Monologue Ⅰ
龍脈と天力は枯渇し、魔力すらも纏わぬシンプルな打撃の応酬を繰り広げる2人の戦いは傍から見ればまるで人間同士の普通の喧嘩であった。体力は底を突き、それでも倒れずに向かってくる少年の眼差しに灯る"情熱"の火に心惹かれ、思わず動きを止めてしまった継陽に千歳は丹田に意識を集中させながら大きく息を吸い込み、微力ながらも龍脈を纏わせた拳を叩き込む。息遣いだけが聞こえる静寂の中、掌で受け止めたその拳から継陽はなにか"心"に響くものを感じた。
「なぜ・・・なぜお前は恐怖に屈することなく戦えた?そこまでお前を突き動かすものとは一体、なんなのだ・・・?」
「・・・"生きるため"、そして俺はずっと・・・紗奈ちゃんを"守る"ために戦ってきた・・・!」
千歳にとっての"戦い"とは、大切な人たちを守るためのもの。幼き頃、伊邪奈美から掛けられた呪いによるものではなく、狂気とも言えるほどの純粋な"個"への愛情に呆れと敬意を覚えながら継陽が口を開いた。
「我々の・・・敗北だ・・・」
もはや戦闘の意志はなく穏やかな表情でそう言い放ち、"天"の間の外では非常事態を報せるサイレンが鳴り響くと天之御中主命が敗北し、月面に構築されたこの聖域がまもなく崩壊を開始することを告げた。身体の至る箇所にはヒビが入りはじめ、無残に崩れ去るのを待つばかりとなった彼はせめて有間 継陽としてではなく、神の化身たる星神として天寿を全うしたいと宿敵に介錯を頼んだ。
その意志に一度は"ああ"と頷き、錬成した刀を構えるがいざ観念した継陽を目の前にしてこれが本当に結月の望んだ結末なのだろうかと考え、ある結論に到った千歳が降ろした刀を鞘に納めた。
「・・・なんの真似だ?」
「アンタらのやり方には賛同できない、けど"平和な世界を作りたい"という思いだけは同じだ」
「だからなんだというのだ、この期に及んでまさか"協力しよう"などと言うまいな?」
そんなことはあり得ないと理解しながらの問い掛けに無言で頷く千歳を見て継陽は思わず愕然としてしまった。
「・・・なぜだ?」
「紗奈ちゃんはやっと呪縛から解放された。でもこれからあの娘が幸せに、平和に生きていける世界の作り方を俺は知らない。だからアンタらの知恵を貸してほしい」
魔性や神秘にかかわった人間の人生にはその影が付き纏うことになる。これまで隠蔽されてきた邪龍や鬼、亡者といった影の存在が多くの凡人たちの目に触れてしまった此度の騒動は国とそこに住む人々の在り方を大きく変えることになるであろう事は明らか。ましてや伊邪奈美命の転生者である紗奈が平穏な日々を送れる世界を作るため、1人でも多くの協力者が必要だった。たとえそれが敵だった者だとしても、それが結月の遺志を継いだ千歳の答え。
「頼む、俺に協力してくれ。有間 継陽!」
「っ─────」
先程まで命の奪い合いをしていた相手に協力を仰ぐ少年の真摯な態度と眼差しに継陽は再びかつての友の姿を重ね、差し伸べられた手を握ろうとした瞬間、崩壊が始まった"天"の間の大地が大きく揺れ動く。
「やばいな・・・有間、ひとまずここから逃げよう!」
「・・・いや、ここから消えるのは長門─────お前だけだ!」
自分たちのいる神殿も崩壊するのは時間の問題と呼び掛ける千歳を継陽が最後の力で彼の背後に生み出した空間の裂け目に向けて突き飛ばす。
「有間!?どうして─────」
「我がここを去った瞬間、この聖域は崩壊する間もなく消滅する。本来ここと地球を繋いでいたその空間転移魔法が不安定になってしまえば、そうさな・・・良くて見知らぬ土地、最悪の場合、宇宙にでも放り出されてしまうだろう」
今まで幾度となく目にしてきた空間の裂け目の原理を説かれ、尚も千歳は転移に抗いながら継陽に手を差し伸べる。
「でもやっと、やっと俺たちは仲間に・・・同志になれたかもしれなかったじゃないか!」
長門家の人間の口からまさかその言葉を聞けるとは思ってもおらず、くすぐったい響きに継陽は"ふっ"と満更でもないような微笑みを浮かべる。
「お前にはもう、よき同志がいるだろう?」
「っ・・・」
「お前たちはいずれ後悔することになる。我々の思想は正しかったのだと、だが今はすべてをお前に託す。皆が平穏に生き、幸福な未来を想像できる世界をどうか作ってくれ─────千歳」
「有間─────!」
悲痛な叫びも虚しく千歳は裂け目の向こうへと呑まれていった。崩壊していく世界に1人残った継陽は玉座に腰掛け、走馬燈のような遠い記憶を思い返す。
"継陽〜!新しい魔術を考えましたよ、私の風と君の炎の合成魔術です!その名も─────"
"待て、2人で2つの元素を合わせるだと?非効率にもほどがあるだろう。第一にそんなことをする必要は・・・"
結局、その合成魔術とやらを使う機会は訪れなかったがあの時に垣間見た結月のどこか寂しげな表情を今でも覚えている。もし自分も彼女の発明に協力していたなら、"双璧"という一族の役目に拘らず真の友となれていたなら、そしてなにより、長門と和解できていたなら・・・幾百年かぶりに去来する後悔の念に思わずため息が洩れる。
─────今更、許してくれるだろうか・・・いや彼女の気が済むまで謝ろう。
「このような思いは二度と御免蒙りたい・・・」
そう独白した矢先に魁をはじめとした同志4人が玉座の前に集い、"星霊降臨"によって呼び出された星霊たちは結月がこの世を去ったと同時に輪廻へと帰還していた。継陽は1人の人間に敗れ、莫大な時間を費やした計画が無為となってしまったことを彼らに詫びた。すると魁は真っ先にこれを否定、逆に封印を守れなかった己の失態を詫びながら"天翁"がいる限り幾らでもやり直せるとして"次こそは"と、名誉挽回の機会を求める口上を述べようとしたが継陽に手で制止される。
「もう・・・よいのだ・・・同志たちよ、我はあの人間・・・長門 千歳に願いを託した。貴殿らもかの星に帰還し、共に未来を─────」
『できませぬ!天翁の御言葉と言えど、人間・・・ましてや長門となど・・・!』
この時、はじめて魁が天翁の言葉を拒絶した。そして同志たちに別れの言葉を告げると崩壊していく大地に向かって歩き始め、意識すら捻転する闇に身体を呑まれながら最期まで人間に対する憎悪を胸にあくまでも天翁の同志としてその天寿を全うした。そんな彼に続くこともなく蒂と臥は別れの挨拶と共に聖域を去ってゆき、継陽はここに残った真意を朧に訊ねた。
『あなたが長門さんに未来を託したのであれば、私に未練などありません・・・』
「妙な奴よ。以前からお前は長門に心酔とも言えるほどの情を抱いていたようだが・・・なにか恩でもあるのか?」
『ご明察です。今だから話せることですが、実は─────』
こうして語られる過去、当時を生きた者にとってはまさに衝撃の事実とも言うべきもので話が終わる頃には継陽が唖然としており、その似つかわしくない表情を浮かべる彼に朧は慌てて謝意を述べる。
『今のいままで黙っていたこと、どうかお許しを・・・』
「・・・ふっ、"神の化身"が聞いて呆れる。この世界には我の知らないことが溢れているのだな・・・」
かつて"万能の人"とも謳われていた自分にも理解の及ばないことがあるという事実に不思議と悪い気はせず、むしろ探求の末に人は己の生まれた意味を見出すのだろうとまるで難問を解いたかのような晴れやかな微笑みを見せる。そして未来を託した千歳はそろそろ地球に帰った頃であろうかと気に掛けながら崩壊に呑まれた2人は結月が待つ場所へと還り、広大な範囲に構築されていた聖域が消失した跡にはただ灰色の大地だけが残った。