Pledge
雨風のように打ちつける龍脈は瘴気を浄化─────というよりは同調させ、全身を灼かれるような熱い感覚に星神が怨嗟の咆哮をあげた。やがて神秘の力が蔓延したこの紫ヶ丘において生命の一端となった彼女は"生命の拒絶"の権能を失い、千歳たちと共に帝釈天の内部にいる伊邪那岐はそれを見逃さなかった。
『千歳、星神の権能が消滅した。今ならお前たち人間でも倒せる!』
「わかった!千尋、今のうちだ!」
「あぁ!」
千尋が巨大な帝釈天を操って両手の武器を構えようとしたところに星神が再び大きな咆哮をあげ、瘴気が声の波に乗って街の外へも伝播していく。そして両眼に浮かぶ円環の紋様が光を放ち、まさかと思う一方で同じ眼を持つ千歳は追い詰められた彼女が輪廻現しの眼の能力を使うかもしれないと予想はしていた。しかしどういった能力を使用してくるかまではその時にならなければわからず、宿主の抱く強い願望を能力にするということから感じた嫌な予感は現実となる。
─────天道・黄泉津大神
能力が発現するや星神の周囲には黒泥が湧き出し、そのあまりの水量に龍脈の同調が間に合わず蓮の花園を呑み込んだ。津波のように押し寄せる濁流を万歳が真正面から迦具土命の炎で灼き尽くしながら干上がらせ、万尋も阿修羅を発現すると泥から生み出された亡者の群れを斬り伏せる。その光景を目にした千尋が慌てた様子で祖父たちに泥の届かない場所へ避難するよう促した。しかし─────
「お前たちは星神を倒すことに集中せよ!儂らがここで食い止めねば泥は街の外へ流れ出てしまい先程の亡者とやらが蔓延るであろう、それだけは防がねばならぬ!!」
「そのとおり!凡人たちにコイツらの相手はちとキツいだろうからな、星神はお前らにまかせたぞ!!」
と、その場を離れる気配などなく、亡者が結界の外へ出て行かぬよう防衛線を敷いて星神は若き双璧に託した。2人の覚悟に敬意を抱きながら一刻も早く星神を倒すため千歳と千尋は視線を前方へと移す。
─────
───
─
"四霊御法陣"の結界によって星神の権能は封じられ、本殿を見下ろすほどに大きかった守護神たちの霊体は今や人よりも小さくなっている。ダンテたちが紫ヶ丘へ戻ろうと本殿を出ると境内の床からは見覚えのある黒い泥が湧き出しており泥からは亡者だけではなく3メートル程もある鬼も現れてすでにこの境内は群れに包囲されていた。
『あれは"餓鬼"、黄泉の鬼がなぜ現世に?それにあの黒泥はもしや・・・』
「サナ、ワカバ!中に隠れているんだ!」
紗奈と若葉を本殿の中に避難させ、龍装を装着したダンテが亡者と鬼の群れに飛び込んだ。龍脈の熱風で亡者ごと灼き尽くしても泥はとめどなく湧き続け、亡者たちを生み出していく。呻き声をあげて向かってくるだけの亡者とは違い餓鬼は金棒を怪力で振り回し、龍脈の攻撃により受けたダメージも周りの無尽蔵に湧く亡者どもを喰らって回復してしまう。
とても楽に勝てる相手ではなく戦いに集中している間に亡者の群れが本殿を囲い、もう1体の餓鬼が生み出されて紗奈と若葉がいる本殿へと向かっていく。しかし餓鬼を相手にしながら亡者共を払い除ける余裕などダンテにはなく、おぞましい呻き声と唸り声が逃げ道の絶たれた本殿内に木霊する。
いま紫ヶ丘を覆っている結界は執玄たち守護神によって起動したもので彼らは各地の結月大社に奉られていた御神体を依代とするいわば付喪神のような存在、もし御神体が破壊されるようなことがあれば依代を失った守護神たちは力を維持できずに結界も消滅してしまい星神は再び"生命の拒絶"の権能を取り戻すであろう。輪廻現しの眼の能力によって発生した黄泉の泥から作り生み出された亡者や餓鬼などの者たちは"母を縛る結界を破壊しなければならない"、という植え付けられた本能に従って各地の結月大社に侵攻していた。
そして餓鬼が本殿を破壊しようと手に持っている金棒を振りかざしたその時、立ち塞がるかのように空から白い龍が舞い降りた。ダンテにとっては新たな敵の出現のように見えたが離れて睨み合う龍と鬼は互いに唸り声をあげ、絶体絶命と思い込む彼に執玄が落ち着いた声色で『安心せよ、人の子らよ。そやつは敵ではない』と告げた。
次の瞬間、龍の口から放たれた咆哮に恐れをなした亡者共が歩みを止め、餓鬼は怯むことなく本能のままに金棒を振り下ろすが風の壁のようなものに押し返される。その隙に白龍は身を翻して鞭のような尾の一撃を叩き込み、餓鬼はダンテともう1体の餓鬼が戦っている場所にまで吹き飛んだ。
即座に周囲の亡者を喰らって回復した餓鬼はもう1体の餓鬼と共に本殿へ攻め込もうとしたがすでに白龍が自身の力を咥内にて高圧縮、大きく開いた口からレーザーのように撃ち出された光は瞬く間に2体の餓鬼を呑み込み、軌道上の泥さえも浄化した。
大きく息を吸い上げた白龍が再び咆哮を響かせ、亡者共を威圧して泥の底へと還していく。それからは七色を帯びた白い光を放ち、湧き出した黄泉の泥をすべて浄化すると誰かを呼ぶかのように本殿に向かって声を上げた。中で怯えていた紗奈と若葉に執玄の御神体である天球儀が『もう安泰であろう』と声を掛け、彼女たちはおそるおそる本殿の御扉を開いた。先ほどまでの光景が嘘だったかのような優しい光で満たされた境内に佇む白い龍と目が合った執玄の霊体はお辞儀をするかのように頷いた。
『我らの主が汝らと盟約を結んだのは遠く昔のこと、よくぞ馳せ参じてくれた。白龍の子孫たちよ─────』
まさか、と若葉が境内へと駆け出し、白龍は自身のもとへやってきた彼女と視線を合わせるかのように姿勢を低くして優しい眼差しで見詰めた。
「私たちを助けてくれてありがとうございます、白龍・・・」
『─────っ』
若葉の感謝の言葉に白龍は嬉しそうな声を響かせながら、頷くようにゆっくりとひとつ瞬きをする。かつて村の守り神として崇められていた白龍は邪龍が封印され、東西南北の結月大社が建てられた時を境に人々の前から姿を消した。その際、彼ら"龍"とある1人の人間は人知れず盟約を結んだ。それは人と龍が互いを尊重し、共存するというものであったが時代は変わり、人々が神秘から遠ざかるにつれて妖魔や物の怪といった魔性が世界の影に潜むこととなる。
遂には友であったはずの"龍"の姿さえも凡人の目には映らなくなり、破綻したかのように見えた盟約を龍たちが違える事はなかった。邪龍の齎した災害から酒蔵を救った白龍の伝承は子々孫々にまで語り継がれ、それを聞いた者たちの記憶が朧だった彼らの存在を確かなものとしたのである。
結月大社だけではない、黄泉の泥が生じた土地には龍たちが現れ、人間に害をなす亡者共を鎮めていく。昔となんら変わりのない光景の中、遥か昔に結んだ"盟約"、絆こそが再び"人"と"龍"を繋げた。