Evil Eye
得体の知れない何かに追われながらもなんとか逃げていた青葉と紅葉、若葉は工事現場の階段の踊り場の壁際で息を潜めていた。紅葉は恐怖のあまり過呼吸になり、青葉が背中をさすりながら『兄が助けに来てくれる』と落ち着かせている。
何かの存在に気づいたのは日が沈んだ頃、暗くなり始めたのでそろそろ帰ろうかと工事現場前を歩いている時にいきなり後ろの木の枝が折れ、地面に落ちたのだ。太めのしっかりとした枝がへし折れるような強風が吹いているわけでもなく、気づけば周りに人がおらず双子姉妹と若葉の3人しかいないこの場で誰かが切り落としたというわけでもない。
次にその木のすぐ横の地面から足音のような音を聞いた。人間のものではない、なにかもっと大きな生物の足音のようだった。なのに見えない、『なにか』が前にいるはずなのに姿が見えないのだ。談笑しながら歩いていた3人はあまりの不気味さにいつしか静まり、気のせいであればすぐさまそこを離れようとした。だが次の瞬間─────
『█▇▄▆▅▉!!!』
テレビでも、実際にも聞いたことがない『なにか』の咆哮が三人の鼓膜を揺さぶり、次の瞬間には鍵の開いていた扉から工事現場の中に逃げてしまっていた。その『なにか』も工事現場の中に三人を追いかけて来たようで、激しい心霊現象のように物を荒らしながら三人のいる方向へ近づいてきている。
紅葉の気力と体力は限界、青葉も紅葉を気遣いながらでは速く走れないだろうと判断した若葉は近くに転がっていた鉄パイプを拾い、立ち上がる。
「二人とも、私が適当に暴れて注意を惹き付けるので二人だけでも逃げてください。」
「そんな!若葉ちゃんも一緒に・・・」
青葉が『一緒に逃げよう!』と言うために若葉の方を向くと、若葉の背後に見たことも無いモノが立っていた。若葉は青葉の表情から察してすぐ後ろを振り向くと2m以上はあろう体長に巨大な爪を持ったこの世の生物とは思えないものがこちらを見下ろしている。
『若い女が三人、今夜はツイてるな』
ニヤリと口角を上げながらその異形は言葉を発した。その声を聞いた青葉は血の気が引きその場で立ちすくみ、紅葉は涙を流しながら歯をガチガチと言わせている。
が、若葉は鉄パイプで異形の横っ腹を打ち、双子姉妹とは逆の方向へ移動する。
「そこのお二人の前に、私の相手をしてもらいましょうか!」
異形を指差し挑発しながらも、その指は震えており膝も笑っている。若葉のその行動を見た双子姉妹は、若葉の名前を震えた声で必死に呼ぶ。そして異形がニヤつきながら視線を双子姉妹から若葉に移し、自身の巨大な爪を振り上げ彼女に向かって振り下ろすと若葉は恐怖のあまり目を瞑った。
───あぁ。結局、千歳先輩に名前で呼ばれてないなぁ。せっかく、また後輩になれたのに。
・・・・・
『あれ、あんなデカい爪、絶対痛いはずなのに・・・ていうか』
『私、浮いてませんか?』
そう思い若葉が目を開けると、そこには爪を振り下ろした後の異形の後ろ姿があった。若葉はきょとんとしながら自分の状態を見たが、俗に言うお姫様抱っこで誰かに抱えられていた。
「ふぅ、間に合った・・・」
その声を聞いた途端、若葉の目から涙が溢れた。今流したのは恐怖の涙ではない、信じてた人が助けに来てくれた時の───安堵の涙だった。
「千歳・・・先輩・・・」
「やあ橘さん、遅くなったね。よいしょっと・・・」
千歳はいつもと変わらないテンションで抱きかかえていた若葉を地面に降ろす。異形の後ろを見るとそこにいたはずの双子姉妹の姿が消えており、若葉は慌てて2人のことを伝えようとする。
「千歳先輩!紅葉ちゃんと青葉ちゃんが!」
「あー大丈夫、二人ならとっくに外に逃がした。橘さんが守ってくれたって泣いてたよ、ありがとうな」
そう言って千歳は若葉の頭を優しく撫で、外に逃げるよう促すが逃がすまいと異形が襲いかかる。すると千歳が若葉を守るように立ち塞がり、鉄パイプで打ってもビクともしなかった異形を蹴り飛ばした。そしてこの隙に出入り口の扉を開くと目の前で起こった光景に唖然としている若葉を外に押し出した。
千歳はすぐさま扉の鍵を閉め、異形の方へ視線を向けると布に包んでいた木刀を取り出す。脳裏に浮かぶのは怯えきった自分の妹達の、そして妹達を守ってくれた大切な後輩の涙に濡れた顔だった。千歳は怒りを感じながら木刀に影を纏わせ、影が見える左眼と普通の右眼で異形を睨みつけ静かに言葉を発した。
「俺の妹達を泣かせたな?化け物。次は俺が相手だ。」
『人間風情が!俺の狩りの邪魔をしやがって!』
異形は怒号を発しながら千歳に駆け寄り、巨大な爪を無造作に振り回すが千歳は左眼で集中して視ながらスレスレで躱して異形の隙を窺っている。すると異形は双子姉妹や若葉に近づいた時と同じように姿を隠し、千歳に不意打ちを仕掛けようとする。
───が。千歳は周りを見渡すと異形のいる方向へ向かって跳び木刀を振るが爪で防御される。爪で木刀を弾き、異形は陰に隠れながらまた姿を隠すがまた千歳にすぐ発見され攻撃を受ける。
『チィ!なぜ俺のいる方がわかる!』
「お前の纏ってる影で隠れてる場所はわかるんだよ!」
千歳の言葉に異形は驚嘆の声をあげる。
『貴様、まさか長門の人間か?』
「───あぁそうだ。」
千歳が答えると、異形はニヤリと口角を上げ笑い声もあげはじめる。
『こいつァいい!長門の人間!そして!霊写しの眼を持ってるガキとはな!とりあえずてめえをぶっ殺し、外に逃げた女三人も食い殺してや・・・!』
言葉を言い終える前に、異形の身体から黒い液体が吹き出る。どうやらそこが異形の急所だったようで断末魔をあげながらその場に倒れ伏す。
千歳の左眼、霊写しの眼は見た者の魔力の色や流れが視える。千歳は油断した異形が言葉を言い終える寸前に異形の魔力が不自然に濃い部分、ようするに急所を魔力で保護してる箇所を木刀で斬ったのである。千歳は木刀に影を纏わせており、その刀身は日本刀のような切れ味を生んだ。
『グッ・・・チィッ!』
「うわっぷ!?」
異形は身を隠す魔力を全力で身体から煙幕のように噴き出させ、千歳の視界を塞いだ。木刀を構えながら周りを警戒しているとガラスの割れる音が鳴り響き、割れた窓ガラスから異形の出した煙幕が出ていく。すぐさま割れた窓から外に出て周囲を見渡すが異形の影は視えず、千歳は充分に周りを警戒しながら木刀を布に包み、妹達を避難させていた場所へ急ぐ。
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街の片隅、夜には街灯もなく真っ暗な箇所がありそこには誰も近づかない、そんな場所で1人の異形がなにかを食べていた。辺りには赤い液体や白い棒のようなものが散乱しており、異形の咀嚼音が響く場所に1人の少年が歩み寄る。
「随分と食い散らかしてるな、共食いをするほど弱ってるってとこか」
異形が声の方を向くと、そこには青白い稲妻を纏った少年が立っている。
『その雷の魔力、有間の人間か!ツイてるぜ、長門の霊写しの小僧を殺る前にてめぇを食い殺す!』
「長門?なるほど、お前に深手を負わせたのは長門か。悪いが長門とは縁があってな、お前を行かせるわけにはいかない」
少年がそう言うと周りの稲妻が神とも鬼とも取れる姿に変化し、異形は千歳から逃げた時のように魔力の煙幕を噴き出して逃げようする。しかし天から轟音と共に雷が飛来すると異形を射抜き、かの者は断末魔をあげることなく霧散した。
「『ツイてる』と、言っていたがな。有間のいる世に生まれた時点で、お前らはツイてないんだよ」
異形が黒い粒子となって完全に消え去っていくのを確認すると、そう言い残して有間の少年───千尋はその場を後にした。