Remnants
山を離れて椎名家の屋敷に帰ってこれたのはちょうど昼前、トラックの荷台から降ろした籠を抱えながら公由は千歳にも籠を持たせ、紗奈も一緒に連れて向かった台所では芹奈が昼餉の準備をしており"おかえりなさい〜♪"と声を掛けると氷を入れたコップに冷蔵庫で冷やしていた麦茶を注ぐ。
「今日の昼餉は貰い物のうどんです。もうすぐで茹で上がりますからちょっと待っててくださいね〜」
「おっ、うどんか!暑いから助かるわ、まったくたまらんよな〜・・・」
と、あっという間に麦茶を飲み干した公由は暑さに文句を言いながら台所を離れて行き、なにか手伝えることはないか千歳と紗奈に訊ねられ山菜やらキノコ、果物まで採ってきてもらってもう十分だから休むようにと芹奈は2人を台所から押し出した。
それから時間になると茶の間に一同が会し、昼餉にはざるうどんが振る舞われる。薬味には畑で取れたネギであったり今朝訪れた山で採取した茗荷が添えられ、山菜採りの才能があると公由は千歳を褒めていた。それに乗じて将来、自分たちが亡くなったらこの家を継いでくれと縁起でもないことを咲耶に頼まれるが、まだまだ長生きしてくれないと曾孫の顔を見せられないという紗奈の言葉に夫婦は嬉しそうに声を上げて笑った。
賑やかな昼餉の後、縁側に座って緑茶を啜る公由のもとへ千歳が訪れ、まるで来るのがわかっていたかのように用意された空の茶飲みに緑茶を注ぐ。
「よぉ、来たか・・・まぁ座れや、緑茶は好きか?」
「はい、いただきます」
茶飲みを受け取って縁側に座るがなにから話せばいいかわからず、なぜ自分が悩みを抱えているのがわかったのかを訊ねてみると帰りの道中でも言った通り年の功だと返された。
「昨日うちに来た時・・・もしかすっとその前からお前さんはなにか悩んでる。誰かに話せばちっとは気が楽になるんじゃねぇかなってな、じじぃのちょっとしたお節介さ」
「いえ、ありがとうございます。そうですね、なんて言えばいいのかわかんないんですけど・・・」
それから千歳はここに来る前日、境目町の結月大社で評議会の者と出会い、敵対しているとばかり思っていた組織に勧誘されていた事を明かす。
「友人たちにどう話せばいいかわからなくて・・・」
「俺ぁお前さんたちで言う"凡人"だからそういったごたごたはわかんねぇけど、親友同士なんだから坊の中で出した答えをそのまま伝えりゃいいんじゃねぇかとは思うけどな」
「そう・・・ですよね・・・」
公由の言葉に同意しながらも千尋たちの反応はおおよそ想像でき、もし対立してしまった時はどうすれば?そう訊ねると力強く肩を叩かれた。
「そん時ゃ男らしく、真正面から拳で語り合うに決まっとろうが!俺も婆さん家に婿入りした時は─────」
まだ男尊女卑の風潮が強かった時代、家の長男だった公由の婿入りは家族にとってとても受け入れ難い事であり猛反対してきた父親と殴り合いの喧嘩にまで発展したんだとか、結局弟に家督の相続権を譲ることと引き換えに半ば勘当のような形で咲耶との結婚を許された。以降、父とは疎遠になり今際の際に駆け付けられなかった事を今でも時折、後悔の念が過ぎると寂しげに空を眺める。
「話が逸れちまったな・・・まぁ要するにだ、思いを伝えるのに言葉だけじゃ足りねぇ時もあるってことよ。互いが納得するまで全力でぶつかってみな!」
それとなく心当たりのある千歳は納得して頷き、迷いが吹っ切れたその表情を見て立ち上がった公由がもう大丈夫だなと再び肩を叩く。そしてまず一番に思ってくれている両親に自分の出した答えを伝えることを忘れないようにと釘を刺して午後から町内会の集まりに出てくるとその場を後にした。
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───
─
その日の夕方、千歳は紗奈と一緒にあの神社の跡地にて行われている祭りを訪れた。浴衣など持ってきておらず公由から拝借したのだがサイズはちょうどよく、祖母のお下がりを着こなす紗奈の艶やかな浴衣姿に並んで歩いている今も見惚れている。
立ち並ぶ露店で食べ物やラムネを買った2人は人混みを潜り抜け、思い出深い社があった場所にやってきた。古びた本殿は取り壊されており、そこに建つ二段式の櫓から太鼓の音色が聞こえてくる。境内を囲む石塀に座った彼女は隣で焼きおにぎりを頬張る千歳になにやら既視感のような感覚が過ぎった。
正月の縁日でも彼が誰かに勧められて焼きおにぎりを買っていたのは覚えている。妹たちに・・・ではなかったと思う、記憶の中にいる誰かの面影を紗奈は夢中で追いかける。とても親しかったはずなのに顔すら思い出せない、というよりもあと一歩のところでそれは姿を消してしまうあまりのもどかしさに眉をひそめた。その様子を見て心配そうに声を掛けてきた千歳に以前、誰に勧められて焼きおにぎりを買ったのかを聞いてみる。
「中学の頃に入ってた部活の後輩がいてさ、その子に教えてもらったんだよ。"橘 若葉"って名前なんだけど・・・」
その寂しげに語られる覚えのないはずの名前を繰り返し呟くとどこか懐かしいような感情と共に去来する喪失感に紗奈の瞳からは涙が零れる。理由を訊ねられてもわからず、とても大切な人を忘れてしまっているような気がするのに思い出すことができないという胸の内を明かした。それからなにも聞かず千歳はそっと彼女を抱きしめ、たとえ断片的であったとしても若葉の面影が自分以外の誰かの記憶にいることを嬉しく思う。
しばらくして紗奈の気持ちが落ち着いた頃、上空には煌びやかな花火が打ち上がりはじめた。空を彩る豊かな色彩に思わずため息を洩らしながら思い出の場所をなくした哀愁さえも夜空に融け、また一緒に花火を見るという去年の夏の約束を果たしてくれた事に礼を言いながら彼女が身を寄せる。
そして最後に打ち上がった一際大きな花火の余韻も闇夜に消えると祭りの終わりを告げるアナウンスが会場に響く。椎名の屋敷へ帰ろうと言う紗奈を呼び止め、千歳はあの事を一番大事に思っている彼女へ伝える。
「紗奈ちゃん、俺・・・評議会に入ろうかと思ってて・・・」
「・・・そう・・・なんだ・・・」
評議会の前議長である伊邪奈美に運命を翻弄された紗奈がその思いを聞いた途端、めずらしく表情を曇らせながらも否定や反対の言葉を口にすることはなく、去年の今頃には"将来"の事など考えてもなかった彼女はむしろ自分の進む道を決断した千歳を羨ましく思っていると話した。
「将来か・・・紗奈ちゃん料理上手だから喫茶店とか開いてみるのはどう?」
「ん、レストランとかじゃなくて?なんで喫茶店?」
「そういう高級店で働いてるシェフの人って忙しいイメージがあるからさ、喫茶店なら静かな場所でのんびりできるかもって・・・紗奈ちゃんには平穏に生きてほしいから─────」
結局それも自分が決めることではないけれどと続ける千歳の思いやりに紗奈は心を打たれ、なにか吹っ切れたような明るい笑顔で"ありがとう"と感謝の気持ちを伝えた。
それから祭りの会場を後にした2人が田舎ならではの心地よい音色を聞きながら椎名の屋敷への帰り道を歩いていると─────
「私、専門学校とか行ってみようかな・・・調理師免許も取ってみたいし」
「おっ、真剣だね」
「そりゃそうですよ、子供だって2人は欲しいもん─────」
突拍子もないことを言い出す紗奈に千歳がほんのひと呼吸、間を置いて繰り返し聞き返すと彼女はどこか恥ずかしそうに頷く。なんでも紅葉と青葉から姉同然のように慕われていることをきっかけに兄弟や姉妹という存在に憧れを抱くようになったんだとか。
「だからその・・・私たちの子供にも・・・ね?」
「・・・うん」
それが紗奈の希望とあらば、千歳は頷いて屋敷の前では芹奈と葩子が2人の帰りを待っていた。そしていつか喫茶店を開くから絶対来て欲しいという紗奈からの願いに使用人の2人はもちろんと喜んで約束を交わす。