Mainly
朝早くから始まった鬼恐山での戦いが終わり、万歳たちと共に有間の屋敷に帰ってきた千尋と美琴。万歳や道雪から厳しい叱責があることも覚悟していた2人だったが、道雪が優しい表情で『おかえり』と言って何も叱ることは無く、万歳も何も言わずにただ傷が癒えていない脇腹を擦りながら自室へと向かって歩いて行った。
「父さん!」
「ん?どうした千尋。」
それに耐えかねたのか千尋が呼び止めると、道雪はいつもの調子で返事をする。
「今回の件、俺の勝手な判断や行動で父さんや爺さんを巻き込んだこと、ほんとにすみませんでした!」
そう言いながら頭を下げる千尋と一緒に頭を下げる美琴、それを見た道雪は『ふーっ』と溜息をつきながら頭をかく。
「千尋、今回お前が巻き込んでしまったのは僕やご隠居だけじゃない。長門家の人や狭間の息子さんまで来てくださったんだ。お前と美琴ちゃんのためにね。」
千尋がハッとして頭を上げるとそこへ道雪の平手打ちが千尋の頬を直撃する、千尋は頬の痛みと道雪の行動に衝撃を受け放心していた。そして道雪は千尋の両肩を自身の両腕でガシッと掴む。
「いいか千尋、次からはすぐにお父さんに相談しなさい。僕が当主の間だけは、父親として僕を頼ってほしい。」
「父さん・・・」
千尋はまだ衝撃が残っている頬を擦る、そして道雪が魁との戦いの際に傷ついた利き腕である右腕で自分の頬を打ったことに気づく。魁の黒雷の魔力に触れ、自分でも高密度な魔力を纏わせたのだ、無傷でいられるはずもなく道雪の右腕は薬を塗られ包帯でグルグル巻にされていた。当然その腕で平手打ちなどすれば、痛む。
道雪は痛みに耐え歯を食いしばって千尋と向き合う、千尋はこの時『自分は守っていたつもりで、守られていた』ことをあらためて悟り美琴の手前、声を押し殺しながらも涙を流した。それを見て道雪は千尋の顔を隠すように自分の胸に押し当て、この時だけは存分に千尋を泣かせた。
「千尋、今流してる涙を糧にして強くなれ!涙を流したことの無い男なんていないのだから!帰ってきてくれて、本当によかった・・・!」
「・・・はい!」
そう言いつつ道雪ももらい涙を流している、その様子を見て美琴でさえも後ろを振り向き涙を流す。
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夜になると美琴は縁側でボーッと夜空に浮かぶ満月を眺めていた、思い出しているのは鬼恐山から帰る時のひとつの光景。いつも万歳から厳しい叱責を受けていた長門千歳が、万歳から『よくやってくれた』と称賛を受けていたのだ。
失礼なことながら、千歳に対して美琴は一種の同情のような感情を持っていた。周りが優秀なだけで、平凡な自分がただ叱責を受ける。そんな同じ理不尽を受ける仲間のようなものだと。
だがそれは鬼恐山での千尋との戦いを見て変わった、彼は千尋が鬼の道に外れそうなところを人の道に引き戻したのだ。許嫁である、千尋の妻となる女であるはずの自分でも出来なかったこと。むしろ自分は千尋を鬼の道に誘い込んだ張本人、今はなにも言われずとも後日には有間の次期当主の許嫁としての立場を剥奪され、榊家へ帰されることになるだろう。
『やはり私は、千尋に相応しい女じゃない。』
そう思い、美琴が俯くと先程あれだけ流したはずの涙がまた目からこぼれてくる。そこへ足音が聞こえきたので、美琴はすぐさま涙を手で拭い足音の方を向くとそこには万歳が立っていた。
意外な人物が目の前に現れ、美琴は縁側に脚を放り出して座っていたため正そうとしたが万歳はそれを止め、万歳も縁側に座る。
「・・・」
「・・・」
お互い、無言。
元々美琴自身、自分は万歳が手配した女性たちを差し置いて千尋の許嫁になったと考えていた。それが故に万歳に対して後ろめたい感情を持っており、こんな座って雑談などしようという気楽さはなかった。
「・・・美琴さんがうちに来てちょうど3年になろうか?」
「そう・・・ですね、受験の後すぐ来たのでそのくらいかと。」
またもや意外にも、先に口を開いたのは万歳であった。美琴が答えると万歳は『ふむ』と少し考え。
「後悔などは、しておらんか?」
「・・・っ」
突如として投げかけられた問いに美琴は言葉を詰まらせた、前までなら『後悔は無い』ときっぱり言えただろうが美琴にとって今回の件はそれほどまでに重い事であった。
「後悔は無い・・・ようにやってきたつもりではいます、ですが時々思うのです。『私は千尋に相応しくない女なのでは?』と。」
「・・・。」
美琴の話を万歳はただ黙って、真剣な面持ちで聞いている。
「今回の件も、魁さんの話に乗せられて千尋さんを誘ったのは私です。下手すれば有間の家を壊しかねない愚かな判断だとも猛省しております。」
これに対しては万歳も小さく頷く。美琴は緊張のあまりでてきた唾を飲み込むと、先程自分が抱いていた不安を話す。
「なので私は『千尋さんの妻になる女として相応しくない』と判断されて今の『千尋さんの許嫁』という立場が無くなることも覚悟はしています。」
「ん、んん?」
万歳が疑問を孕んだ声を上げながら首を傾げる、美琴は『マズい』と内心思いつつ話を続ける。
「でももし、まだ私に機会があるなら、これからは尚一層、千尋さんに相応しい女として生きようと努力するつもりでいます。なのでどうか、勘当だけは・・・!」
『勘当だけはしないで欲しい』そんなこと言えるような立場ではないと美琴は思い詰め、言葉を最後まで言えず体ごと頭を下げる。その様子を見て万歳はただただ唖然としていた。
「勘当?美琴さんを?誰が?」
「え・・・?」
万歳の言葉に思わずバッと頭を上げる美琴に、万歳は穏やかな声色で話し始める。
「儂が千尋の許嫁を決める時、色んな家の当主が声をかけて来てな。まあそれが連れてくる女どもがどれもこれも千尋ではなく隠居している儂や有間家を見ておってな。」
それはある意味当然とも言えることだと美琴は思った。この国で指折りの名家である有間家、幼い頃から千尋を知っており仲も良く、純粋に千尋を愛している美琴ならいざ知らず、初対面の女であれば誰でもまだ若い千尋より大元の有間家を見るだろうと。
「だがな、千尋は真っ先にお前さんの名前を出したのさ。儂も千尋自身が選んだ女に文句などつけようもなかったわ。」
美琴は心底意外に感じた、自分が許嫁となり一番良く思っていないのは万歳だと思っていたからだ。
「しかし美琴さんが許嫁と決まってから初めての会合の後、千尋は少し悲しげだったな。『美琴さんは変わってしまった』と、千尋は自分が変えてしまったんじゃないかと悔やんでもおったな。」
「そんなこと・・・!」
美琴が否定しようとするのを万歳が手で制止する。
「わかっておるよ、お前たちはお互いを思い合うばかりにお互いが無理をしておる。ここだけの話、美琴さんが許嫁の話を受けてくださった時の千尋の喜びようはすごかった。」
「そ、そんなにですか・・・?」
万歳は当時の千尋の様子を思い出したのか笑いながら何回か頷くと、すぐにまた真面目な表情に戻る。
「そして、これは有間家元当主としてではなく、千尋の祖父としての頼みだ。」
そう言うと体を美琴の方へ向け、姿勢を正す。そして・・・
「これからも末永く、千尋をよろしく頼む・・・。」
両手を床に着き深々と、頭を下げる。その光景を信じられずにいた美琴であったが、すぐに縁側に放り出していた脚を正し頭を下げている万歳に対し正座で向き合う。
「こちらこそ、至らぬ所が多くございますが、見守っていてください。」
そう言いながら美琴も両手を床に着き頭を下げ返す。
美琴は有間に来てからの努力が報われたような、かと言って今のままではいけないような。そんな複雑な気持ちを抱きながら、今はただ有間のご隠居に千尋の許嫁として認められたことにこの上ない喜びを感じていた。




