Hollow
宇宙の闇を映していた八咫鏡が音を立てて割れ、闇夜が明ける。擬似太陽"天照"が燦然と煌めく青空のもとで千歳は天を見上げながら瞼を閉じた。射し込む陽光すらぬるく感じるほどに火照った身体に吹き付ける風が灼熱をゆっくりと溶かし、哀しいはずなのになぜか心は落ち着いていた。
瞼を開けると涙が溢れ、頬を伝っていく。右眼の星映しの眼に浮かぶ星の紋様は円環を描き、新たな力を宿した。伊邪那岐や結月から授かったものではなく、正真正銘、千歳自身の想いによって覚醒を果たしたのである。
日本各地の上空に広がる虚無はひとまずその顎を閉じた。しかし後でいくらでも修正が可能な些事に過ぎず、偉業には何の支障もない。ゆえに幾百年かぶりに去来する哀愁に浸ることもなく、継陽はただ自らの生命と引き換えにしてまで星を救った結月の選択に疑念を抱くが目の前に立っている少年が彼の求める答えを示す。
「なるほど、そういうことだったか・・・」
その真っ直ぐな眼差しにかつての友を重ね、確信する。この瞬間まで結月のみが計画を阻止しうる存在だと思っていた。だが天之御中主命とは現代の地球に顕現した星神、彼女の子孫である千歳こそが特異点だったのだ。
「─────よかろう、お前がその眼に相応しい人間かどうか、我が見定めてくれる!」
神の化身たる自分が人間に、それも長門家の者に敗れるはずがない。いや─────断じてあってはならない。結月と同じ眼を持ち、その意志を継いだ千歳を屠ることでようやく自分は長門との因縁を断ち切ることができる。もはや感情を抑える必要などなく、憎悪と殺意を以て宿敵との戦いに臨んだ。
ゆらりと前傾の姿勢から瞬く間に目前まで移動してきた千歳の抜刀術による一閃を躱しながら斥力で跳ね飛ばし、球状に高圧縮した重力を放つ。着地した千歳はすぐさま阿修羅を発現、結月のように掴んで投げ飛ばしたり龍脈で相殺することはせず武装した刀で巨大な重力の玉を斬り裂いた。
そして引力を使用する際の拳を握る動作を見るや輪廻現しの眼の能力、天道・現身で次の刹那には背後に回り込み、その気配を感じた継陽が帝釈天を発現しようとするが紫炎の天力は陽炎のように揺らめくばかりで神像とはならず、突然の異変に戸惑いながら振り向いた彼の身体にはじめて千歳の刀が傷を負わせた。
「ぐっ─────!」
肩から脇腹に架けるような傷は瞬く間に修復し、重力が付与された瓦礫の連射に千歳はたまらず距離をとった。なぜ帝釈天を─────天力を使えないのかなどもはや問題ではなく、ただ屈辱に表情を歪めながら継陽が無礼者に向けて掌をかざす。
「"夜よりも昏く、闇よりも深い。無窮なる我らの父よ、あなたの纏う帳を私に与え給え。星よ、父の御名において我に従い給え"─────」
なにか呪文のような言葉を呟き始めると目の前に小さな黒い球体が現れ、彼の魔力の宿った言霊が紡がれる度にそれは大きくなりながら周囲の空間を捻れ歪ませていく。"なにかやばい"、そう感じた千歳がその場を離れようとした時にはすでに詠唱は最後の一文に差し掛かっていた。
「"宙よ、かの者のもとに来たりて終焉を迎えよ─────『虚空』"」
漆黒の球体は瞬く間に巨大化して周囲のものを巻き込み、身体どころか意識さえも歪んでしまいそうな重力の奔流に千歳は咄嗟に纏った阿修羅ごと呑み込まれてしまう。まるでブラックホールを直に目にしているかのような光景に愉悦と全能感を覚えた継陽は堪えきれず高笑いを響かせた。
そんな中、氷のような冷たい刃音と共に轟音が止み、連続して煌めく白銀色の線によってブラックホールは割れた窓ガラスのように霧散した。
「ば、莫迦な・・・完全詠唱の空間歪曲魔法だぞ、なぜ・・・なぜ人間なんぞに─────」
その答えもまた、かの者の眼差しが示していた。円環の紋様を描く星映しの眼が宿主の視界に映すのは魔性や神秘だけではない。重力や引力、斥力といった星の力の流れさえも手に取るように理解できる。魔法によって生み出されたブラックホールもそれら星の力の線を繋ぎ合わせて編み出したものに過ぎず、その綻びを捉えることができればあとは切り開くだけ。
曰く、"魔術"とは探求や研鑽の末に到る奇跡を再現した結果、そして"魔法"とは世界の法則をも超越した奇跡を引き起こす現象である。いわゆる超自然現象を刀1本で破られ、継陽の胸中は穏やかではなかった。
とはいえ、凄まじい重力に曝されていた千歳もまったくの無事というわけではなく、全身の骨が軋むかのような痛みと共に身体が悲鳴をあげ始めている。阿修羅を纏っていなければどうなっていた事かと、安堵せずにはいられなかった。
「・・・いや、まだだ!我が・・・人間ごときに・・・!」
天照に再び膨大な天力が注がれ、不気味な機械音を響かせながら光の円環が再装填を完了した。もはや畏怖の心などなく、真っ直ぐに見据えた空で煌めく星が千歳のもとに飛来する。魔眼の動体視力で軌道を捉え、衝撃に後ずさりながらも龍脈を纏った右手で掴み取った流れ星は鍔や柄、鞘すらもない1本の武骨な刀に姿を変えた。
「なにかと思えば、そのような鈍で我に立ち向かうつもりか?」
「俺には剣術しかないんでね、刀が1本あれば十分だ。これで終いにしよう、有間─────」
祖父からの教えに則り千歳は右手で刀の茎を緩く握りしめながら構えもせず全身を極限まで脱力させ、注いだありったけの龍脈は銀色の刀身を漆黒に染め、禍々しくも神々しい不可思議な迫力を放つ。
「時は来たれり、脆弱なる生命よ・・・天照の燃料を提供してくれた貴様らへのせめてのもの礼だ。自らの情熱にて灼かれ、塵と消えるがいい!」
号令と共に降り注ぐ陽光、触れた瞬間に蒸発してしまうであろうほどの灼熱を帯びた天蓋を前にしても千歳の心はとても静かだった。幼き頃より幾千、幾万回と繰り返してきた剣を振るという所作、今更なにを気負うこともない。深く吸い込んだ息が、研ぎ澄まされた龍脈が身体と精神を練り上げ、最も充実したその瞬間、"ふっ"と小さな吐息と共に刀を振るう。
「"虚絶"」
漂っていた宇宙の闇を秘める刀身から溢れ出した影は嵐のように千歳の視界に映るもの全てを覆い尽くし、その中には天照と継陽も呑み込まれていた。霧雨のように纏わりつく斬撃は光や音、断末魔さえもかき消し、嵐が過ぎ去った灰色の大地にはなにかの残骸とその中心に佇む継陽の姿があった。
「ったく、こちとら全力の一撃だっつうのに─────無傷かよ」
これ以上ないと言える渾身の一太刀を以てしても彼を倒すに到らなかったことに愕然とし、今の一撃で龍脈を使い果たした千歳は龍装や魔眼を維持できなくなっていた。右眼の星映しの眼に宿った権能、"天道・天叢雲剣"も解かれ、空からやって来た刀は星の粒子となって霧散する。立つことすらままならずもはやこれまでかと思ったその時、苦悶と憤りが混じった表情で継陽が膝から崩れ落ちた。
伊邪那岐が持つ"天之尾羽張"と同格の神器である刀が生み出した嵐のような斬撃を受けて無事なはずもなく満身創痍の身体を修復するため継陽は全天力を費やし、聖域から取り込んだ魔力を天力に変換するには時間を要するほどにダメージが残っていることを今の千歳が知る由もなかった。
偉業を成し遂げるため神の力へと昇華した天力を枯渇させられ、新しい世界を照らすため創造した太陽"天照"も崩壊した。嵐の中で感じた恐怖、そしていま感情と身体を苛む無念と喪失感に継陽は自身が人間であった頃の記憶が蘇る。
(いや・・・まだだ、まだ我は・・・我らは敗北していない。また始めればいいだけだ─────!)
そう自身を奮い立たせた継陽の視界には、同じように疲弊しきった身体に鞭を打って立ち上がる千歳の姿が映った。
「夢は潰えた。しかし我が生きる限り、いくらでもやり直せる。だが─────」
「わかってるさ、決着を付けよう。有間 継陽─────」
もはや言葉は不要と、素手でファイティングポーズをとる千歳に継陽は始めて人間らしい微笑みを浮かべた。そして互いにないはずの体力を振り絞って歩み寄り、拳と拳がぶつかる音を合図に2人の最終決戦が幕を開ける。