Human
臍の辺りにあるという丹田に意識を集中させ、深呼吸を繰り返しながら千歳は目の前で繰り広げられる壮絶な戦いに時折、呼吸を忘れそうになるほど圧倒されていた。
「くらえぇい!八尺瓊勾玉ぁ!」
「効かん効かん!」
長門家二代目当主、即ち千歳の先祖─────長門 結月が周囲に漂う勾玉の形に圧縮した龍脈をまるでマシンガンのように撃ち出し、新星の神、天之御中主命を名乗っていた有間家二代目当主、有間 継陽は帝釈天の拳でことごとく弾き飛ばしながらその内部で拳を握った。
すると凄まじい引力によって身体が勢いよく引き寄せられ、空中で楽しげに声を上げながら結月は龍脈の勾玉をとっ掴むと継陽の掌に圧縮された重力の塊に向けて叩きつけた。相反する力がぶつかり合ったことで後方へと吹き飛ばされた2人は軽やかな身のこなしで着地し、互いに不気味なほどの無邪気な笑みを浮かべる。その様子はまるで友達と遊ぶ子供のようで、彼女たちにとってはもはや戦いですらないのかもしれない。
教わった呼吸法のおかげで龍脈は回復したが果たしてこの2人の遊戯についてゆけるかどうか、不安に思う千歳の顔をヌッと目の前に瞬間移動してきた結月が覗き込んだ。
「龍脈、どうです?回復しました?」
「おわぁ!?びっくりした・・・はい、おかげさまで・・・」
"でも"と続けようとする千歳の手を引いて彼女は継陽の前に並び立つと圧倒的な威圧感に気圧されそうな曾・・・─────孫の手を優しく握った。
「さて継陽、そろそろ約束を果たす時がきたようです・・・」
「我がお前と"約束"だと?ありえんことだ」
「おやおや、『俺が道を外れたその時はどうか止めてほしい』なんて言ってきたのはアナタの方でしょうに・・・まぁ構いません。あぁそうそう!そのあとのお相手は千歳がしてくれますのでよしなに〜」
突然の指名に千歳は驚きのあまり『はぁッ!?』と声をあげて驚き、継陽でさえも不可解だと言わんばかりに眉をひそめるがそれよりも気になるのは"約束"のことであった。身に覚えなどないが、結月はその約束を果たすためここへやって来たのだという。
「結月─────さん、どうして俺が・・・俺じゃ二代目有間には─────」
「まぁ私が倒してしまってもいいんですが、でもそうすると多分あの地球に開いた穴をどうにかする余裕がなくなっちゃうんですよね。こう見えても私、長旅で身体と精神がくったくたなんです」
クローン技術によって生み出した千尋がモデルの身体に意識を移し、聖域に漂う空気は戦いで消耗したであろう継陽の生命力や精神力、天力を回復させていた。対して彼女も呼吸法で体内を巡る龍脈を回復させてはいるがクローンの面影はなく、それを見抜いた継陽が驚愕と共に戦慄する。
「長門、貴様まさか─────人間なのか!?」
「当たり前じゃないですか。といっても私自身、随分と眠っていたようですが・・・」
100年以上もの時間を生きた摩耗に意識と身体が限界を迎えようとしていた頃、結月は一度、別人になるという手段をとった。かくして橘 若葉という1人の少女として歩んだ人生のなかで彼女は偶然にも自身の子孫である長門 千歳と出会い、当時の若葉の心境にはどこか懐かしい暖かな気持ちが込み上げていた。
千歳もどういうわけかはわからなかったが若葉のことを他人とは思えず、部活の後輩ではなく妹のように接した。そうして築き上げられた2人の信頼関係は結月の意識を眠りから徐々に覚ましていく。
しかし去年の夏、天翁の策略により若葉の身体には伊邪奈美命が憑依し、意識の底で彼女は結月との邂逅を果たす。同じ人間なのにまるで自分ではないような、不思議な印象を受けながら若葉はたとえ偶然や創作であったとしても意味のある人生を与えてくれた結月に協力することを決断した。彼女が眠っている間、自身が主人格となり時が来れば消える。無論、それがなにを意味するのかも理解した上であった。
そしてその時は今、訪れた。橘 若葉の意識は兄を、そして"姉"と慕う紗奈と、2人が生きる世界を守るため、友と交わした約束を果たそうとする結月のため彼女と融合したのだった。星の龍脈が周囲に渦を巻き、回路のような紋様を浮かべながら光り輝く結月の身体はその超高密度の龍脈で灼熱を帯びていた。
思わず声をあげてしまいそうな熱さを感じながら千歳は繋いだ手を離せなかった。離してしまうと結月がどこかへ消えてしまいそうで─────
「千歳、ごめんなさい・・・手を・・・繋いだままにしてもらえますか?情けないですよね、これだけ長く生きてても私は・・・死ぬのが怖いんですよ。ハハハ・・・」
「っ─────!」
と、この期に及んで死への恐怖を吐露してしまう自分に呆れながら苦笑いを浮かべる彼女の手を千歳がギュッと握りしめた。
「死ぬのが怖いだなんて、そんなこと・・・当たり前だ!人間なんだからッ!!"情けない"だなんて・・・」
これから何が起こるのか、状況から察した千歳は涙を流しながら声を張り上げる。その優しさに心を打たれた結月がそっと優しく両腕で抱き締め、千歳の身体は彼女の優しい香りと灼かれるような熱さに包まれた。
「千歳・・・これから先もあの星は危機に直面することでしょう。でもアナタたちがいればきっと大丈夫、星の未来と・・・できれば継陽のことをお願いしますね─────」
満面の笑みと言葉を遺し、別れの挨拶もないまま結月の身体は光の帯となって宇宙の闇を漂う地球へと飛翔していった。
─────
───
─
継陽が生み出した太陽も、空を喰い破った漆黒の闇もその源は人間ならば誰しもが抱えるであろう負の感情だった。当初は喜びや幸福感、いわゆる正の感情も燃料にすることを考慮していたが人々の欲望には果てはなく、更新されると同時に古い喜びは揮発してしまい心の奥底で燻り続ける怒りや憎悪、悲しみといった感情の方が効率的だという結論に到る。しかしそんな人々の負の感情を何世紀もの間、収集する中で人々の心は戦いの後の大地のごとく荒んでゆき、時代と共に憎悪が幸福を駆逐し始めたのだ。
想像だにしなかった人間の醜い姿に摩耗した継陽の精神は絶望を選択、一度地球を消去した上で新たなる星、新たなる生命、新たなる文明を創造する方向へと変更した。
かつて人々の幸福と世界の平和を願った夢想家は道を外れ、この星の"未来"を拒絶した。時を同じくして唯一彼と約束を交わしていた友がその計画を阻止するべく歩み出す。
旅の道中、世界の美しさを目にした時の感動、そして人間が時折見せる喜びや幸福を花束のように摘み集めた。揮発する感情も記憶に残れば消えることはないと、彼女は精神が摩耗に侵されるその時までその色とりどりの感情を写し絵のように記憶していた。慣れない疲労感に苛まれ、立ち止まったり腰を下ろして休んだりしながらも旅人は歩み続けた。友を変えてしまった"絶望"を拒絶するために─────
そして奇跡は起こった。紫ヶ丘の空で拡大していく漆黒の穴に一筋の光が射し込み、虚構を色彩が徐々に埋めつくしていく。それを見た千尋たちは千歳が天之御中主命を倒したのだと歓喜に湧いたが地球の危機を救ったのは1人の少女であることを彼らは知る由もなかった。