Clone
伊邪那岐がこの世界を去った事により千歳の星映しの眼に浮かぶ円環の紋様を描く星々は再び渦を巻きはじめ、天道・現人神の権能はその役目を終えた。
呆然と空を見上げながら達成感に千歳は気が抜け、後ろ向きに倒れた身体を紫色の蓮の花園が優しく受け止める。それにつられて親友たちも地面に倒れ込み、彼らの勝利の歓声が街中に響く。
"西"の結月大社を守護する白兵に見送られ、いざ戻ってきた玄信が目にしたのは瓦礫の街と化したこの紫ヶ丘の中心にある蓮の花園で談笑する息子たちであった。周囲にあの怪物の姿はなく、ポケットから取り出したスマホを操作してどこかへ電話を掛ける。
「こちら本部局長の長門だ。"星神"存在消失及び紫ヶ丘の安全を確認、状況を終了─────」
ワンコールで繋がった電話の相手に状況終了の報告をしようとした玄信の前を1人の少年が通り過ぎて行き、その少年は邪龍の亡骸にそっと触れ、掌から伝わる力の流動に感嘆の声をあげた。
「これは重畳、かすかにだが冥力まで残っているとは・・・!」
背後からの聞き覚えのある声にバッと振り向いた千歳の視界には邪龍の亡骸から黒い影を身体に取り込む千尋と瓜二つの少年の姿が映り、突如として現れた彼はまるで親しい友人のように『やあ!』と声を掛けてきた。
やがて黒い影を十分に取り込んだ少年は悠然とした態度で千歳たちに歩み寄り、自分が誰なのかわかるかと訊ねた。声色や佇まいまでまさに"もう1人の千尋"と呼べるものであった彼の身体の中に流れる様々な力が混ざり合ったかのような色を魔眼で見抜いた千歳はある者の名を呼んだ。
「・・・天翁?」
「ふっ、さすがに長門の魔眼には看破されてしまうか。とはいえ、その名はもう捨ててしまうのだがな・・・」
そう言って天翁を名乗る少年は両の掌を合わせて己の身体に流れる魔力・霊力・天力、そしてたったいま邪龍の亡骸から取り込んだ龍脈と冥力を練り合わせた。するとそれまで曖昧だった力の輪郭が明確になり、圧倒的な力が齎す高揚感に酔いしれる。
「わかるだろう?この体感したこともない未知の力を、この世で最も崇高な天力ですら及ばぬ全能感、今や我は天に座す翁に非ず、天を統べるべく生まれ変わった我の名は─────天之御中主命なり!」
彼が新たな名を名乗った瞬間、天は再び闇の牙に穴を穿たれ、それは新たな星神がこの星に現れたことを意味していた。そんな彼の前に万歳がやって来て変わり果てたかつての友人との再会を果たす。
「おぉこれはこれは!懐かしき友ではないか、変わらず元気そうだな!」
「天翁、こうして久しく顔を合わせた今でもあなたの抱く思想は儂には理解が及びませぬ。なぜ千尋の姿に?そのようになってまであなたが成したい事とはなんなのですか?」
今になってなお自らが友と呼ぶ万歳からの問いに天之御中は迷いなく答えを述べた。すべては世界平和のためだと─────
「この身体もまさに神より優れし力を確かなものにするためだ。幻影のままではこうもいかん、よくできているだろう?」
「まさかそのお身体は、本物の人間の・・・!?」
彼から告げられた事実に万歳は驚きのあまり絶句する。つまり目の前にいる天之御中主命の身体は初代有間の再来と謳われる千尋をモデルとして造られたクローン人間だったのだ。本来ならば禁忌の技術、しかも千尋の身体に天翁の意識というあべこべな状態であるにもかかわらず彼の意識は拒絶反応を起こしている様子もなくその身体に馴染んでいる。
クローンの身体を創造するにあたって必要な千尋の細胞は有間家に使用人として仕えていた頃に魁が回収しており、そもそも人間嫌いなはずの彼を有能な執事として有間家に紹介したのも他ならぬ天翁だった。
そして10年前に天翁から渡された"万能薬"を自らの手で開発し、妻を実験台にしたとして学会を追放された父親を招き入れてまで評議会が研究させていたのは人間を創造するための技術だったのだと千晶は父の科学への熱意が利用されていたことに怒りが込み上げる。
「そんなもののためにお前たちは親父を利用したのか!」
「言葉を慎め」
評議会で研究員を務めていた開賀 進の息子である千晶に視線を向け、彼の言葉に天之御中は心外だと言わんばかりに眉をひそめて反論する。
「アレを複製したのも、我々評議会に協力していたのもすべて彼自身の選択だ。研究内容こそ知らせてはいなかったが、博士の挙げた成果は我が肉体をより完璧なものしてくれた。ゆえに息子といえど、我が友を侮辱することは─────」
ここで言葉を止めた天之御中は自身の心境に芽生えたある感情に気付き、深く呆れたようなため息をつく。
「いかんな、久しく忘れていたことだ。人間はつい"怒り"などという余計なものを抱く・・・」
それからはスッと怒りを抑え、先程までの余裕を取り戻した天之御中は今になって姿を現したその目的を話しだす。ひとつは邪龍の亡骸から龍脈の力を手に入れること、そしてもうひとつは因縁ある千歳たちに挨拶するためだと言って今も空を喰い破らんとする闇の穴を指さした。
「お前たちには到底理解しえないことではあるだろうが、あえて宣言させてもらう。ながらく宇宙の旅を続けてきたこの星は虚無へと還り、お前たちの存在の記録、未来すらも抹消される!」
そのあまりに突拍子もない地球滅亡宣言を告げる彼に千尋が回復した天力で帝釈天を顕現させ攻撃を仕掛けるが、紫電の拳を前にしても悠然とした態度を崩すことなく天之御中は紫炎を纏った。すると瞬く間に同じ神仏の姿を象どった紫炎が主に迫る拳撃を防ぎ、千尋を驚かせた。
「帝釈天!?お前の神性は迦具土命じゃ─────」
「なんのためにお前の天力による一撃を受けたと思っている?すべては我の計画のうちよ!」
万全な天之御中を前に千尋の帝釈天が繰り出した拳は押し返されてしまう。そして帝釈天に龍装の鎧を纏わせた姿も1人で難なく再現してみせ、圧倒的な力の差に千尋ですらが後ずさんだ。
「かの伊邪那岐も言っていたであろう、お前たち人間はよくやったと。我も今、同じ気持ちでいる。お前たちのおかげで我らの悲願は成し遂げられようとしているのだからな」
「まだ・・・俺たちは負けてない・・・」
穏やかな口調で星の脅威を退けた英雄を称える天之御中の前に千歳が立ち向かい、人間の身体と感情を取り戻した今だからこそ理解できる魔眼の眼差しが放つ迫力に鬱陶しげな表情を浮かべた。
「─────よかろう、やはりお前は我が直々に葬らねばならんようだな。決着を付けよう、長門・・・」
神に迫る存在となった天之御中が人間の千歳に決闘を申し込み、指をパチンと鳴らすとこれまで幾度と目にした空間の裂け目を生成する。彼は振り向きざまに『別れの挨拶を済ませてくるといい』という言葉を残してこの場から一足先に去っていった。
開いたままの裂け目を見詰めながら『自分は果たしてあの天之御中に勝てるのか?』と、自問する千歳を背後から紗奈がギュッと抱きしめた。背中に感じる温もりと『絶対帰ってきてね』という言葉に勇気をもらい、『ありがとう』と彼女の手に自身の手を添える。
本当ならば『行かないで』と彼を引き止めたかった。しかし圧倒的な力を前にしてなお臆することのなかった千歳を見た時に感じた胸の高鳴りを信じ、『いってらっしゃい』と紗奈は涙を見せぬよう背後から見送る。そして千歳も涙を見せぬよう背後にいる紗奈と無謀な戦いに赴く自分を呼ぶ親友たちに向けてサムズアップを掲げて見せ、『いってきます!』と力強く声を上げて裂け目の向こう側へと足を踏み入れた。