、れは……それがあれば、十分なんじゃないかな?」

「ほんとにそう思う?」


 じっ、とこちらを射抜く視線に、思いますなどと答えられるはずもなかった。

 けどそもそも我慢する必要は別に、と言おうとしたのを見透かしたように、カナはきっぱりと言う。


「冬は付き合った初日からそういうことしたいタイプじゃねぇし、むしろいろんな初めてを特別なシチュエーションで思い出にしたいタイプ。だろ?」

「おっしゃるとおり、ですねぇ……」


 私以上に私のことを知っていて、これは、これは何。すごく恥ずかしい。無駄だとわかっていても、思わず両手で顔を覆う。

 そういう夢見がちなところを尊重しようとしてくれているのは嬉しいけどわざわざ指摘しないでほしかっ……いやこれ私が説明してほしいって言わなきゃよかった話だよね! でもだって知らなかったもんそんなこと、仕方ないじゃんんん……。


「……引いた?」

「へ、何に?」


 さっきまでとは打って変わってこわごわと訊いてくるカナに、顔から手を離す。

 カナは視線をあちこちにさまよわせながら、小声で答えた。


「何って……両思いだってわかってこんなすぐに、こういうこと言うの。体目的とか、思う……?」

「……ふは、あはは、なにそれ、思うわけないじゃん」


 もう何年の付き合いだと思ってるんだろう。そもそも、手を出さないための提案をわざわざしてくれてるのに。


「引いてないよ。今も……この前も」


 ごめんね、と謝る。「私は引かないけど、普通だったら引くかなって思って」それだけ言えば、私があのとき何のために『ちょっと引いた』と言ったのかわかったらしい。


「よ、よかった……。あれ、かなりしんどかった」

「なんか想像以上のダメージだった……? ご、ごめんね?」

「大丈夫。……あー、というわけで、出よう。俺の部屋にこのままいるのはまずい。だいぶ、かなり、めちゃくちゃまずいので。出よ」

「う、はい、了解です」


 大人しく、カナよりも先に部屋を出る。早く出ろという圧がすごかった。でも先導したのはちょっとだけ失敗だったかもしれない。どこまで行っていいかわからない。

 廊下を進んで、階段を降りて、また廊下を進んで、玄関へ。靴を履こうとしたところでさすがにストップがかかった。


「どこまで行けばいいのかと思った……」

「こっちはどこまで行くのかと思ったわ。いや、一番の安全地帯は外だから、冬が外で話したいなら外でいいけど……」

「……大丈夫。リビング、行っていい?」

「ん、いいよ」


 リビングに移動して、ソファに腰掛ける。カナはローテーブルを挟んだ向かい側の床に座った。


「……なんでそんな遠いの?」

「大事をとってる」


 使い方合ってるのかな、と思ったけど、そっか、とうなずいておいた。まだツッコミができる精神状態ではない。

 沈黙。今日のは、痛くない沈黙だった。けど心地いいわけでもなく、くすぐったいような恥ずかしいような沈黙だ。

 その沈黙を破ったのはカナだった。


「……その。めっちゃぐだっちゃったけど。今日から俺ら付き合うってことで、いい?」

「いい、と思います」

「思います?」

「いい!」


 不安げな顔をされてしまったので即座に言い直す。するとカナはほっとしたように笑って、「ありがと」とお礼を言ってきた。

 ……お礼を言うなら私のほうじゃないのかな。告白してくれたのはカナだし。いや、でもそもそも告白紛いのことをしちゃったのは私が先で……まで考えたところで、そう悩む必要もないことだと気づく。


「……私も、ありがとう」


 お礼にお礼を返しちゃいけないなんてこと、ないんだから。

 空気が目に見えるとしたら、たぶん今の私たちの周りだけきらきらふわふわしてる。

 ふ、と吹き出したのはどちらが先だったか。

 そこからなぜか二人して笑いが止まらなくなってしまって、数十秒……もしかしたら分単位かもしれない時間、私たちは笑っていた。


「はー、あは、ふふふ、なんでこんな笑ってるんだろ」

「めちゃくちゃアホなことやってたせいじゃね?」


 くすくす笑いながらそう言うカナに、「そうかも」と私もまだ笑いながら返す。

 たまにあるのだ、こういうこと。二人してびっくりするくらいたくさん笑ってしまうことが。

 そういう時間がすごく好き。

 思えばこの気持ちを自覚したのも、こういう時間を幸せに感じたからだった。もっと続けばいいな、と思ったし……ずっと、カナと笑っていたいなって思った。


「……冬。次の日曜なんだけどさ」

「うん?」

「遊園地とか、行かない?」

「え、いいけど、なんで?」


 唐突な提案にきょとんとしてしまう。……あ、初デートのお誘い、だった? 反射的に返しちゃったのはまずかった?

 私の『なんで』に、カナはどこか気まずげにしながら目をそろりと逸らした。


「シチュエーションを」

「シチュエーション?」

「……整えよう、と」


『いろんな初めてを特別なシチュエーションで思い出にしたいタイプ。だろ?』


 ふむ、と脳内に単語を並べ立てる。

 遊園地。シチュエーション。初めて。思い出。

 ……遊園地での初デートで、キス、くらいはしたいなって感じだろうか。たとえば観覧車のてっぺんなんかで?

 王道すぎて逆に王道じゃなさそうなシチュエーションだ。憧れはするけど正直恥ずかしいし、たぶんカナにとっても恥ずかしい。


 ……でも、なぁ。


 ここで「キスだけなら今していいよ」と言うのは簡単だけど、たぶんカナは怒る。怒るっていうか、私のことを心配してくれる。

 あんまり心配はかけたくなかった。私のことを大事にしたい、という気持ちを私が尊重できないのは嫌だ。


「……()()()()。楽しみに、してるね」


 意図まで承知しました、という気持ちを込めて、ちょっと照れながら微笑めばきちんと伝わったらしい。

 ぼっ、と赤くなったカナが「やっぱ離れててよかった」とつぶやいたものだから、さらに恥ずかしくなってしまった。




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