Call your name
朝食を摂り終え、入浴や着替え等の身支度を済ませた千歳は母や妹達が外出して静かになった家の自室でベッドに座っていた。時計を見ながら千歳は待ち遠しそうに溜め息をつき、ベッドから立ち上がって鏡を見ると目元のクマを指でそっと優しく撫でる。
「ちゃんと寝てるんだけどなぁ・・・」
しばらくして家のインターホンが鳴り、千歳がすぐ部屋を出て1階の玄関の扉を開けるとそこには女の子が1人立っていた。
「こんにちはちぃちゃん」
女の子は千歳の顔を見て優しく微笑みかける、『ちぃちゃん』とは彼女が千歳のことを呼ぶ時のあだ名である。
「あぁ、こんにちは椎名さん」
千歳が挨拶を返すと彼女、椎名 紗奈は少し頬を膨らませる。
「ちぃちゃんさぁ、いつからか私のこと苗字で呼ぶようになっちゃったよね?」
確かに小学生だったか中学生だったかまでは下の名前で呼んでいたが、急に恥ずかしさを覚え今のように苗字で呼ぶようになってしまった。
「あー・・・っと、椎名さんも『ちぃちゃん』て呼び方、どうにかならない?ちょっと恥ずかしいんだけど・・・」
「なんで?可愛いじゃん」
笑顔で即答され、千歳は返す言葉が見つからない。
「それよりちぃちゃん、早く行かないとバスが出ちゃうよ」
そう言われると千歳は急いで玄関から外に出て扉の鍵を締め、紗奈に手を引かれながらバス停に向かう。
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紫ヶ丘駅前のバス停に止まったバスから降りた2人の目の前には超大型のショッピングモールがあり、さらにそこからほんの少し離れた場所ではまた超大型の建物を建てるための工事が行われている。
そしてショッピングモール内には映画館もあり、千歳はこの日が公開日である映画を観賞するため紗奈から誘われていた。
題名は『キャプテン・ドラゴン ~日本襲来!キャプテン・ヒュドラ!~』
ちなみに『キャプテン・ドラゴン』は外国のヒーロー漫画が実写映画化したもので、日本語に訳されたコミックスも販売されている。物語は高校生の少年である『エース』がある日、『龍脈』と呼ばれるエネルギーを習得して街の平和を脅かす悪の怪人と戦うというものである。キャプテン・ドラゴンの龍脈は青い炎で表現されており、千歳が紗奈に読ませてもらったコミックスでもまあまあ必殺技の表現が派手なのだが彼女に誘われて初めて映画を観た時はあまりの映像の派手さに驚いた。
「楽しみー♪」
るんるんとした雰囲気と表情で紗奈が映画館の椅子に座り、パンフレットを眺めている。千歳が隣の椅子に座り売店で買ったポップコーンとジュースを紗奈の椅子に着いている机に置くと彼女は足をパタつかせながらお礼を言った。
そして2、3分ほどすると劇場は暗くなり、スクリーンに映像が映し出される。
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『私の名はキャプテン・ドラゴン!お前たちからこの街を守る者だ!』
キャプテン・ドラゴンの登場シーンで紗奈の左手が千歳の右手を興奮で握る。
───ちょっと痛いかな。
『貴様程度の龍脈では俺様には勝てん!』
『龍脈は力の強さではない!龍脈とは心の強さだ!』
キャプテン・ドラゴンとヒュドラの派手な戦闘シーンでも握る。
───あ、ちょっと力強まってきたかな。
『ドラゴン!パアァァンチ!』
戦闘シーンのラストでキャプテン・ドラゴンが必殺技でヒュドラを倒すところでも握る。
───痛い。
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エンディングのスタッフロールが終わり明るくなった劇場を後にした二人、紗奈は恍惚とした溜め息をつきながらずっと映画の感想を言っている。
「やっぱりカッコイイよねぇ・・・今回の戦闘シーンすごい派手だったよー」
「いつも派手じゃないの?」
千歳の言葉に紗奈は『ふっ』と小さく笑う。
「派手さのベクトルが違うのです、そこら辺もわかるように教えたげるからDVD観直そうね♪」
「あぁ、うん。いいよ」
楽しそうに話している千歳と紗奈の元に1人のサングラスをかけた男が近寄る、どうやら外国人のようだ。
「Excuse me.映画は楽しんでもらえただろうか?」
そう話す外国人、その声には千歳も紗奈も聞き覚えがあった。
「え、えっと・・・もしかして?」
『ふふっ』と微笑みながらサングラスを外すと、その外国人はさっきまで二人が観ていた映画の主役『キャプテン・ドラゴン』の役を演じている俳優ダンテ=エヴァンスだった。突然の出会いに紗奈は一瞬固まったが、握手を求めると彼が快諾したので手を洗いに小走りで御手洗に行った。
「今日は彼女とデートかい?」
「いやぁ、彼女ではないですけど・・・」
ダンテにそう聞かれ千歳は照れ笑いを浮かべながら答えると、ダンテは千歳の肩にポンと手を乗せる。
「好きなんだろ?わかるんだよ、なんとなく。君が彼女のことを想っているのが」
その言葉に千歳は驚き顔を上げるとダンテは続ける。
「いいかい?少年、恋というものにおいて、『悔い』だけは絶対に残してはいけないよ。特に君のような若者はね!」
ウィンクをしながら放った彼の言葉に千歳は思うところがあるのか顔を俯かせながら考える。御手洗から紗奈が出てくるのが見えるとダンテは千歳の肩から手を離し、紗奈と握手をして2人のパンフレットにサインを描いたダンテは次の予定のためにその場を後にした。
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映画と突然の出会いの余韻に浸りつつ2人は地元に帰ってきた。そして並んで歩いていると紗奈が千歳に話しかける。
「そう言えばさ、なんでちぃちゃん、私のこと苗字で呼ぶようになっちゃったの?」
「え、いやぁ単に恥ずかしかったからだけど・・・」
「私は───前みたいに名前で呼んで欲しいかな・・・」
千歳がそう答えると紗奈は微笑みながらも俯き、とても寂しそうな声でつぶやく。彼女の儚げな表情と声色に千歳は胸を締め付けられた。そして立ち止まるとそこには隣同士で建てられた2人の家があり、紗奈は家の門のノブに手をかけると顔を上げて千歳の方を向きニコリと微笑みながら─────
「じゃあまた明日、学校一緒に行こうね」
そう言い終わった後、彼女の顔から笑みが消えたのが見えた千歳は咄嗟に門を閉めようとする彼女の右手首を掴む。突然のことで驚く紗奈に千歳は少し頬を赤らめながら。
「また明日・・・えっと、さ・・・紗奈ちゃん」
紗奈の目を真っ直ぐ見つめて彼女の名前を呼ぶと、千歳はするりと彼女の右手首から手を離す。
「また明日、ちぃちゃん」
紗奈は満足気な笑みを浮かべると小さく手を振りながら家の中に入っていく。パタンと扉が閉まるのを見た千歳は小さく溜め息をつきながら自分の家の前まで歩き、門のノブに手をかける。
「そうだよな、前まで呼んでたもんな・・・」
久しぶりに呼んだ紗奈の名前、呼んでみればそれほど恥ずかしくもなくごく自然であった。なによりも、紗奈の嬉しそうな笑顔を見れたことが千歳は嬉しかった。




